高見順
作家の高見順は、大正8年(1919年)1月1日から日記を書きはじめます。死の直前まで続いた日記は、原稿用紙1万4000枚に上るほどの膨大な量となりました。
特に、昭和20年「敗戦の日」近辺の日記は、貴重な文献資料として高く評価されています。
高見順は昭和40年(1965年)8月17日に死去。著作権の存続期間は50年であり、2016年1月1日付けで、高見のすべての著作権が消滅しました。
そこで、探検コムでは、昭和20年8月の日記を全文公開します。
主な内容は
○8月7日 初めての原爆論議
○8月9日 原爆を「仁丹」と呼称、ソ連の対日宣戦情報を入手
○8月14日 原爆への対処として友人が「全身白」の洋服を着ている
○8月15日 敗戦と玉音放送
○8月18日 作家が恋愛を書くことを禁止された時代があったとの感傷
○8月22日 文報(日本文学報国会)から久しぶりの月給をもらう
○8月25日 空を飛ぶ敵機に悔しい思い、すき焼きを食べる
○8月29日 占領軍相手の「特殊慰安施設」の広告募集
などです。
なお、底本は『敗戦日記』(文春文庫)です。読みやすさを優先し、算用数字を採用、さらに任意に段落をつけました。また、一部の漢字を旧字から新字に変更しています。
文章が膨大なので(文庫で60ページ分)、8月1日〜9日、10日〜14日、15〜21日、22日〜30日と4分割しています。