「石田三成テーマパーク」(廃墟)を行く

石田三成
顔のない石田三成


 誰も知らないと思うんだけど、滋賀県彦根市は「全国きぐるみサミット」が開催されるなど、「ゆるキャラ」が大集合する有名な町です。2002年、みうらじゅんがゆるキャラをマイブームにしてから「ゆるキャラ」のブームは続いています。
 どうでもいいんだけど、滋賀県というのはホントにゆるキャラが多いんですよ。一番有名なのが「国宝・彦根城築城400年祭」と「井伊直弼と開国150年祭」のマスコットである「ひこにゃん」ですな。
 あと、目つきが悪いので入手してないんだけど、「いしだみつにゃん」とか。これは石田三成をキャラ化したものです。でまぁ、今回はこの石田三成の人生について研究してみようかと。だって石田三成ってけっこうマイナーなんで、何やったのか、きっと誰も知らないんじゃないですか? 

ひこにゃん
ひこにゃん


 彦根というと琵琶湖と彦根城しか見るものがないんですが、彦根城に上ってあたりを見渡すと、なんと金閣寺が見えるんですよ。ちょっと衝撃なんですが、それがこの写真(電車からでも見えるよ)。

金閣寺
はるか彼方に見える金閣寺?

 そんなわけでこの金閣寺に行ってみたら、なんと石田三成のテーマパークだった。

金閣寺
これがアクリルでできた金閣寺だ!


 関ヶ原の戦いに敗れるまで、彦根は石田三成の領地でした。居城は佐和山城といいました。
 佐和山には土塁や石垣などの城跡が残ってるんですが、近年までほとんど遺構調査が行われてきませんでした。なんでかというと、関ケ原合戦後に落城し、徹底的に取り壊されたから。建物の一部は新築された彦根城に移ったともされ、つまりここには何もないと思われてきたからなんですな。

 でも、この佐和山城はものすごく立派だったと言われています。わずかに残っている絵図を見ると、5層の天守閣だったことがわかります。
 実際、当時の俗謡に
「三成に過ぎたるものが2つあり 島の左近(三成の家臣)と佐和山の城」
 と歌われているほどです。なのに今となっては幻の城。

 でだ。ここで考えてほしいんですが、地元・彦根の住人が郷土の英雄を考えた場合、

 ●勝者:井伊直弼:彦根城:国宝

 という構図が好きな人はあんまりいないのではないかと。それより、

 ●敗者:石田三成:佐和山城:幻

 という構図が好きな人の方が多いのではないか? 日本人は判官贔屓だしさ。

 そんなわけだかどうか知りませんが、地元の名士が私財を投じて佐和山城を作りました。正確には彦根歴史公園(佐和山遊園・佐和山美術館)といいます。
 昔は入場料(当初は300円、後に1000円)を取ってたんですが、今はほとんど廃墟状態。ご自由にお入りくださいになってました。

佐和山城 佐和山城
謎の五重塔と傾いた仏像

 そしてこれが佐和山城(横から)。ちなみに右が国宝・彦根城。
佐和山城 国宝・彦根城
どっちが立派よ?


 そして、一番すごいのが石田三成の歴史絵巻。なんと三成の生涯を37枚の絵でまとめてあるんですよ。しかも小学生みたいな筆致で。
 今ではほとんど雨ざらしなんですが、どう考えてもこの絵巻が一番のウリなのではないかと思えるので、ここでその一部を公開したいと思います。それがこの廃墟への最大のオマージュでしょう。


石田三成の生涯


石田三成
1 序章 近江伊吹山
2 1560年 長浜市石田町に生れる
 
 残念ながら最初から空っぽのスタート。ここから下の写真みたいに、急な斜面をずっと絵巻が続いていくんですよ。
 最後は蜘蛛の巣だらけで死ぬかと思った。

石田三成
ホントに滑るほどの急坂です

石田三成
3 観音寺にて修行をする

4 豊臣秀吉に見出される
5 長浜城にて勉強する

石田三成
6 賤ヶ岳合戦に出陣する

7 秀吉にすすめられ結婚する
8 日本各地の検地を行う
9 島津征伐に従う……そしてついに

石田三成
12 佐和山城主に封ぜらる

13 朝鮮出兵の船奉行に任ず
14 朝鮮奉行として渡船す

石田三成豊臣秀吉
15 豊臣秀吉 病に死す

 この画像の汚れは、ガラスの汚れです。ほとんどぱっと見には何も見えないくらい汚れてるんですが、無理矢理撮影しました。

19 美濃を攻め 大垣城に入る
20 城を出て関ヶ原へ移動す

石田三成関ヶ原
21 関ヶ原合戦 遂に始まる

 これがメインの関ヶ原の合戦。徳川家康ふざけんなって感じなんでしょう。2枚組なんで力が入ってますね! そして下が有名な……

石田三成小早川秀秋
23 小早川秀秋裏切り逆転す

24 大谷吉継戦場にて自刃す(この人物は秀吉の隠し子説もある人物で、三成の親友)
25 戦に敗れ伊吹山中へ落る
26 敗戦の報、佐和山城へ来る
27 無念、風雲急なり佐和山城

 そしてここからが敗者の涙の歴史です。

石田三成
28 女郎谷へ婦女子落下する

石田三成
29 三成夫人 自刃する

30 落城 石田一族討死する
31 三成探しの高札が建つ

石田三成
32 腹痛に耐え 古橋へ急ぐ

 逃亡の途中で生水を飲んで下痢をしたというのは、けっこう有名な話みたいです。

石田三成
34 徳川陣屋前にて恥を受く
35 京大阪を引廻しされる

石田三成六条河原
36 1600年 六条河原にて処刑される

 三成の首は三条河原に晒されるんですが、石田三成絵巻もそこで終わっています。残念ながら、画像はなくなっていました。

石田三成京都三条大橋
37 終曲 京都 三条大橋

 三成の辞世の句は、次のように伝えられています。

 筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり


制作:2008年8月11日

<おまけ>
 毎年、8月には日本の敗戦ものを書いてるんですが、今年は同じ敗戦ものでも、ちょっと時代をずらしてみました。やっぱり負けるっていやなもんですね。
 せっかくなので、彦根の護国神社にあった「平和の碑」を公開しておきます。
彦根の護国神社
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