東京裁判について

東京裁判
開廷日の様子(1946年5月3日)


 東京裁判については、近いうちに大特集を組もうと思っていますが、とりあえずここではこの裁判で最も重要な「サンフランシスコ平和条約第11条」について書いておきます。
 同条は、次のような文章です。

《日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない》

 どうも長いですが、ポイントは「裁判を受諾」の部分です。
 これは正文(英語)では、

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan》

 となっています。
 日本語訳ではjudgmentsが「裁判」となっていますが、本来は「判決」と訳すべきだというのです。もしこの訳だとしたら、日本は「判決は認めたけど、裁判そのものは認めない」ということになります。
 東京裁判で唯一「日本無罪」(正確には「連合国を裁かないのなら、日本を裁く理由がない」)を主張したインド人判事パールが指摘するように、東京裁判史観(日本だけが悪者)が正しいのかどうか、いまだに激しい論争が起きているのです。


 ちなみにマッカーサーは、1951年5月3日に開かれたアメリカ合衆国連邦議会上院の軍事外交合同委員会において、

「日本が戦争に向かった理由は、主に安全保障上からの要請であった」 (原文は "Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.")

 と発言しています。つまり、大東亜戦争は「侵略」ではなく、「自衛」というわけで、こちらもマッカーサーが東京裁判史観を否定したものとして議論が続いているのでした。
 こんな話は、絶対学校では教えてくれないのですな。


東京裁判東京裁判
ウェッブ裁判長と東条英機

 なお、ウェッブ判決の日本語訳は「被告東条英機。被告が有罪の判定を受けた起訴状中の訴因に基づいて極東国際軍事裁判所は被告を絞首刑に処する」です。


更新:2006年6月29日

<おまけ>
東京裁判
裁判所となった旧陸軍士官学校大講堂(市ヶ谷)

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