知られざる「石油備蓄」
オイルショック後のエネルギー確保
石油は日本経済の必需品
1990年8月、イラクがクウェートに侵攻し、湾岸戦争が勃発します。
再び石油ショックが起きるのかと、世界中が戦争の動向を注視しましたが、幸いなことに大きな混乱はありませんでした。
なぜかというと、このとき、国際エネルギー機関(IEA)指揮の下、各国が備蓄している石油を放出したからです。
日本も、民間備蓄から35万バレルを取り崩し、市場に放出。これは日本全国の消費量の4日分に相当しました。
借り上げ民間タンク(昭和シェル石油、新潟)
日本中からトイレットペーパーが消えたという「オイルショック」(1973年〜)を教訓に、1974年にIEAが設立され、日本でも1975年に石油備蓄法が整備されました。
現在、日本は以下の石油量を備蓄しています。
●国家備蓄 127日分(4708万キロリットル)
●民間備蓄 85日分(3150万キロリットル)
●産油国共同備蓄 4日分(138万キロリットル)
合計 215日分
こうした備蓄を、日本はこれまで第2次石油ショック(1979〜)、米国がハリケーン「カトリーナ」の被害にあった2005年などに放出しています。
JXTG根岸製油所(神奈川県)
現在、日本の国家備蓄基地は10カ所ありますが、国家備蓄の第1号は、「むつ小川原国家石油備蓄基地」(青森県)です。
建設費は用地取得費を除いて1620億円。高さ24m、直径81.5mと、野球場よりちょっと小さいくらいの貯蔵タンク51基に491万キロリットルの原油(国内消費の12日分)が備蓄されています。
この基地は沿岸部になく、タンカーが接岸できないため、沖合3kmの海上にタンカーを係留させ、そこから海底パイプライン(4km)→中継ポンプ基地→陸上パイプライン(8.2km)を経由して原油をタンクに送りました。
このとき「一点係留ブイバース」といって、ブイを中心にタンカーが360度回転できる仕組みが使われました。これは日本初のチャレンジです。
むつ小川原国家石油備蓄基地
むつ小川原の次は「苫小牧東部」(北海道)で、ついで「白島」(福岡県)が決まりました。
白島は世界初の洋上石油施設で、総事業費は約4300億円。1984年に着工されたものの、漁業補償金の配分をめぐる背任疑惑、防波堤の決壊などゴタゴタが続き、ようやく1996年に完成。
空撮した白島国家石油備蓄基地
結局、世界初の洋上石油備蓄基地は、1988年9月に完成した長崎・五島列島の「上五島」になりました。
これは、海面を防波堤で仕切った上で、メガフロート(巨大な箱型の貯蔵船)5隻を係留するものです。貯蔵船は1隻あたり長さ390m、幅97m、深さ27.6mで、最大貯蔵能力は88万キロリットル。
上五島国家石油備蓄基地
上五島は、漁業補償交渉がすんなり決まったことで、迅速な建設ができました。
当時の報道によれば、国から県・地元自治体に合計40億円が交付されました。そして、
(1)県は漁協の経営安定資金として総額11億円を貸し付ける
(2)県は国からの交付金8億円のうち6億円を施設の整備費にあてる
などが決まりました。
実は、原発同様、こうした国家施設には、その後もずっと交付金が支払われます。
たとえば、2016年度でいうと、上五島には「消防車整備事業」2800億円、町道改良事業3695億円など、ざっくり1億円が交付されています(資源エネルギー庁「石油貯蔵施設立地対策等交付金」関連資料による)。
賛否はあれど、結果、町は豊かになるので、備蓄基地が来てよかったと思う人は、案外、多いのです。
なお、メガフロートは「船舶安全法」に基づき、12年に1回、検査を受けなければなりません。上の写真で、「上五島4号」は完全に沈み、「上五島3号」はずいぶん浮いてますが、これは検査直後でまだ原油が満たされてないからです。検査のときは、1隻ずつ切り離して、長崎の三菱重工まで曳航、約3カ月かけてメンテナンスされます。「上五島3号」の修繕風景はこちら。
メンテナンス中の「上五島三号」(三菱重工)
さて、民間備蓄が始まったのは1972年、国家備蓄が始まったのは1978年ですが、まもなく世界的な原油余りを受け、備蓄の意味合いが薄れてきました。原油代を除き、ざっと2兆円の国家予算をつぎ込んだものの、意味がなかったという意見も増えてきました。
その理由のひとつが、これまで国家備蓄が、訓練を除き、一度も放出されたことがないからです。湾岸戦争などで放出されたのは、いずれも民間備蓄なのです。
いったいなぜか。
実は、国家備蓄の放出には非常に大きな問題があるのです。
それは、国家備蓄のほぼすべてが「原油」という点。
原油は、精製しないと使いみちがありません。
精製はわりと単純で、原油を350度で加熱して蒸留するだけです。石油蒸気を沸点の低いものから順に分けると、一番軽いのがLPガス、沸点30℃〜180℃でガソリン・ナフサ、170℃〜250℃で灯油、240℃〜350℃で軽油、そして、最後に残ったものが重油やアスファルトになります。
そして、この重油部分は約4割もあるのです。重油は船の燃料や火力発電所で使われますが、緊急時に一番使われるガソリン、灯油、軽油などの「白油」としては、備蓄の約6割しか使えません。そのため、これまでは、民間備蓄の白油を放出してきたのです。
白油を製造するJXTG室蘭製造所(北海道)
さらに、備蓄放出自体が簡単にはできません。『日本の石油備蓄』という本によれば、原油備蓄が製品として流通するまでに、以下のようなステップを踏むことになります。
・原油備蓄の放出決定
↓備蓄原油の受け渡し条件の設定
↓対象タンクの開封
↓原油タンカーの手配
↓原油出荷作業
↓製油所への輸送
↓原油荷揚げ作業
↓原油の精製
↓半製品の製品化
↓製品タンカーの手配
↓流通市場への出荷
火急な対応は、とても不可能ということです。
東電の姉崎火力発電所(千葉県)
とはいえ、もう何十年も備蓄してきたおかげで、原油が高騰している今となっては、かなりのアービトラージ(差益取引)を確保しているのも事実。
現在、原油価格は1バレル70ドルほどですが、2008年には133ドルを記録したこともあります。ですが、国家備蓄分は1バレル17ドルという安値で手に入れています。運送費など必要経費を上乗せしても、大儲けといっても過言ではないのです。
さて、白島基地は、北九州市の沖合にあり、もし原油が流出すれば、北九州から下関まで膨大なエリアに被害が出ます。上五島はまだ島に囲まれていますが、白島は波の高い響灘にあります。
かつてメキシコ湾で大規模な原油流出事故が起きましたが、ここは大丈夫なのでしょうか?
東日本大震災では、コスモ石油の千葉製油所で爆発が起きましたが、こうした心配はないのでしょうか?
炎上から3カ月の千葉製油所(2011年6月)
前述のとおり、メガフロートは「船舶安全法」により、貯蔵基地は「消防法」や「石油コンビナート等災害防止法」で対策が義務づけられています。
もしメガフロートで火災が起きて高圧になると、「放爆ハッチ」が開いて船体の大破を防ぐとされています。また防波堤は100年に一度の大波に耐えうる設計と説明されています。つまり、原油流出事故は想定されていないのですが、気候変動が激しくなった現在、こればっかりは絶対大丈夫だとは言えないでしょうねぇ。。。
制作:2018年9月17日
<おまけ>
メガフロートは、白島では日立造船が中心となり、三菱重工、石川島播磨(当時)連合で建設しました。上五島では三菱重工が中心となって製造しました。
石油備蓄だけでなく、かつては米軍普天間基地返還にともなう代替ヘリポート(長さ1.5km)に利用する案もありましたが、これは実現しませんでした。
ちなみに、長さ300m、幅60mの構造物で実験したところ、台風で2.8mの波が襲ってきても、揺れは一番外側で36cm、真ん中では15cmでした。
一方、長さ5kmの浮体に高さ1mの波が当たると、端が20〜30cmたわみますが、破損はしないだろうと予測されています。こうしたリスクに対する技術開発はほぼクリアしていましたが、残念ながらメガフロートの活用が進むことはありませんでした。
たとえばなんだけど、中国ともめている東シナ海のガス田に設置すれば、格安で資源開発できるんだけどね!
白島国家石油備蓄基地の貯蔵船