香具師の掟


 昭和4年頃、東京から横浜に散在する香具師の親分、準親分ら200人あまりが発起して、『昭和神農実業組合』を組織しました。会員数は3万あまりと巨大で、このとき「香具師はどうあるべきかと」という宣言を出しました。


《宣言。
『昭和神農実業組合』なる我等同志の大同団結を組織す。
 我等は皇室を神と仰ぎ奉る伝統的国民精神を生命となし、国体の精華たる家族愛の信念を高調せんとするものなり。
 時代の趨勢は、徒らに新を追ひ、奇を衒ひ、利己にのみ汲々として、我が伝統の美風を軽んぜんとす。これ嘆くべく憂ふべく、是れを剪除せずんば皇家100年の禍を遺さん。
 我等は此の浮華軽佻を排し、質実剛健なる第一歩を強く印せんが為に、我等の不文律たる「友達は5本の指」なる信念
を団結の本義となし基礎となす。
 此の神農道たる一大家族に在りては、壹一個人の専擅を容さんや、共に憂患にあたり共に団体の隆昌と事業の伸長を期
せんとす。
 我等の一切は悉く此れ家族愛精神の爆発に依って活動す、我等は、我等の団結力を以て確固不抜の社会的地位を獲得し、進んで社会公共に尽瘁せんと欲するものなり。
 此の志操を与にする者の協力に依って、共存共栄のモットーを高く掲げての進出は、これ男子の痛快事に非ずして何ぞ。敢えて満天下の士に宣す。》

 つまり、香具師は古代中国の伝承に登場する皇帝「神農」を神にしてることがわかります。神農はあらゆる薬草を実際に嘗めて効能を確かめ、あらゆる人に医療と農耕の術を教えたとされています。
 
 
 ところで、上記引用文に出てくる「友達は5本の指」とはどういう意味か? ヤクザみたいに指は詰めません、という意味ではなく(笑)、昔から香具師の掟は5カ条だったのです。
 そのもっとも有名なのが、文久3年(1863)に出された次のものです。

《諸国香具商人中に相渡置5カ条定

 1、御公儀御法度の品売買致間敷事(禁制品は売らない)
 1、親分方へ1年に1度づつ急度立寄候事(親分の元に1年に1度は顔を出す)
 1、会合の節不参の者は仲間附合致間敷事(会合に参加しないものは仲間ではない)
 1、仲間は規定相背き候者は商人不及申同宿成共致間敷事(ルール違反の者と同宿しない)
 1、旅先にて病気の者有之候節は朋友相集り介抱致すべき候事(病気の仲間はちゃんと介抱する)
 右之條々堅く相守可者也

 文久3年亥10月改之》

 これ以前の掟が『露店研究』に載っています。時期は不明ですが、たぶん享保20年(1735年)ごろ。まさに大岡越前の頃ですね。


《香具仲間掟之事
 一 御公儀様、御法度の儀は、不及申売買堅く可致候事
 (禁制品は売らない)
 一 諸国の御城下は不申及、田舎在に市場栄場に於て、御武家様方に慮外ケ間敷事、屹度相慎み可申候事
 (役人に迷惑はかけない)
 一 他所より参候、売薬同商売の輩たり共、万一に押売押買致候はば商売取上げ、其者の生国親兄弟を相糺し、早速国元へ追帰し可申候事
 (押し売り、押し買いはせず、ルール違反の者は国に帰す)
 一 総て、栄場所へ、商売に参候節は、老若の別なく、相援け、連立て、帰可申候事
 (商売仲間は助け合う)
 一 連中病気の節は、見舞を為し、連中の者、病人を介抱致候事
 (仲間が病気のときは面倒をみる)

 右之趣、屹度相守可申候、万一、相違者有之時は、其会合より、相除き可申候事
 (ルールを守れない人間は会合に出さない)
 右条々御奉行、相定められ候上は、堅く相守り、商売大切に、可仕候、尚又親方取致候者は、願証文差出し、当人並
に証人の印取可申候、行衛出所不定の者は決而、仲間に取詰申間敷候

 以上》

 この文書がすべての5カ条の基本ということです。