青函トンネルと幻の「大間鉄道」

青函トンネル
青函トンネル・先進導抗の掘削作業
(竜飛海底駅の展示写真より)


 北海道にはヒグマやシマリスがいますが、本州にはいません。逆に本州にはツキノワグマ、ニホンザルがいますが、北海道にはいません。このように北海道と本州では生物相が異なっているんですが、これは氷河期にも津軽海峡に水路があったためです。この境界線を「ブラキストン線」と呼んでいます。
 
 青森と函館を結ぶ青函連絡船は、1908年(明治41年)に運航を開始します。1946年には、GHQの命令で連絡船に客車を積み込むようになりました。
 そして、青函トンネルが開通した1988年、JR北海道は連絡船の運行を停止します。

 では、青函トンネルはいったいどのように計画されたのか。それを知るには、今から100年以上遡らないといけません。
 
 津軽海峡は公海なので、他国の軍艦が自由に通行できます。実際、2008年には中国の駆逐艦が航行しており、安全保障上の大きな問題となっています。
 日露戦争では、この海峡をロシアのバルチック艦隊が通過すると想定されており、日本軍は常にこの海峡の防衛に頭を悩ませてきました。

 函館の防衛は、1902年(明治35年)に完成した要塞に始まります。昭和に入ると、北海道・汐首岬と青森・大間崎、北海道・白神岬と青森・竜飛崎の4カ所に砲台が設置され、津軽海峡の封鎖が可能になりました。これらをまとめて津軽要塞と呼んでいます。

汐首岬大間崎
北海道・汐首岬(左)と青森県・大間崎は津軽海峡の最短距離


 津軽海峡は、かつて太宰治が「本州の極地」と書いたとおり、交通の便はきわめて不便でした。軍がいくら強大でも、津軽要塞の維持は簡単ではありません。
 そこで、日本軍はこの地に鉄道を走らせることにします。

 下北半島には、すでに大湊警備府(海軍)のために青森から大湊(むつ市)まで鉄道が通っていました。そこで、1937年(昭和12年)、途中の下北駅から分岐させ、大間まで鉄道(大間線)の建設が始まります。
 一方、北海道側にも、汐首岬に近い戸井から石崎経由で函館まで鉄道が計画されました。両サイドの鉄道が実現すれば、途中、航路を挟むものの、青森から函館までがダイレクトに結ばれることになります。

津軽海峡概念図
津軽海峡概念図(鉄道建設公団資料/『青函トンネルの建設・完成と地域経済の影響』による)


 1939年、鉄道省が中心となって、青函トンネル構想が浮上します。この時点で関門トンネルの工事も進行しており、海底トンネル自体は夢物語ではありませんでした。
 注目すべきは、この段階ではトンネルのルートは竜飛岬ではなく、大間崎だった点です。総距離では10キロ長くなるものの、海面距離はこちらの方が短いので、当然と言えば当然でした。

 しかし、結局、トンネル建造計画は進行せず、大間線の工事も資材不足により、1943年(昭和18年)に中止されます。下北半島の海峡沿いには、あちらこちらに鉄道遺跡が残されました。
大間鉄道廃線跡
大間鉄道廃線跡


 青函トンネルの地質調査は、戦後すぐの1946年に始まります。
 1954年、巨大台風「マリー」によって、青函連絡船の洞爺丸が沈没し、1155人が死亡するという、日本の海難史上最大の惨事が起こりました。
 海底トンネルの建造は、この事故をきっかけに具体化します。

洞爺丸事故の死者
洞爺丸事故の死者


 1958年から30カ所で掘削がおこなわれ、潜水艇「くろしお号」で海底の岩石採取も実施されました。その結果、津軽海峡の地質が非常にもろいことがわかり、ルートは竜飛岬に変更されます。
 そして、1964年から北海道側・吉岡斜抗の掘削が始まりました。

青函トンネル掘削作業
青函トンネル掘削作業(ダイナマイト孔を掘る削岩機)


 青函トンネルは、鉄道を通す本坑と、小さな2本のトンネルの合計3つ掘られます。小さなトンネルの1つは作業抗と呼ばれ、資材や掘削した土砂の運搬に使用されます。もう1本は先進導抗と呼ばれ、地盤の状態を確かめ、排水に使用されます(トンネル完成後は、作業抗は本坑の保守と換気に、先進導抗は換気と排水に使用)。

青函トンネル構造図
青函トンネル構造図(中央が本坑、左が作業抗、右が先進導抗、斜めが斜抗)

斜抗を通る「青函トンネル竜飛斜坑線」(ケーブルカー)
斜抗を通る「青函トンネル竜飛斜坑線」(ケーブルカー)

 
 海底トンネルは、言うまでもなく大きな水圧に悩まされます。青函トンネルの場合、1㎠あたり25kgくらいで、一般の水道(2-3kg/㎠)の10倍に及びます。
 強い水圧で水漏れがひどくなると、トンネルが水没する危険があります。水漏れを防ぐには、海底からなるべく深く掘ればいいのですが、今度は水圧がさらに高くなってしまいます。このあたりの微妙なバランスが非常に重要になります。

 青函トンネルも、4回、異常出水に悩まされました。
 もっとも大きかった出水は1976年5月6日のことです。作業抗で、毎分85トンの水が吹き出してきたのです。結局、本坑に水を流し、先進導抗から排水することになりました。

《電気技術者の加藤勝良は、薄暗いトンネルの中で泥にまみれた握り飯をほおばりながら、泊まり込みで作業を続けていた。
「作業を続けている間に、先進導抗にもあちこちから溢れ出た水が流れ込み始めました。だんだん水位が上がってきて70cmを越えてきたあたりから、こりゃ本当に終わりかなと思いました」》(『プロジェクトX 友の死を越えて』)

青函トンネルの異常出水
青函トンネルの異常出水(竜飛海底駅の展示写真より)


 出水から3日目、本トンネルが水がめの役割を果たしている間に、大きな排水ポンプが稼働し、事態は好転します。しかし、この出水で、作業抗は3000m、本坑は1400mも水没し、復旧作業は162日もかかりました。

 その後、特殊なセメントで漏水を止めながら掘り進む「止水注入」や、コンクリートを施工面に吹付けて壁面を押さえる「吹付けコンクリート」といった技術が開発され、異常出水に悩むことはなくなったのです。

吹付けコンクリート
吹付けコンクリート作業

吹付けコンクリート
左のコンクリ面が吹付けコンクリート。
数字は「コンクリ幅は横30cm、下20cm」の意味

 
 こうして、1983年に先進導抗が貫通し、1985年に本坑も貫通。1987年に青函トンネルは完成し、津軽海峡線は1988年に開業しました。

青函トンネル先進導抗が貫通
青函トンネルの先進導抗が貫通

青函トンネルが貫通
青函トンネルの本抗が貫通
(竜飛海底駅の展示写真より)


 ちなみに、掘削工事中は、関係者の間でアニメ『巨人の星』の替え歌が歌われていたそうですよ。


  思いこんだら試煉の道を 行くが男の ど根性
  世界にほこる50と余キロ 海底深くもくもくと
  血の汗流せ涙を拭くな 行け行け青函健男児

  竜飛が丘に吹き巻く風も 吉岡つつむ冷雪も
  真赤に燃える努力の華と ガッチリ組んだスクラムで
  つらぬけ今日も進むぞ明日も 行け行け青函健男児
 
  青函の地に朝日が昇る 貫通の時今来る
  土に汚れた男の握手 祝いの酒がほほぬらす
  今こそ歌え声高らかに 栄光ある青函健男児


竜飛海底駅に入線する特急「白鳥23号」

 6890億円の巨費をかけて完成した青函トンネルは、全長53.85キロ、海底部分は23.3キロで、営業中の鉄道トンネルとしては世界最長です(スイスで建設中のゴッタルドベーストンネルは57キロで、これが完成したら2位に)。線路は継ぎ目のないスーパーロングレールなので、ガタンゴトンと言わず、シャーという連続音です。
 いまでも海水がしみ出てくるため、毎分20トンの水を排水して、維持管理がおこなわれています。

青函トンネル排水ポンプ
青函トンネルの排水ポンプ

竜飛海底駅の水族館
竜飛海底駅の龍宮水族館
(竜飛海底駅は2014年に廃止)


2013年10月27日


<おまけ>

 青函トンネルの工事が始まったばかりの1965年、シンクタンク「国民経済研究協会」が『青函トンネルの建設・完成と地域経済の影響』という報告書を出しています。

 それによると、当時、青函連絡船で4時間かかっていた青森〜函館間が、トンネルの開通で2時間に短縮され、開通後の1975年には、青函航路の3倍の輸送能力を備えるとされています。
 具体的にはこんな数字。

 青函連絡船 :旅客  520万人  貨物  850万トン(1975年の予想輸送量) 
 青函トンネル:旅客1560万人  貨物2550万トン(1975年の予想輸送能力) 

 実は、青函連絡船は1970年代初頭のピーク時にこの数字に近い輸送量を誇っていて、予測の正しさを裏付けています。
 しかし、青函トンネルの方は、まったく当てが外れました。

 青函トンネルの旅客輸送量は、開業直後は300万人あったものの、今では200万人を割りました。貨物輸送量は、最盛期(1996年)に569万トンあったものの、すでに500万トンを割りました。

 この報告書では、《(青函隧道の開通は青森)県商業に対して大幅な再編成を伴う飛躍的な近代化を要請する》とした上で、停滞に向かう要素は少ないと判断しています。 
 しかし、現実には、青森も函館もターミナルから単なる通過点となって、町は大きく衰退していきました。

 2015年末には北海道新幹線が開業します。今度は、町に活気が戻ってくるでしょうか?
北海道新幹線
北海道新幹線

<おまけ2>

 下の画像は『青函トンネルの建設・完成と地域経済の影響』に掲載された、設計段階の青函トンネル構造図です。トンネルの角度が20‰となっていますが、実際には12‰のため、総延長が長くなりました。

青函トンネル構造図
青函トンネル構造図(1965)
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