ポツダム宣言
ポツダム宣言受託を決めた緊急電報
「従来勝利獲得の自信ありと聞いて居るが、今迄計画と実行とが一致しない。又陸軍大臣の言ふ所に依れば九十九里浜の築城が8月中旬に出来上るとのことであったが、未だ出来上って居ない。又新設師団が出来ても之に渡す可き兵器は整って居ないとのことだ。之ではあの機械力を誇る米英軍に対し勝算の見込なし」
昭和20年8月10日午前2時30分、御前会議での天皇の発言です。この言葉を以て、ポツダム宣言の受託が決定しました。そして、この日午前6時45分に発電された緊急電報がこれです。
《就(つ)いては在瑞西(スイス)公使よりは米国政府及び支那政府に対し、在瑞典(スエーデン)公使よりは英国政府及びソ連政府に対し、最も速かに右伝達方並びに相手方の速答を得る様……》
日本の敗戦はスイスとスエーデン政府が仲介したわけですね。
それでは、ポツダム宣言・終戦の詔勅(玉音放送)・ポツダム宣言履行の詔を一挙公開です。
ポツダム宣言
米、英、華三国宣言
POTSDAM PROCLAMATION
昭和20年7月26日ポツダムで署名
一 吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
二 合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
三 蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レザル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スベシ
四 無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国ガ引続キ統御セラルベキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国履ムベキカヲ日本国ガ決定スベキ時期ハ到来セリ
五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ
六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ
七 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ連合国ノ指定スベキ日本国域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
十一 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ
十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ連合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ
十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
一般的には日本は無条件降伏といわれますが、第5条にあるとおり、これは「有条件降伏」なんですね(これがドイツと違うところ)。無条件降伏は日本軍だけ(第13条)で、国体に関しては一切触れられていません。
1943年11月27日の「カイロ宣言(日本國に關する英、米、華三國宣言)」では
《三同盟國ハ同盟諸國中日本國ト交戰中ナル諸國ト協調シ日本國ノ無條件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ續行スヘシ》
とあり、確かにこのときは「国家の無条件降伏」を狙っていました。しかし、実際は「日本軍の無条件降伏」までしか追いつめることができませんでした。日本が無条件降伏でないことをきちんと伝えるべきだと思います。
さて、この降伏の受託を国民に告げたのが、8月15日正午からの玉音放送ですね。これは終戦の詔書をラジオで読み上げたものです。
終戦の詔勅
国立公文書館
詔 書
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措カサル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ
御 名 御 璽
昭和二十年八月十四日
各国務大臣副署
で、さらにポツダム宣言履行の詔(降伏文書調印ニ関スル詔書も発布されました。これも公開しておきます(句読点は原文にはなし)。
朕ハ昭和二十年七月二十六日、米英支各国政府の首班カポツダムニ於テ発シ後ニ蘇聯邦カ参加シタル宣言ノ掲フル諸条項ヲ受託シ、帝国政府及大本営ニ対シ、聯合国最高司令官カ提示シタル降伏文書ニ朕ニ代リ署名シ且聯合国最高司令官ノ指示ニ基キ陸海軍ニ対スル一般命令ヲ発スヘキコトヲ命シタリ。朕ハ朕カ臣民ニ対シ、敵対行為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セムコトヲ命ス。
御 名 御 璽
昭和二十年九月二日
やっぱり負けるってのは、イヤなもんですなぁ。
なお、最後に、昭和20年9月25日に天皇が記者会見で語った言葉を上げておきます。
《日本国民は、国際社会に再復帰し、将来の戦争の可能性を根絶するため必要な改革を行ない得ることを自ら示すであろう》
至言ですね。
更新:2003年8月15日
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