本邦「ステンドグラス」の世界
宇野澤辰雄と小川三知

旧門司三井倶楽部(1921年)の帆船のステンドグラス(作者不明)
1924年3月19日、現在の取手市上空で、日本海軍が所有する飛行船「SS式3号」が爆発を起こし、事故原因の調査がおこなわれました。
担当したのは、「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉で知られる物理学者・寺田寅彦です。のちに、世界で初めて人工雪の製作に成功する中谷宇吉郎は、当時学生で、寺田の実験を手伝っていました。
事故原因は、無線通信で発した火花が、アルミニウムを塗った球皮を伝わって水素ガスに引火したと結論づけられました。ある日、査問会のために海軍省を訪れた中谷は、海軍省の荘厳さに驚き、こう書いています。
《海軍省は初めてだったもので、円天井の高さと、ステンドグラスに一寸肝をつぶした。》(「寺田寅彦の追想」)
海軍省は、鹿鳴館や三菱一号館を作ったジョサイア・コンドルの設計で、1894年(明治27年)に完成しています。

海軍省
海軍省は、1945年に空襲で炎上しているため、ステンドグラスは残っていません。
それにしても、学生が「肝をつぶした」ほどのステンドグラスは、いったい誰が作ったのか。答えは、ドイツで修業し、日本で初めてステンドグラス業を立ち上げた宇野澤辰雄です。日本のステンドグラスは、この宇野澤と小川三知の2人が作ったといっても過言ではありません。
そんなわけで、今回は日本のステンドグラスの歴史を振り返ります。

東北電力奥会津水力館「奥会津讃歌」
山口県には、瀬戸内海の海上交通を監視するための番所として、3つの関があります。これを「防長三関」と呼び、都に遠いほうから下関、中関、上関の地名で知られます。その上関には、全国でも珍しい4階建ての擬洋風木造建築「四階楼」が残されています。
四階楼は、回船問屋を営んだ小方謙九郎が、迎賓館として、明治12年(1879年)に建設したものです。外観は漆喰の白壁で、内部の壁は唐獅子牡丹や鳳凰の鏝絵(こてえ)で装飾されています。そして、4階の窓には美しいステンドグラスが。夕方になると、外の光が美しい色となって床を彩ります。
このステンドグラスは、フランス製です。当時は、日本ではまだ板ガラスが作れなかったので、輸入するしか入手方法がなかったのです。

四階楼のステンドグラス
日本では、16世紀にオランダからガラス製造技術が長崎に伝わっており、1750年頃には大阪でガラス製造が始まっています。江戸では、大阪のガラス製造を学んだ皆川久兵衛が、1839年に「加賀久」として独立、ガラス製造を始めました。加賀久は、金剛砂でガラス面に彫刻する切子細工を開発したことで知られます。
しかし、板ガラスの製造技術はありませんでした。日本初の西洋式のガラス工場は、1873年の「興業社」ですが、なかなか軌道に乗らず、1876年に工部省に買収されて「品川硝子製造所」となります。佐賀藩士だった藤山種広などが技師として活躍しますが、それでも失敗。日本で最初に板ガラスが作れるようになるのは、1909年、旭硝子の開発成功まで待つ必要がありました。

旭硝子のベルギー式板ガラス製造
日本の建屋は障子・ふすま・板戸で部屋を仕切り、外光は和紙を通して採り入れます。そのため、ガラスは、明治になって登場した教会と擬洋風建築を中心に普及しました。
1873年、キリシタン禁教が解かれたことで、各地に建設された教会にステンドグラスが採用されていきます。もっとも有名なのが、国宝である長崎の大浦天主堂(1864年完成)で、祭壇の後方には十字架のキリストのステンドグラスが輝いています。
大浦天主堂のステンドグラスは原爆で大破しており、また内部は撮影禁止なので、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産である「頭ヶ島の集落」にある頭ヶ島天主堂のステンドグラスを紹介しておきます。

頭ヶ島天主堂のステンドグラス(1919年完成)
頭ヶ島天主堂は1919年(大正8年)に完成しました。ステンドグラスの作者は不明ですが、設計した鉄川与助はフランス人宣教師に師事しているので、ヨーロッパ製だと思われます。

フランスの寄付で作られた聖ザビエル天主堂(1890年完成、明治村)
一方、擬洋風建築は、ホテルや小学校、役場などとして建てられました。そのとき、ステンドグラスが使われることもありました。たとえば、長野県佐久市にある旧中込学校(1875年完成)には色鮮やかなステンドグラスの丸窓があります。当時はガラスがきわめて珍しく、「ギヤマン学校」として見学する人が絶えなかったと記録されています。
設計は、アメリカで西洋建築を学んだ地元出身の大工・市川代治郎がおこなったので、ガラスはアメリカ製なのかもしれません。なお、当時のステンドグラスは色ガラスではなく、ガラスにペンキを塗ってステンドグラスに見せたものでした。

旧中込学校
このように、日本のステンドグラスは、ヨーロッパとアメリカからの輸入品がほとんどでした。では、国産品はどのように誕生したのか。日本のステンドグラスは、宇野澤辰雄と小川三知の2人が確立したとされますが、これもまた、ヨーロッパ系(宇野澤)とアメリカ系(小川)の流れを引いています。
まずはヨーロッパ系(正確にはドイツ)から見てみます。明治政府は、欧化政策の一環として建物を西洋風に作ることから始めます。当初は、外国から建築技術者、いわゆるお雇い外国人を招聘しました。
1886年(明治19年)、外務大臣・井上馨が、首都にふさわしい官庁街を造ることを主張し、臨時建築局を設置。ドイツ人建築家ヴィルヘルム・ベックマンを招き、国会議事堂をはじめ、大規模な中央官庁街を日比谷近辺に建設する計画をスタートさせます。いわゆる「官庁集中計画」です。
しかし、日本人技術者のレベルが低かったことから、ベックマンは日本人の建築家と職人およそ20人をドイツに派遣し、技術を学ばせることになります。このときのメンバーに、東京職工学校(のちの東京工業大、現在の東京科学大)を卒業した山本辰雄(のちに養子入りして宇野澤辰雄)がいました。
宇野沢は、ステンドグラスの研究を命じられて、ベルリンの工場で4年間実技を学びました。帰国後、東京府庁舎、海軍省、司法省、大審院などの建物で、ステンドグラスやエッチングガラス(彫刻ガラス)を使いました。

参議院・中央広間の四方の壁にある半円形ステンドグラス(直径は約6メートル)
宇野沢は1911年に亡くなりますが、彼が遺した「宇野沢ステインド硝子工場」は、国会議事堂(1936年完成)の天井などのステンドグラスを手がけました。このほか、横浜市開港記念会館や起雲閣(熱海)、万平ホテルのステンドグラスも同工房の作品です。

起雲閣のステンドグラス
実は新宿・伊勢丹にも宇野沢のステンドグラスがあります。こちらはカラフルな色ガラスを使わず、片面に凹凸模様をつけた「型板ガラス」を組み合わせて、上品で独特な質感を出しています。

伊勢丹のステンドグラス
『明治工業史 化学工業篇』には、宇野沢はその技術を別府七郎に伝えたと書かれています。別府七郎が創業した別府製作所は、旧警視庁のステンドグラスで知られます。
このほか、宇野沢の弟子で言うと、
・木内真太郎の大阪怡光社(旧マカスリン礼拝堂、都ホテル食堂、大阪市中央公会堂、岐阜県庁など)
・三崎弥三郎の東京怜光社(石川組製糸西洋館など)
・松本三郎の松本ステインドグラス製作所(清泉女学院チャペルなど)
が知られます。いずれも国会議事堂のステンドグラスに関与していますが、修復は、現在も松本ステインドグラス製作所が担っているようです。
なお、木内真太郎は有名な作品を数多く遺しています。たとえば、愛媛県にある「萬翠荘」。旧松山藩主の子孫・久松定謨伯爵が1922年(大正11年)に建てた洋館で、本格的なルネサンス様式で知られます。部屋のドアの上には、花や植物をモチーフにしたステンドグラスが飾られています。優美な曲線が多用されており、当時フランスで流行したアール・ヌーボー様式だとわかります。特に有名なのが、正面の大階段の踊り場にある「帆船とカモメ」。高さ4.4メートル、幅3.1メートルの大作です。

萬翠荘のステンドグラス
小川三知は、東京美術学校(現・東京芸大)で狩野派の絵師・橋本雅邦に日本画を学び、卒業後は絵画の教師をしていましたが、1900年、シカゴ美術院に職を得て渡米。ステンドグラスと出合い、11年間にわたってアメリカ各地で修業を重ねました。作品は、出世作となった慶応大学図書館(1945年焼失、1974年復元)、国立科学博物館、旧横須賀鎮守府長官官舎、氷川丸などが知られます。

国立科学博物館のステンドグラス

黒沢ビル(東京・上野)のステンドグラス
小川の作品は個人宅に設置されたものも多いのです。歌舞伎座の設計者・岡田信一郎と親交があり、岡田が個人宅の設計を受けると、その伝手でステンドグラスを作ることもあったからです。
有名なところでは、旧制中学からの親友だった鳩山一郎邸(現・鳩山会館)のステンドグラスが知られます。また、村井五郎邸(1926年)の玄関脇ホールには『国性爺合戦』の登場人物・和唐内(鄭成功)の図があり、これは現在、歌舞伎座タワーに展示されています。

『国姓爺合戦』の名場面、伊勢の神札を手に猛虎に立ち向かう「千里ヶ竹の虎退治」
小川三知の弟子としては、玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)のステンドグラスを作った羽渕紅洲(はぶち・こうしゅう)が知られています。
羽渕は、『建築と社会』(1963年6月号)でインタビューに応じています。それによると、小川に3年間師事した後、第1期生として卒業。1924年から大阪の画家・鶴丸梅太郎のもとで働き、画伯の死後、ベニス工房を譲りうけて独立しました。工房の名前は、ガラスの生産地イタリアのベニスから取っていますが、ベニスも大阪も「水の都」と言われることも大きかったようです。もちろん、紅洲というペンネームもべニスから来ているはずです。

玉造教会のステンドグラス
(左から「洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼」「無原罪のマリア」「受胎告知」「幼子イエス、神殿に奉献される」)
左上の絵画は堂本印象による「ガラシア夫人の最期」
小川三知には門下生が20人以上いましたが、技術を伝承しているのは羽渕のみで、戦争中も「技術保存保護者」に認定されたため、徴兵されなかったとのことです。なお、インタビューでは、エッチングガラスの創始者だとも書かれています。

ダイヤモンドルーターで彫刻する「エッチング」
このように、日本のステンドグラスはドイツ系とアメリカ系があるわけですが、両者はどう違うのか。
これについて明確な定義はないようですが、ドイツ系は、教会などにみられる重厚な作風で、陰影の深い、鮮やかな色合いが特徴です。ガラスの透明感が強く感じられます。
一方のアメリカ系は、ルイス・カムフォート・ティファニーが考案した乳白色ガラス(オパールセントグラス)を多用することで、柔和な雰囲気のものが多いようです。色は淡く、光のグラデーションが際立ちます。また、ランプシェードのような曲面も採用されました。

オパールセントグラスを使ったステンドグラス(カリフォルニア州議会)
小川三知自身は、《アメリカ式ステンドグラスは、主としてオパールセントグラスの複雑な色彩を使用する。釉薬(ゆうやく)の補助で現れる線や濃淡を用いない。そのため、絵はなるべく簡単にし、色彩はなるべく複雑なものにする》(『モザイク及ステインドグラス』を意訳)としています。
ただ、たとえば、渋沢栄一の喜寿を記念して作られた「誠之堂」のステンドグラスは宇野澤が制作していますが、オパールセントグラスも使われており、両者の区別は厳密なものではありません。

ティファニー工房のランプシェード(蔵王山展望台「あかりの展示ブース」)
宇野澤は教会や官公庁、工場などの需要が多く、小川は民間建築の需要が多いのも、それぞれの特徴を考えれば納得です。
そんな小川三知の最高傑作が、青森県・津軽の旧宮越正治邸に残されています。

宮越邸(青森県)のステンドグラス
個人宅なので正確な場所は公開されていませんが、離れ「詩夢庵」の12畳の座敷には、4枚のガラス障子に左から青緑黄のアジサイ、真珠色のモクレン(コブシ)、朱色のケヤキが施されており、夏は緑、冬は雪の白を庭の借景として楽しめるようになっています。

宮越邸のステンドグラス(モクレンの拡大写真)
そして、大きな円窓には、帆掛け船と松を配した十三湖の風景が描かれています。これは、特殊なガラスを何枚も重ねることで、水面に微妙な色合いを出しています。また、風呂場には、風にそよぐ川柳の枝にとまるカワセミが描かれています。

円窓に描かれた「十三湖」
さて、近年、パブリックアートが普及し、空港や駅などに大規模なアートが展示されることが増えました。
ステンドグラスの作品で言えば、たとえば、青森空港には2021年、縦2.4メートル×横5.9メートル×2面の作品ができました。作品には、ねぶた祭やリンゴ、十和田湖などが描かれています。

青森空港「青の森へ」
米子空港には、2016年、水木しげるの妖怪キャラが描かれたステンドグラスが作られました。こちらは縦2.8メートル×横10.2メートルと非常に大きなものになっています。

米子空港「妖怪たちの森」
両方とも、パブリックアートの普及を目指す「日本交通文化協会」が企画して、実際の制作は「クレアーレ熱海ゆがわら工房」が担っています。
このほか、大規模なものを制作する工房としては、工芸家・臼井定一が創立した「ステンドグラスバロック」も知られています。宮崎ブーゲンビリア空港の「神の光 生命の国 愛の花」(縦3メートル×横21メートル)や、東北電力の奥会津水力館の「奥会津讃歌」(縦2メートル×横7メートル)あたりが有名な作品です。

宮崎空港「神の光 生命の国 愛の花」
このように、新しいステンドグラスが次々と作られる一方で、歴史的なステンドグラスは、いまも丁寧に修復されながら、後世に残されているのです。
制作:2026年7月27日
<おまけ>
世界最古のステンドグラスは、ドイツ・アウグスブルク大聖堂のもので、旧約聖書に登場する5人の人物を描いた表した12世紀初頭の作品だと考えられています。破片の形では、やはりドイツのロルシュ修道院で見つかった9世紀のものだとされます。

アウグスブルク大聖堂のステンドグラス(小川三知『モザイク及ステインドグラス』より)
なお、ステンドグラスはキリスト教会だけでなく、イスラムのモスクでも常用されてきました。トルコにあるスルタンアフメット・ジャーミイのステンドグラスなどが有名です。日本でも、東京ジャーミイ(トルコ文化センター)などでは、美しいステンドグラスが見られます。

スルタンアフメット・ジャーミイ(トルコ)のステンドグラス