ロボット誕生
あるいは日本初の人造人間の「思想」について


人造人間「学天則」
日本初の人造人間「学天則」のレプリカ
(大阪市立科学館)


 世界初のロボットは、いったいいつ誕生したんでしょうか?
 フィクションでは、紀元前8世紀の『イーリアス』に出てくる黄金の召使いだとされています。火と鍛冶の神ヘーパイストスが作ったもので、跛行(びっこ)だった彼を手助けしてる様子が次のように描かれています。
 
《彼(ヘーパイストス)を助けて命ある少女に似たる金製の群像あとに働けり。彼らは心知解して中に聲あり、力あり、しかして不死の神明の靈妙の業學び知り主公の神の傍に勉めり》(土井晩翠訳)
 
 こうしたフィクションを入れるとロボットは無限になっちゃいますな。実在のものに絞っても、西洋ではオートマタ、日本ではからくり人形が作られていて、どこからがロボットなんだか難しいところです。
 
 ちなみに「ロボット」の語源は、チェコ語の「robota(強制労働)」から来ています。初出はチェコスロバキアの作家、カレル・チャペックの戯曲『R・U・R』(1920年)です。『R・U・R』とは「ロッサム・ユニバーサル・ロボット社」の略。既にこの作品で、自我を持ったロボットが人間を抹殺し始めるというストーリーが展開されています。
 
 というわけで、一応、ここではロボットという言葉が成立した1920年以降に実在したものを取り上げてみましょう。

 1927年、ニューヨーク博覧会で、アメリカのウェスティングハウス社がロボット第1号である「テレボックス」を発表します。これは電話回線による機械のコントロールシステムで、命令に応じて水深などを測る機能がありました。

 イギリスではその名も「ロボット」という人造人間が登場、ラジコンで制御されたロボットくんは、壇上で「諸君!」などと演説をぶったといいます。

筆記ロボット
ドイツのデパートに展示された筆記ロボット(1930?)


 1930年、ウェスティングハウス社は、電気学会で人間そっくりのロボットを発表しました。時事ネタを振ると、まるで普通の人間のように身振り手振りを交えて答えたといいます。さらにロボットの頭上に載せたリンゴを矢で射ると、ワーと驚きの声を上げたともいいます。

 同社は1934年にもサンフランシスコ博覧会などにロボットを出品、こちらは「ウィリー」と名付けられ、歩行や色の認識が出来たといいます。
 
ウェスティングハウス社のロボット
ウェスティングハウス社のロボット(1930)


 では、ここから日本のロボット史を振り返ります。

 江戸時代にはすでにからくり人形がありましたが、これはまぁおいておくと、東京で初めて公開されたロボットは、昭和6年(1931)夏の銀座松屋、秋の日本橋三越だとされています。

 実は日本(東洋)で初めてのロボットは、昭和3年(1928)、京都で公開されました。この人造人間は「学天則」(がくてんそく)と呼ばれ、大阪毎日新聞社が大礼記念京都博覧会に出品したものです。

 制作者は同社の論説顧問だった西村真琴。余談ながら、映画『帝都物語』でこの西村真琴役を演じたのが、実の息子の西村晃でした。

「学天則」制作中の西村真琴
「学天則」制作中の西村真琴


 博覧会に話を戻しましょう。
 日本初の人造人間を見た観客は、当然のことながらビックリ仰天。その様子を荒俣宏の『大東亞科學綺譚』から引用しておきます。

《博覧会場にはいった観客は、まず古代ギリシアの殿堂を思わせる舞台にみちびかれる。

 幾つかの窓をあけた衝立(ついたて)状の塀が、袖(そで)のように左右から突きだし、正面の円形屋根の上には約十mもある両翼をひろげた巨鳥が飾られている。しかもこの巨鳥はときおり自動的に首を振り、白いくちばしから赤い舌を出して鳴く。観客が鳥の鳴き声に驚いて上を見あげると、それを合図に、紫色の照明に照らされた館の内部から荘厳な音楽が流れだす。

 そして、観客には金色の半身像(トルソ)としか見えなかった巨人が、急に赤や緑の光を放って、動きはじめるのだ。

 かれの左手に握られた霊感灯(インスピレーション・ライト)がひらめくと、学天則はまるで霊感を受けた詩人のようにカッと目を開き、天を仰いでにっこり微笑み、右手に執ったペンの代わりのかぶら矢をするすると滑らせて文字を書く。

 それから創造の苦しみをあらわすかのように、顔をゆっくり左右に動かす。その動作がとても機械とは思えないほど自然なので、観客もつられて顔を左右に振る。まるで人間のほうがロボットの操り人形みたいにふるまいだすからおもしろい》


 ちょっと引用が長すぎましたが、わかりやすい記述ですね。
「学天則」という名前は、「天則に学ぶ」という意味で、要は天地自然のすべてを体現したことを表します。

 では、ここから西村真琴本人にその「天地自然のすべて」について解説してもらいましょう。


「学天則」
見にくいですけど、学天則の全体写真

「学天則」
学天則の近接写真


●頭に飾られた緑葉冠
《「葉」それは天日と慈土との協力の結果、一切の動物を安住せしめる緑の王国をなす、その緑葉を頭上にかざしてもつて礼讃の意を表した》

●霊感燈
《人は霊感を覚たるによつて一層尊く向上する。……この燈、一度前額近く光を点ぜらるる時、ガクテンソクにはインスピレイションが感得されると見るのだ。……水晶の分光力およびそれ等の面の反射を研究利用して斯る光閃陸離たる一燈を得た》

●かぶら矢のペン
《記録は己の生命の痕跡なれば決して軽々しくすることはできない。……嚆矢は物のはじめ、その象徴するところは、人間は常に創作を心掛くべきだといふに帰するのだ》

 ここで学天則の図解をしてみましょう。


「学天則」


<これが学天則のすべて!>

A 緑葉冠(生命の源)
B コスモスの胸章(世界・宇宙の象徴)
C 霊感燈(インスピレーション)
D かぶら矢のペン(創造的人生)
E 太陽、三本足の鳥(勢力の本源)
F ♂(男、陽)
G ♀(女、陰)
H 水(理性、男) 
I  火(真情、女)
J・K カエル・ヘビ(相対する敵=自然界の真相) 
L・M キジ・ムカデ(同上)
N 稔りよき樹(女)
O 伝説の武勇と平和の樹(男)
P 告暁鳥(背景の夕闇と合わせ、生死の象徴)


 このように世界のすべてを象徴した学天則は、まさに人間のような優美な動きをしていました。それは圧縮空気とゴム管の絶妙な組み合わせによるものです。

《先(ま)ずタンクの中に空気は圧搾されてゐて、その膨圧力は恰(あたか)も浄化された血液の持つエネルギーの如く、それぞれの所定の個所に送られて活動を起すのである。斯くて一度使用された空気は已に膨圧力を失ひ、いはゆる排泄物となつて所定の管から廃棄されて了(しま)ふが、これは人体における呼気のよう……》

 つまり、学天則は人間の呼吸さえも作り込んだ究極の人造人間だったのでした。
 
 その後、学天則は広島昭和博、朝鮮博覧会などを経て、ドイツに売られていきました。その後の行方はわかっていませんが、現地では故障でうまく動かず、どうやら廃棄されたようです。
 
 日本初の人造人間「学天則」は、《自然の長い時日の淘汰力によつて進化したと考へらるる大宇宙の力作なるわれわれ》を模倣することを目的としていました。それは単なる労働力としてのロボットではない、人類への讃歌さえ具現する壮大なロボットだったのです。

※学天則の写真&解説は、朝鮮博覧会のパンフより

制作:2005年2月13日

 
<おまけ1> その後のロボット史

1950年、アイザック・アシモフが小説『アイ、ロボット』で「ロボット3原則」提唱
1951年、手塚治虫が『鉄腕アトム』連載開始
1956年、横山光輝が『鉄人28号』連載開始
1969年、藤子・F・不二雄が『ドラえもん』連載開始
1970年、大阪万博で楽器演奏ロボット登場(ただしマネだけ)

フジパンロボット館のロボット
フジパンロボット館のロボット
(写真はロボット館の食券)

1973年、早稲田大学、世界初の二足歩行ロボットWABOT-1開発
1977年、映画『スターウォーズ』公開
1985年、筑波科学博でピアノ演奏ロボットWASUBOT登場(楽譜を認識して演奏)

筑波科学博のピアノ演奏ロボット
筑波科学博のピアノ演奏ロボット
(開発は早稲田大学。当時の絵葉書より)

1999年、ソニー、AIBO発売
2000年、ホンダ、ASIMO発表
 
 そして2005年、トヨタがトランペット演奏ロボットを愛知万博に出展しています。


<おまけ2> 人間機械論の系譜

 人間が機械であるという概念は、すでに古代ギリシアの哲学者も考えていました。エピクロスは、人間の体も魂もすべて原子の運動に由来すると考えました。

 近世では、デカルトが人間機械論をとっています。もっとも、デカルトの場合は「心」は機械としていないので、ちょっと不完全な哲学ですね。

 こうした人間機械論の極めつけは、1748年にフランスの医者ラ・メトリーが書いたそのまんま『人間機械論』という本です。徹底した唯物論で、心も体も完全に機械だと断定しています。
 
《太陽、空気、水、有機体の組織、物体の形等、すべてが、目の中に配置されるが、丁度鏡に写したやうな塩梅である。……耳は極めて数学的に出来上つて居り、等しく聞くと云ふ唯一の同じ目的に向つてゐる。……人間はゼンマイの集合に外ならず、このゼンマイは悉(ことごと)く互に巻き合ふ》(杉捷夫訳)
 
 読んでいてすがすがしいですが、当時はキリスト教的な人間観に対抗するものとして、大きな衝撃を与えたます。こうして思想としての人間機械論は確立、あとはみんなでその実現に邁進したのでした。
 
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