幻の東京「地下鉄」路線図
関東大震災による「ルート」の変遷

銀座線の地下鉄工事
地下鉄工事(現在の銀座線、浅草側の現場)


 日本一の観光名所とも言える浅草・雷門は、幕末の1865年(慶応元年)、近所の失火により延焼してしまいました。
 その後、95年間も再建されませんでしたが、1960年(昭和35年)、松下電器(パナソニック)の創業者・松下幸之助個人の寄進により再建されました。そのため、巨大提灯に「松下電器」の名が入っています。

 雷門には、「金龍山」の扁額が掲げられていますが、こちらは門の再建工事を請け負った大成建設が寄贈したものです。

雷門
雷門


 大成建設と浅草には縁があり、日本初の地下鉄は1927年12月30日に開業した、浅草〜上野間4駅ですが、この工事を請け負ったのも大成建設(当時は大倉土木)です。
 
 工事は、地面の上から穴を掘り、後でふたをする開削工法(オープンカット工法)が採用されました。付近の交通に支障が出ないよう、掘ったところに鉄桁を通して、板敷きの仮設道路が作られました。当時、都内の交通の主力は路面電車でしたが、路面電車を止めないよう、作業は深夜の4時間で終わらせる必要があったと伝えられています。

開削工法
開削工法(撮影地不明)


 地下鉄工事は、関東大震災(1923年)の混乱を経て、1925年9月27日に工事がスタート。それから2年後に開業したわけですが、長い時間がかかった理由は、難工事が続いたからです。それまで路面電車や高架鉄道で十分だった東京の交通だけに、もともと地下鉄はそれほど期待されていませんでした。では、いったいどうやって敷設計画が始まったのか。今回はその歴史をまとめ、幻の「地下鉄ルートマップ」を一挙公開します。

日本初の地下鉄車両1001号車(地下鉄博物館)
日本初の地下鉄車両1001号車(地下鉄博物館)


 日本初の地下鉄の設計者・安倍邦衛は、浅草〜上野の地下鉄が開通した翌年の1928年7月、帝国鉄道協会で「東京都市高速鉄道の概観」という講演会をおこなっています。この講演録に、東京の高速鉄道の初期の開発史が図版入りでまとめられているので、これをもとに、どのように地下鉄ルートが決まっていったのか紹介します。なお、この講演における「高速鉄道」は地下鉄だけでなく高架線も含まれています。

 地下鉄の事業計画は、1906年(明治39年)12月、福澤諭吉の婿養子にあたる福澤桃介が設立した「東京地下電気鉄道会社」が、延長12マイルあまりの建設経営を出したことから始まります。

 さらに中央本線の前身・甲武鉄道への投資で莫大な利益を上げた雨宮敬次郎らが、同年同月、「日本高架電気鉄道会社」で高架線敷設を願い出ています。これは、地盤のいい山の手は地下鉄を作れるが、地盤の悪い下町は高架線しか作れないという発想から出願されたものです。しかし、いずれの民間企業も許可はおりませんでした。

 これは、当時の東京の交通機関が、馬車鉄道からようやく路面電車に変わった時代で、誰も大規模な都市型交通について想像が追いつかなかったからだと思われます。

 東京の地下鉄について、最初に組織的に研究されたのは、鉄道協会と土木学会の連合委員会でした。この委員会が、1917年(大正6年)公表したのが、ほぼ日本初の路線図です。

ほぼ日本初の地下鉄路線図
大正6年、ほぼ日本初の地下鉄路線図(「東京都市高速鉄道の概観」より)



 1919年、東京市区改正委員会は、新たな路線図を策定し、委員会で議定のうえ、内閣告示をしています。この路線案では4つの直線路線と3つの放物線路線が描かれており、総延長は45.5マイルとなっています。

 当時は第一次世界大戦による好景気で、1919年から1920年の間に、「東京地下鉄道」など4社に分割して免許が与えられました。ところが、戦争が終わるとまもなく経済は冷え込み、結局、「東京地下鉄道」の免許線路の一部だけが存続することになりました。これが、前述の浅草〜上野間の地下鉄です。

大正8年の地下鉄路線図
大正8年の地下鉄路線図



 1923年9月1日、関東大震災が起き、東京市は復興計画の一つとして、市営高速鉄道の運営も視野に入れることになります。こうしたなか、前述した安倍邦衛は、東京の復興について「高速鉄道」つまり地下鉄を主軸に考えるべきとの意見を提起します。以下、雑誌『電気』(第4巻6.7月合併号、1924年6月)に掲載された、地下鉄と高架鉄道のメリットの比較です。

【地下鉄のメリット】

(1)高架線は街を占有し、一般交通を阻害し、爆音を発散し、光線を遮り、かつ付近の商業を滅亡させるが、地下鉄はこれとまったく反対である。
(2)高架線は付近の地価を低下させるが、地下鉄は反対に騰貴させる。
(3)高架線が用地を収用する場合は永久に土地を占有するが、地下鉄はそのようなことはない。
(4)土地を収用して高架線を作る場合、建設費は、通例、地下鉄よりはるかに高額である。
(5)地下鉄は高架線に比べ、経済的寿命が長久である。それゆえ、減債基金は小額で足る。
(6)平面交差を避けるのが容易で、連絡駅の配線を便利にするのは、地下が高架に勝っている。
(7)道路交差点の屈曲(カーブ)および分岐線を作る場合、高架線は著く街路を塞ぎ、土地の収用も必要となる。
(8)高架線は、往々にして付近の火災、爆発、騒擾(そうじょう)そのほかの余波をこうむり、運転中止または建造物の毀損を受けるが、地下鉄にはこうした害はない。
(9)地震に対する安全度が地下鉄のほうが優れる。
(10)高架線の事故は付近に損害を及ぼし、また道路交通を支障するが、地下鉄はそのようなことはない。
(11)運転費・保存費は路面電車、高架線に比べ、地下鉄のほうがはるかに低い。
(12)特殊なほど深い地下でない限り、昇降は、高架に比べ一般的に容易である。
(13)雨露氷雪で、運転に支障を及ぼし、乗客の乗降に困難を生じることがない。
(14)事故の回数は、高架に比べてきわめて少ない。
(15)運転速度も、高架に比べて一般的に優れている。 一例としてニューヨークの例をあげれば、

・地下鉄(急行線):時速25マイル(1マイルは1.6km)
・地下鉄(各駅停車):時速18マイル
・高架道路:時速15マイル
・蒸気機関車の平均:時速21マイル
・路面電車:時速5〜9.5マイル
※東京の市街電車:時速6.4マイル
※東京の人力車:時速5.5〜6.5マイル

高架鉄道跡(2006年、旧万世橋駅付近)
高架鉄道跡(2006年の旧万世橋駅付近、現在はモール化)

【高架線のメリット】

(1)両側家屋より約100フィート(30メートル超)を隔てて敷設すれば、付近の地価を低落させない。
(2)高架線の保守では、照明、通風、排水、および糞尿処理に要する費用が少ない。
(3)輸送能力を増大させたり拡張させたりする場合、地下鉄に比べて容易である。
(4)用地を買取する以外、欧米では一般的に地下鉄に比べて建設費がはるかに少ない(ただし、東京においては耐震構造を要するから、必ずしもそうとは言えない)。
(5)高架線は地下鉄に比べて建設期間が短い。
(6)高架線は地下鉄に比べて、地中埋設物の改造や移転を要することが比較的少ない。
(7)高架線は、乗車中、地下鉄に比べて爽快で、乗客に騒音を与えることが少ない。
(8)従業員は、地下鉄で働くより衛生的で、日常の就務に身心を労することが少ない。

 いずれも一長一短ありますが、高架線に比べ、地下鉄のほうがはるかにメリットがあると指摘しています。こうして、日本初の地下鉄は1925年9月27日に工事が始まるのです。

 さて、その直前の1925年1月、東京市長の中村是公(夏目漱石の親友)は、市議会の議決を経て、東京全市および近郊にわたる6路線、総延長50マイル余の高速鉄道の建設出願を提起しています。この出願案は、震災復興のため従前の計画路線とは異なったもので、さらに「東京地下鉄道」の免許残存線ともかぶらないものでした。

 東京の都市計画を主管する復興局では、この新案を協議のうえ、さらに改定を加え、1925年3月、特別都市計画委員会で議定のうえ、内務省告示をします。総延長は50マイル余り。このうち、「東京地下鉄道」の免許残存線(1号線)を除き、残り4路線を東京市営事業として建設・運営していくことになりました。

 路線を書いておくと、

1号線:押上〜上野〜新橋〜五反田
2号線:南千住〜目黒
3号線:巣鴨〜新橋〜渋谷
4号線:大塚〜御徒町〜四谷〜新宿
5号線:池袋〜飯田橋〜東京〜須崎

 となります。


大正14年「内務省告示」地下鉄路線案
大正14年「内務省告示」案



 これに対し、安倍はもっと交差する場所がないと不便だとして、私案も掲載しています。「内務省告示」の大きな欠陥として

●私案Eの交点がなくなったことで、高田馬場方面から丸の内に行くのがきわめて不便
●3号線が日本橋(東京駅の東)ではなく丸の内(東京駅の西)を通ることで、1号線との乗り換えが不便
(1号線と3号線が新橋や須田町で接近しておきながら乗り換えできない)

 などをあげています。3号線がなぜ日本橋を通らなかったかというと、1号線の路線とかぶるからという政治的なものでした。東京の地下鉄は、こうしたさまざまな思惑のうえで作られていったのです。

日本初の地下鉄の設計者・安倍邦衛の路線私案
安倍私案


制作:2025年4月14日


<おまけ>

 かつて、東海道線の始発は新橋で、東北線の始発は上野でした。それは、以前は新橋と上野がつながってなかった名残です。
 新橋と上野がつながったのは、1914年(大正3年)12月に東京駅が開業したからです。これは高架線で作られたのですが、安倍はこのことを地下鉄との乗り換えが不便になったとして、強く疑問視しています。

 また、郊外に広がる私鉄を都心に乗り入れさせることも反対しています。その理由は、「都市圏が拡大したら地下鉄を延伸させて勢力範囲を広げるべきで、いまある郊外鉄道を先に都心に乗り入れさせたら、都市の拡大が圧縮傾向になり、都市の進展と相容れない。そのうえ、交通網そのものの混乱をもたらす」というものでした。現在では、ちょっと腑に落ちない理由ですが、これをみても交通インフラ建造の難しさがわかりますね。

将来的な地下鉄路線網の拡大予想図
将来的な路線網の拡大予想図
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