本サイトの目的/2000年版
「探検コム」がオープンして1年。これまでに、かなりの画像やテキストがアップされました。もちろんこれからも頻繁に更新していきますが、ここらで、このサイトの“本当の”目的について書いておきましょう。
このサイトのテーマはいうまでもなく「探検」ですが、では、探検すると一体何が分かるんでしょうか? 行った先の地理・風俗? 文化? これが時間旅行ならば、当時の社会の背景とか時代の気分とか?
ならば、それらが分かることはどんな意味があるんでしょうか?……これって、難しい質問ですよね。僕なりに言えば、きっと「自分たちの今」を認識するためにどうしても必要な作業なんです。
今の日本はきわめて閉塞していて、ゆがみが至るところから噴出しています。いったいどうしてこんな時代になってしまったんでしょう。何が原因なのか、何の影響なのか。僕はそれを知りたいと思います。
そのための方法論はわかりません。でも、自分たちがいる現在の時間と場所を基点にして、X軸(空間)Y軸(時間)の座標を次々にプロットしていけば、もしかしたら原点の位置が徐々に見えてくるかもしれない。それはきっと自分たちの本当の姿だ。それが明確に見えてくれば、きっともう少しはいい時代が作れるかもしれない……そんな祈りにも似た気分(でも悲壮ではないけれど)があるのは確かです。
結局それって「温故知新」とか「他人のふり見て我がふり直せ」みたいな話なんです。けれど、やっぱり方法論はそれしかないのかもしれません。ちょうど「文藝春秋」(2000年2月号)に、分かりやすい文章があったので書いておきます。
「(作家・司馬遼太郎は)日本と日本人の在り方を、時間(歴史)と空間(地誌)とを自在に往還しつつ問い続けた人でした」
司馬遼太郎と同列にするのもおこがましいですが……。
でも、外に出て初めて分かる自分たちの本当の姿。そこにたどり着くための道しるべとして、このページが役立ったら幸いです(ただし、個々の素材に関する解説はしません。だって、原点にたどり着くまでの道は、これはもう人それぞれの意識によって明らかに違いますから)。
2000年1月16日
参考までに司馬遼太郎が毛嫌いした「日本の近代」(日露戦争から始まり、特に昭和7〜8年から昭和20年)の描写を書いておきましょう(『この国のかたち』より)。
ともかくも山を登り続けて不意に出くわした《巨大な青みどろの不定形なモノ》……
《その粘膜質にぬめったモノだけは、色がある。ただし、ときに褐色になったり、黒い斑点を帯びたり、黒色になったりもする。割れてささくれた爪もそなえている。両眼が金色に光り、口中に牙もある。牙は、折れている。形はたえず変化し、とらえようがない。わずかに息づいているが、言えそうなことは、みずからの力ではもはや人里には出られそうにないということである。
君はなにかね、ときいてみると、驚いたことにその異胎は、声を発した。「日本の近代だ」というのである》
こんな時代はイヤでしょ?
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