発禁小説「政治少年死す」あらすじ紹介
委員長に就任した浅沼稲次郎
ノーベル賞作家・大江健三郎が、昭和36年(1961)に発表した『セヴンティーン』第2部「政治少年死す」は、前年に起こった社会党委員長・浅沼稲次郎暗殺事件をテーマにしたものです。主人公の17才の少年(モデルは犯人の山口二矢)の性的描写などに右翼が激怒、作者は生命を脅かされ、出版社も公式に謝罪したといういわく付きの作品です。以後40年近く、現在までこの小説はいっさい公刊されていません。
個人的には名作だと思うので、あらすじを紹介しましょう。底本は昭和36年2月の「文學界」です。
なお、原作は現在まで封印されている上、もちろん著作権は切れていないので、ここに引用した文章は無断引用となります。ただし、これはあくまであらすじの紹介であり、この程度の引用は著作権上も許されるのではないかと思います。
また、この作品の紹介はあくまで文学史の一部として紹介するものであり、ぼく個人の政治的な思惑により紹介するものではありません。
自涜(オナニー)癖と劣等感に悩む17才の少年。彼は閉鎖された社会状況の中で自分の存在の小ささや無能さに悩んでいる。
彼が、自らの存在を確認できるときは自慰するときと短刀で暗殺のまねごとをするときだけだった。ところが、右翼に目覚めた彼は変わり始める。次第に自分への自信を深めていくのだ。
「トルコ風呂の女奴隷」に会いに行くこともなく性欲も感じなくなっていく。
「おれは小さな個々の勃起とオルガスムとを今や軽蔑していた、おれは啓示どおり、おれの全生命を賭けた大勃起、大オルガスムとにむかって精液と性エネルギーとをたくわえていたのだろう」
そうして、彼は「天皇の栄光を願わない者」の代表として委員長を短刀で暗殺する。 警察の取り調べではあくまで単独犯を主張する。
「夏、広島から帰ってくる汽車の窓から日没の瞬間の海の神々しい輝きを見て、ぼくは、ああ天皇陛下と叫びながら啓示をえました、いま考えてみるとあの啓示の瞬間に、あれの日時のおおよその所はきまったんだという気がします。(中略)
強いていえば、天皇の幻影が私の唯一の共犯なんです、いつも天皇の幻影に私はみちびかれます。幻影の天皇というとわかってもらえても限度があるようなので、もっと思いきって、簡単にすると、天皇が私の共犯です、私の背後関係の糸は天皇にだけつながっています」
少年は委員長を刺殺した瞬間、「魂を棄てて純粋天皇の偉大な溶鉱炉のなかに跳びこ」み、そのあとにやってきた「不安なき選れたる者の恍惚」という「至福の四次元」に飛び込んだ。
この恍惚が無意味にされ天皇から永遠に見捨てられることを恐れ、少年は自殺してしまう。
「おれは天皇陛下の永遠の大樹木の柔らかい水色の新芽の一枚だ、死は恐くない、生を強制されることのほうが苦難だ。(中略)
おれは純粋天皇の、天皇陛下の胎内の広大な宇宙のような暗黒の海を、胎内の海を無意識でゼロで、いまだ生れざる者として漂っているのだから、ああ、おれの眼が黄金と薔薇色と古代紫の光で満たされる、千万ルクスの光だ、天皇よ、天皇よ!」
少年が自殺したとき、隣の独房の若者はかすかにオルガスムの呻きを聞いたという。そして死体は、精液のにおいがした。
『月刊日本』2003年6月号に、山口二矢の供述調書が掲載されたので、紹介しましょう。
《社会党、共産党、労働組合、新聞などは戦争中は軍隊が悪いとか、天皇が悪いなどと一言も触れないでいて、戦争が終って左翼的な社会になると、その頃のことを頬かむりして後になって自分の国を卑下することは全く怪しからん連中だと思い戦前の日本にも「国を愛する気持ち、信義を守ること、忠孝、家族制度」など非常に良いものがあり、この伝統は引き継いでいかなくてはならないと考えました》
昭和35年(1960)4月ごろには、すでに《左翼反日指導者を暗殺する以外には日本を救う道はない》と決意した山口が、暗殺を実行したのがこの年10月12日。
そして、11月2日、山口は東京少年鑑別所で自決します。辞世の句は次の2つ。
国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に
大君に 仕えまつれる若人は 今も昔も 心変わらじ
壁には歯磨き粉で書いた「七生報国 天皇陛下万歳」の文字がありました。これで17才ですからね。現在とはちょっと比較にならない精神性です。
安保条約批准で揺れる、「政治の時代」の話でした。
更新:2003年9月10日
広告