トロリーバスの世界

トロリーバス開通記念乗車券
トロリーバス開通記念乗車券


 1953年に公開された映画『ローマの休日』では、オードリー・ヘプバーン扮する王女が、スクーターでローマの街を疾走するわけですが、その背景に何回もトロリーバスが登場しています。
 すでに著作権が消滅してるので、画像を公開しておきましょう。写真右がトロリーバスで、そこから左手の架線に向かって2本のポールが出ています。これがトロリーバスの特徴です。

ローマの休日
『ローマの休日』より


 トロリーバスは「無軌条電車」と呼ばれ、架線から電気を供給されて道路を走る鉄道を指します。道路なので線路はありません。給電装置を「トロリー」と呼び、見た目がバスそっくりなのでトロリーバスとなります。
 今回は、このトロリーバスの歴史です。

 世界初のトロリーバスの試運転は、1882年4月29日、シーメンス博士によってベルリン近郊のヘレンゼーで行われました。当時の狩猟用の馬車は、当たり前ですが馬が引いていましたが、この車は電線があるだけでした。540mの架線実験は大成功を収めました。

トロリーバス「エレクトロモト」
世界初のトロリーバス「エレクトロモト」
(シーメンス公式サイトより)


 1900年、第3回パリ万博で披露され、1901年にドイツで営業運転が始まりました。その後、ヨーロッパでは広範囲に渡って普及していきます。
 では、日本ではどのように広まっていったのか。

 東京市電気局は、1922年(大正11年)、明治神宮の表参道にトロリーバスを導入する計画でしたが、翌年の関東大震災で中止に。
 その後、日立製作所が1926年に試作車を完成させます。

日立製作所のトロリーバス
日立製作所の試作車(『鉄道ピクトリアル』1956年3月号より)


 日本における営業運転は、1928年(昭和3年)、阪急(当時は「新花屋敷温泉土地会社」)が大阪の花屋敷で1.6kmにわたって敷設したのが最初です。
 その後、1932年に京都、1943年に名古屋で開業しました。

花屋敷のトロリーバス
花屋敷のトロリーバス


 戦後、最初にトロリーバスを導入したのは川崎市で、1951年のことです(愛称は「トロバス」)。
 川崎の工業地帯には、市電や市バスなど公共交通機関がたくさんありましたが、朝夕のラッシュアワーは殺人的な混雑でした。
 そこで、トロリーバスの導入が計画されたのです。

 トロリーバスは、線路がないため建設費が安く、動力源も安い電気が使え、しかもバスより定員が多いという利点がありました。さらに、エンジン音がなくバスより静かで、乗り心地がいいというメリットもあります。
 1952年に東京、1954年に大阪、そして1959年に横浜で開業しました。

池袋駅のトロリーバス
池袋駅のトロリーバス


 東京では、品川〜渋谷〜新宿〜池袋〜王子〜向島〜亀戸〜上野を結ぶ路線として、最盛期50km以上もありました。

トロリーバス
トロリーバス路線図(『交通局50年史』)


 トロリーバスは、当初、鉱山での使用が大きな目的でした。
 鉱山は、通れる道幅が極めて狭く、車体の設計に大きな制限がかかります。そのうえで、コストや安全性を考えると、ガソリンエンジンではなく、電気モーターの採用が望ましいのです。
 鉱山向けの電気モーターとしては蓄電池式とトロリー式がありますが、当時の蓄電池の性能を考えると、トロリーのほうが秀でていました。

 また、通常の電車で採用される電気モーターは、開放形といって、外気で発熱部を冷却できる仕組みです。しかし、外気を取り入れる際、チリが混入するため、定期的な清掃が必要となります。鉱山ではその作業はなるべく避けたいので、全密閉形の電気モーターが開発されました。
 そのため、トロリーバスの保守は、モーターを外さず、継鉄という接触部分のチェック程度で済むため、非常に楽だったのです。

トロリーバスの電気モーター
トロリーバス専用の電気モーター(1932年ごろ)


 トロリーバスには2本のポールが必要です。どうして2本かというと、電気にはプラスとマイナスがあるからです。
 線路があれば、架線がプラス、線路がマイナス(正確には不要な電気を逃がすアース)となります。しかし、線路のないトロリーバスでは、架線に2本つなげるしかありません。しかも、ゴムタイヤで地面と絶縁されているため、車内では、しばしば感電のようなビリッとした感覚があったと言われています。

 さらに、交通機関の多い都市部では大きな問題がありました。踏切などで、鉄道のプラス架線とトロリーバスのマイナス架線が接触すると、ショートしてしまうからです。トロリーバスは、架線の下でしか動けないし、その架線も複雑な様相を呈するという、大きなマイナス点を持っていました。

受電部と集電部(関電トンネルトロリーバス)
受電部と集電部(関電トンネルトロリーバス)


 トロリーポールが架線から外れて立ち往生することも多く、またモーターが車体の下にあるため、大雪や大雨に弱いという欠点もありました。
 結局、モータリゼーションによる大渋滞の発生を受けて、大都市では次々に廃止され、ディーゼルの大型バスに変わっていくのです。

 東京では、1964年に東京オリンピックが開かれ、1967年に美濃部達吉が都知事になると、大幅な都電のリストラが始まります。当時、「都電やトロリーバスは乗客1人運ぶと6円の赤字が出て、毎日2000万円の赤字を出す」と言われており、これがバスや地下鉄の整備につながりました。

 都市部で消えたトロリーバスは、1964年以降、立山黒部アルペンルートの「関電トンネル」と「立山トンネル」で運行されていましたが、2018年11月、関電トンネルが廃止され、現在は立山トンネルのみ残っています。

関電トンネルトロリーバス
関電トンネルトロリーバス


 かつて、都内を走る都電やトロリーバスには「香水電車」がありました。東京都交通局の年表によれば、1955年7月、全線で開始したようですが、車内の冷房がない時代、夏に、香水をかけた造花などを飾ったものだとされています。一体どんな匂いがしたんでしょうか。

 トロリーバスは大気を汚すこともなく、騒音もなく、環境にやさしい乗り物です。最近ではライトレール(低床路面電車)が普及しつつありますが、トロリーバスも、どこかの街で復活したらいいですね!

立山トンネルトロリーバス
立山トンネルトロリーバス

制作:2019年2月3日

<おまけ>

 現在も、トロリーバスは世界中で走っています。
 せっかくなんで、モンゴルと北朝鮮のトロリーバスの写真を公開しときます。

モンゴルのトロリーバス
モンゴルのトロリーバス

北朝鮮のトロリーバス
北朝鮮のトロリーバス

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