ニッポンの凱旋門
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日露戦争「凱旋門」へ行く!
明治38年10月、東郷平八郎一行を迎えた三越前の凱旋門
日本は明治維新を経て、明治27年(1894)、初の対外戦争である日清戦争を経験します。そして明治37年には日露戦争勃発。
日清戦争も日露戦争も、戦況は終始日本優位に進み、兵士は勝った勝ったで凱旋します。それを迎える側は、各地に凱旋門を作って大歓迎しました。
日清戦争では明治28年(1895)の日比谷の巨大凱旋門が有名で、樋口一葉も、
《凱旋門も今日は取くつさん(=取り崩さん)とすなと聞くにそは情なし 千載の一事といふ此大いわひ(=大祝い)にあひなから空しくその門さへ見過くさんや さらばこれよりけい古(=稽古)終らは直にゆかん》(『水の上』1895年6月1日)
と、壊される寸前の凱旋門を慌てて見物に行っています。
日清戦争・日比谷の凱旋門
日露戦争ではいっそうのブームを呼び、全国各地に凱旋門が作られました。その画像を一挙公開です。
新橋凱旋門=高さ約18m。月桂冠、大砲、錨などの装飾とイルミネーションが
京橋凱旋門=高さ約16m。巨大な張天井には龍が描かれた和風様式
新宿凱旋門=高さ約6m。木造、赤ペンキ塗り
浅草凱旋門=高さ約14.5m。上部に錨と大砲の装飾
万世橋凱旋門=高さ約19m。左右に青色の月桂冠
日本橋凱旋門=高さ約14m。中央に月桂樹と桜
で、実は、現在、当時の凱旋門が国内に2つだけ残っているのです。今回は、その両方を訪問します!
まずは鹿児島県。
鹿児島空港から40分ほど車を走らせると、姶良町という細長い小さな町があるんですが、その山田地区に今でも残っている石造凱旋門。
日本で唯一現存する「石造」凱旋門
(鹿児島県姶良町山田)
山田の凱旋門は、1906年、日露戦争に出兵し、凱旋した兵士のために作られました。高さ4.7m、幅4.88mの見事な石造建築。
2005年5月に大規模な修復工事が行われたんですが、僕が行ったときは亀裂や石材のはがれでずいぶん傷んでいました。下から見上げると予想外に小さく、かえって驚きました。
この凱旋門は道路わきにぽつんと立っているんですが、門をくぐると、その先には長い石段が。途中には巨大な砲弾が飾られ、さらに階段を上ると、奥には招魂社がありました。ここには、西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争で亡くなった英霊1200柱が祀ってあるそうです。
長〜い階段の途中には巨大な砲弾、丘の上には招魂社、上から見た凱旋門
そして、慰霊碑が並んでいるのでした
さて、もう1つは静岡県に現存しています。浜松から車で1時間弱。こちらは煉瓦造りで、やはり1906年に建設されました。高さ3.6m、幅3.2m。当時の鎮玉村から日清・日露戦争に出征した人たちの生還を記念して建てられました。
れんがは側面の大きな面と小さな面を交互に出す「フランス積み」で、最上部は石材が使われています。
日本で唯一現存する「煉瓦造り」凱旋門
(静岡県浜松市引佐町渋川)
正確には「凱旋紀念門」
そして奥には忠魂碑
江戸時代、日本には藩しかなく、国という意識はほとんどなかったはずです。ところが、日清・日露戦争で初めて外国と戦争したことで、日本人は初めて「国」という意識を覚えました。まさに「国民」が誕生した瞬間で、凱旋門はその意識を最高に演出してくれたのでした。
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日本の凱旋門
更新:2007年1月12日
<おまけ>
引佐町の凱旋門は六所神社の参道にあるんですが、実はこのあたりには六所神社がたくさんあって、キチンと下調べをしなかった俺はさんざん迷ってしまいました。しかも猛吹雪で、車なのに遭難するかと思った(笑)。
なお、こちらは旧天竜市の六所神社にあった戦捷記念碑。