イエメン紀行
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イエメンに行く
あるいは3000年前の女王の恋
「幸福のアラビア」へようこそ!
今から3000年ほど前、古代イスラエルにソロモンという賢い王がいました。その名声を聞いたシバの女王は彼の賢さを調べようと思い、多くの香料と金と宝石を持ってやってきました。女王はさまざまな難問を投げかけましたが、ソロモンはすべての問に答えることができたのです。
《シバの女王はソロモンの知恵と、彼が建てた家、食べ物、列座の家来たち、その侍臣たちの伺候ぶりと彼らの服装、および給仕たちとその服装、ならびに彼が主の宮でささげる燔祭を見て、完全に気を奪われてしまった。
彼女は王に言った。「私があなたとあなたの知恵について聞いた噂は真実でした。実際に見るまではその噂を信じませんでしたが、あなたの知恵の大いなることはその半分も知らされませんでした。あなたは噂なんかよりずっと勝っています」》(旧約聖書「歴代志下」9章)
こうして2人はタンバリン(ドッフ)で祝福されながら結婚し、エルサレムは大いに繁栄したのです……。
シバ王国の所在については2つの説があり、1つはエチオピア。女王の名前はマケダといい、2人の間にできた子供がエチオピア王国の始祖となったとされています。
もう1つがイエメンで、女王の名前はビルキスと呼ばれています。
かつて俺はこのシバの女王の都に行ったことがあります。何しに行ったかというと、この国の大輸出品だった香料を手に入れるためです。女王がソロモンに送った香料は乳香や没薬(もつやく)と呼ばれるもので、現地ではミルラと呼ばれます。これがミイラ(木乃伊)の語源なんですね。
現在はもちろんミイラは作らず(笑)土葬です。上の写真は葬儀風景
どうでもいいですが、俺は日本でミイラが作れないかと思い、1996年、わざわざイエメンにまで行ったんですよ。
というわけで、今回はシバの女王の都に行ってみるぞ!
首都サヌアのイエメン門。イエメンの街はすべて城塞都市
まずイエメンの首都はサヌア。シバはサバーとも表記され、サバー→サナア→サヌアに変化したと思えば、どう考えてもシバはイエメンだと思えます。
この街は城壁に囲まれており、街全体が世界遺産に指定されています。バーバルヤマン(イエメン門)からすぐに市場が始まり、そこには数多くの香料などが売られています。
現在、イエメンは中東の最貧国と言われ、アルカイダとの関係が強くささやかれていますが、かつてはこの香料の輸出で栄華を極めていました。海のシルクロードの経由地で、「幸福のアラビア」と呼ばれていたんですね。
ロックパレス
サヌアの北西にはワディ・ダハールという街があります。巨大な岩壁を背にしており、1930年代にイエメンを支配したイマームの夏の別荘ロックパレスがあります。観光ポスターにもよく出てくる名所です。
コーカバンとホデイダ
さらに行くと、シバームとコーカバンという、350mの岩壁の上下にできた兄弟都市があります。下にあるシバームは農業と商業の街、上にあるコーカバンは軍事担当。1年に1度、両方の街の住人が集まり、無事を確認するそうですよ。
そして西の果て、紅海に面してホデイダという港町があります。ここから見える夕日は絶品。
ちなみにホデイダから150km南に下れば、コーヒーで有名なモカ港がありました(現在は廃墟)。
サヌアから東に行くと、シバ王国の首都だったマーリブがあります。都のあった旧マーリブは廃墟になっていますが、新市街は健在です。どうして砂漠の真ん中で生活できるかというと、豊富な地下水と同時に、巨大なダムがあるから。ちなみに旧マーリブでは紀元前8世紀に巨大ダムを造って水を確保していたため、 砂漠でも繁栄できたのです。
左がシバの女王の都。右は砂漠の真ん中にあるマーリブ・ダム
マーリブに向かう途中には、バラケッシュという遺跡が残っています。現在、ユネスコ援助によるイタリア隊が発掘調査中。俺はこの廃墟で、胸と尻を極度に強調した地母神のような像を見ました。これって、イスラム教ではあり得ないモチーフですよね。でもここは紀元前400年頃の都で、イスラム教が存在する前なので、女性像で大地の豊穣を表現するのは当たり前なのですよ。
幻の都バラケッシュと、古代文字
ちなみに、冒頭で触れたシバの女王とソロモンの話は、後にコーランで次のように書かれています。
《イエメンでは太陽を崇拝していたので、鳥使いのソロモンが改宗させるために手紙を送った。シバの女王はその手紙を見てこう言った。
「この手紙はソロモンから“仁慈あまねく慈悲深いアッラーの御名によって”届けられた。それはこう言っている。あなたがたは高慢であってはなりません。真の教えに服従して私のもとに来なさい」
やってきた女王はガラス張りの宮殿を見て「主よ、本当に私は自ら不義を犯しました。今、私はソロモンとともに万有の主に服従、帰依いたします」と言った。そしてついにイスラム教に改宗した》(コーラン27章蟻章)
モハメッドが唯一神アッラーの啓示を受けたのが610年。その後、啓示がコーランにまとめられました。
一方、旧約聖書がほぼ聖典扱いとなったのが紀元前4世紀頃。つまり、約1000年の歳月を経て、2人の恋物語は、正義の布教物語に変わったのでした。
制作:2009年11月21日
<おまけ1>
俺がミイラ作りのために大量に買ってきた乳香や没薬は(残念ながら現物は見あたらず)、古来、香水や鎮痛剤として使われました。東方の3博士がイエス・キリストに捧げた贈り物としても聖書に登場しています。また、正倉院御物にある「薫陸」は、乳香ではないかと言われています。
<おまけ2>
かつて和辻哲郎は『風土』のなかで、人間は自然環境によって3つの形に作られると説きました。
(1)日本などアジア(モンスーン型)
→自然の猛威に受容的となり、人間は忍耐強くなる
(2)ヨーロッパ(牧場型)
→自然はおだやかなため管理可能で、人間は合理的となる
(3)中東(砂漠型)
→自然が過酷すぎるため、人間は服従せざるをえず、また戦闘的となる
和辻が語った砂漠型の舞台がイエメンでした。
イエメンではほとんどの男が戦士の証しとしてジャンビアという短刀を携帯しており、また内戦が続いたため、銃もかなり普及しています。それでも部族社会だけに、外国人には安全と言われてきました。しかし、ここ最近はグローバル化の波を受けて治安が急激に悪化しているようです。
さらに貧困のせいで、この国では人身売買が盛んです。毎年120万人とも言われる子供たちが、サウジアラビアなどの金持ち湾岸諸国に売られていきます。それが「幸福のアラビア」の現実です。
この子供たちもそのうち売られる?