作家の田山花袋は、大正12年(1923年)、関東大震災を経験します。
当時はまだ田舎だった代々木の田山家は、それほど被害がありませんでした。しかし、そこから歩いて行った新宿は、大混乱でした。
その後、東京中を歩き回って被害状況を見て回った田山は、大正13年4月、震災の経験談『東京震災記』(博文館)を刊行します。
本サイトでは、その本から一部引用して公開しておきます(著作権は消滅)。
《私達は未だにその話から、気分から、心持から全く離れて来ることが出来なかった。何ぞと言っては、すぐ話がそこに落ちて行った。
『本当にどうしようかと思った! この世の終りかと思った! 今にも大地が裂けて、躯がその中に落ちてしまうかと思った!』
そんなことが寄ると触ると出た。
そしてそれに続いて、きまって被服廠の死屍(しがい)の話が出た。それにしても何という凄しい光景だったろう? 私は今でもはっきりとその隅田川に添った焼跡を眼の前に描き出すことが出来た。また火に追われた人達が岸頭の舟にすらその安全な避難所を求めることが出来ずに、止むなく水に赴いたさまを眼の前に浮べることが出来た。
否、そこらの人達は8、9時間の長い間を水に浸って、辛うじてその死を免れたというではないか。
否、半ば焼け落ちた橋桁にも後には鎚(すが)ることが出来なくなって、ばたばたと水に落ちて溺れたというではないか。
そして誰かその日の朝に——その9月1日の朝にそれを想像したであろうか。そうした凄じい災害が、危難が、死が数時間の後に追って来ていることを想像したであろうか。それを思うと、私は眼の眩めき、心の轟くのを禁(とど)めることが出来なかった。》
『東京震災記』は、こうして東京の惨状を描いていきます。