タバコ専売の始まり
専売局(左上は旧庁舎)
明治8年(1875年)、政府は「煙草税則」を制定し、翌年から徴税を開始します。
税額は販売価格の5〜10%で、製品に印紙を張る間接税でした。しかし、印紙を張らず売るなど脱税が横行します。
明治31年、日清戦争後の財政難を受け、政府は「葉煙草専売法」を施行。原料である葉たばこを全量買い上げ、製造業者に払い下げる仕組みになりました。
日露戦争を前に、政府は煙草製造の独占を目指します。明治36年、「煙草製造官業反対同盟会」の演説会が開催されますが、結局、開戦後の明治37年3月、「煙草専売法」が公布され(7月施行)、政府はタバコ製造・販売を独占、価格も自由に決められるようになります。
タバコ専売に反対する新聞広告
当時、タバコ業者は「天狗煙草」の岩谷商会、「ヒーロー」「サンライス」の村井兄弟商会、「菊世界」「牡丹」の千葉商店という3大メーカーがありました。
村井兄弟商会はアメリカのタバコ会社に買収されており、アメリカに利益が回らないよう、政府は先手を打ったとされています。
民間時代のタバコ製造・小売免許
民間製造が認められている時代の葉たばこ仕入証
タバコの専売が始まって、最初に発売されたタバコの銘柄は「敷島」「大和」「朝日」「山桜」などです。
佐佐木信綱の発案で、本居宣長の和歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜ばな」によって命名されました。
敷島
朝日
実は、タバコと戦争は密接な関係があります。
明治27年の日清戦争では、岩谷商会が製造した「恩賜煙草」が下賜されました。
煙草メーカーも「かちどき」(朝鮮総督府専売局)、「つはもの」(台湾専売局)など勇猛な銘柄を立て続けに出し、戦勝気分をあおりました。
中央に菊の御紋が入った恩賜タバコ(太刀洗レトロステーション)
日露戦争では、連隊旗、軍艦旗を配した「保万礼(ほまれ)」が登場。これは後に軍隊専用となりました。
保万礼
発売当初の値段を書いておきます。
<口つき煙草>
「敷島」20本入り8銭
「大和」20本入り7銭
「朝日」20本入り6銭
「山桜」20本入り5銭
「カメリア」20本入り5銭
<両切り煙草>
「スター」10本入り7銭
「チェリー」10本入り6銭
「リリー」10本入り5銭
専売局が設立されて2年目に誕生した両切り煙草の「ゴールデンバット」は、明治39年、4銭で発売されました。同時期の盛りそばは2銭5厘。
この安い煙草は、太平洋戦争が始まった昭和16年でも10銭でした(盛りそばは16銭)。
ゴールデンバット
軍隊の影響もあり、煙草を吸う人は拡大の一途。戦前は煙草販売が歳入に占める割合は8%程でしたが、終戦直後は20%近くになりました。
そして、1949年、日本専売公社が発足するのです。