文学者が見た敗戦の記録


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高見順



 作家の高見順は、大正8年(1919年)11日から日記を書きはじめます。死の直前まで続いた日記は、原稿用紙14000枚に上るほどの膨大な量となりました。
 特に、昭和20年「敗戦の日」近辺の日記は、貴重な文献資料として高く評価されています。

 高見順は昭和40年(1965年)817日に死去。著作権の存続期間は50年であり、201611日付けで、高見のすべての著作権が消滅しました。
 そこで、探検コムでは、昭和208月の日記を全文公開します。

 主な内容は

 ○87日 初めての原爆論議
 ○89日 原爆を「仁丹」と呼称、ソ連の対日宣戦情報を入手
 ○814日 原爆への対処として友人が「全身白」の洋服を着ている
 ○815日 敗戦と玉音放送
 ○818日 作家が恋愛を書くことを禁止された時代があったとの感傷
 ○822日 文報(日本文学報国会)から久しぶりの月給をもらう
 ○825日 空を飛ぶ敵機に悔しい思い、すき焼きを食べる 
 ○829日 占領軍相手の「特殊慰安施設」の広告募集

 などです。
 なお、底本は『敗戦日記』(文春文庫)です。読みやすさを優先し、算用数字を採用、さらに任意に段落をつけました。また、一部の漢字を旧字から新字に変更しています。

 文章が膨大なので(文庫で60ページ分)、8月1日〜9日、10日〜14日、15〜21日、22日〜30日と4分割しています。