幻の大本営
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長野・幻の松代大本営を行く!
地上の天皇御座所(非公開)
昭和19年11月11日午前11時、長野県松代で大きな発破の音が響き渡りました。東京にあった大本営を、極秘裏に松代に移転する計画があり、そのための工事が始まった瞬間です。
大本営といっても立派なものではなく、実体は巨大な地下壕です。主な工事現場は以下の3つ。
●イ地区(象山) 〜政府、NHK、中央電話局
●ロ地区(舞鶴山)〜大本営、皇居、宮内庁
●ハ地区(皆神山)〜食料庫
イ号倉庫
ロ号倉庫
なかでもイ地区は巨大で、全長約6キロ、東西に20本・南北に4〜5本の壕が掘られています。内部はかなり広く、大人が普通に立って歩けるくらいなので、ちょっとビックリ。
作家・坂口安吾はこの地下壕を見て「太平洋戦争の巨大な負のモニュメント」と言ったそうですが、ホント、戦争の愚かさを感じざるを得ません。
象山壕の入口
内部は延々こんな感じ
(現在は500mほど見学できるようになっています)
工事のほとんどは朝鮮人などを集め強制労働させており、その数は6000人とも7000人とも言われています。労働はずいぶんキツかったようで、坑内にはこんな落書きも。
韓国の都市名「大邱」と書かれた落書き
なお、ロ地区の皇居跡は、現在、気象庁の地震観測所として使われています。
地上の皇居(天皇棟)跡。このなかに御座所がある(冒頭の写真)
松代移転の決定を聞いて、最初は拒否した昭和天皇。しばらく
東京の防空壕
から出るのを嫌がっていましたが、まもなくこう言ったそうです。
《伊勢と熱田の神器(注:三種の神器)は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。(中略)自分の考へでは度々御移するのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で考へてはどうかと思ふ》(『木戸幸一日記』より)
昭和天皇は、きっと心のどこかで敗戦を意識していたんでしょうね。
制作:2001年10月21日
<おまけ>大本営について
広島大本営外観と玉座 (原爆で焼失)
大本営とは、明治26年(1893)5月に法制化された天皇直属の最高軍事司令機関です。日清戦争の頃は広島に置かれましたが、日露戦争のときには、すでに宮中に移っていました。
昭和12年(1937)、「大本営令」発布で、戦時以外でも大本営の設置が可能になりました。以下、参考までに全文公開。
大本営令(昭和12年軍令第1号)
第一条 1 天皇ノ大纛(たいとう=天皇の御旗)下ニ最高ノ統帥部ヲ置キ之ヲ大本営ト称ス
2 大本営ハ戦時又ハ事変ニ際シ必要ニ応ジ之ヲ置ク
第二条 参謀総長及軍令部総長ハ各其ノ幕僚ニ長トシテ帷幄ノ機務ニ奉仕シ作戦ヲ参画シ終局ノ目的ニ稽ヘ陸海両軍ノ策応協同ヲ図ルヲ任トス
第三条 大本営ノ編制及勤務ハ別ニ之ヲ定ム
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