絵で見る「人間機械論」

人間機械論
人間機械論


 デカルトが「動物機械論」(『方法序説』)で「思考をもたず、言葉をもたない動物は機械にすぎない」と書いたのが1637年。
 人間も動物である以上、ほぼ機械と言えますが、デカルトは動物と人間の違いを2つ指摘しています。

 1つは「言語」で、「言葉をいろいろ並べ替えて、目の前で言われたことに意味ある答えを出すこと」は人間にしかできないと言います。
 もう1つが「理性」で、「機械は単に機構の配置で動くだけだが、理性はあらゆる場合に役に立つ普遍の道具である」としています。理性のおかげで人間は、どんな場面でも瞬時になにがしかの行動が取れるというわけです。

 その後、1748年にフランスの医師ラ・メトリが『人間機械論』を公表し、人間は心も体も自動機械であるとしました。
『人間機械論』は唯物論を説いたもので、結論は「人間は機械であり、全世界には種々雑多な様相化の与えられたただ1つの物質が存在するのみである」という難解な場所に着地しますが、その途中で書かれた機械の話はこんな感じです。

《思いがけなく断崖絶壁が目の前に現れたとき、恐怖で体が縮むのは機械的でないだろうか?
 殴るマネをすると、まぶたが自然に閉じ、明るいところに出ると網膜を守るために瞳孔が狭くなり、暗いところではものが見えるように大きくなるのは、機械的でないだろうか?

人間機械論・眼
眼はどう考えてもカメラ


 寒気が脈管の内部に入ってこないように、皮膚の毛穴が冬になると閉じるのも機械的でないだろうか?
 胃が毒のために、例えばアヘンや嘔吐剤によって刺激されると、嘔吐をもよおすのは機械的でないだろうか?
 心臓、動脈、筋肉が、睡眠中も覚醒中も、同じように収縮するのは機械的でないだろうか?
 肺が、いわば絶え間なしに働く鞴(ふいご)の役目を務めるのは、機械的でないだろうか?
 膀胱、直腸等の括約筋の活動は、すべて機械的でないだろうか?
 心臓が他のすべての筋肉より強く収縮し、ちょっとの刺激で勃起作用が起きるのは機械的でないだろうか?

 肉体はすなわち時計であり、新しい乳糜(にゅうび=体液)は時計師である》


 当時は危険思想とされましたが、現在ではコンピュータの進歩で、サイバネティックス(通信・制御・機械工学などと人間の神経や生理を統一的に処理しようとする理論)が登場しており、人間が機械という考え方は支持を集めています。

 そんなわけで、人間の機能を機械化した戦前の教育図(1930年代)を一挙公開しておきます。

 人間の機能を機械として考えたとき、一番わかりやすいのが「目」でしょう。これはカメラで簡単に置き換えができます。目から入ってきた映像は、後頭葉で「何ものか」認識されます。

人間機械論の後頭葉
後頭葉

 なお、『人間機械論』では、

《太陽、空気、水、有機体の組織、物体の形などすべてが目の中に配置されるが、ちょうど鏡に映したようなものである。目は、映された対象を、映像の材料となる物体の無限の多様性が要求する法則に従って、忠実に想像力の方へ伝える》
 
 と書かれています。

 次にわかりやすいのは耳ですね。《耳はきわめて数学的にできあがっており、人間も動物も鳥も魚も 等しく聞くという唯一の目的に向かっている》のです。
 音は、現在では一次聴覚野で処理するとされますが、当時は「顳顬葉」で処理すると描かれています。「顳顬」は、こめかみのことです。ここでは味覚や嗅覚も扱ってますが、これは現在では前頭眼窩野の仕事だとされています。

人間機械論・耳
耳の仕組み


 次に消化を見てみます。口から入った食べ物は、胃や腸などの消化器官を通って処理されます。糖、タンパク質、脂質などの代謝は肝臓の仕事です。

人間機械論・口腔
口で唾液と交じって

人間機械論・消化器官
消化器官へ


 鼻から入ってきた匂いの処理は描かれていませんが、呼吸は肺で処理されます。ベルトコンベアよろしく、赤い酸素が運ばれ、青い二酸化炭素に変わって排出されています。

人間機械論・呼吸
右手から入ってきた酸素が肺を経て、炭酸ガスに変化


 血液は、ポンプのような心臓を軸に全身を循環します。ちなみに『人間機械論』では、

《技巧と数奇を凝らした大時計では、秒針を動かす歯車が止まっても、分針を動かす歯車は止まらない。これは、細い血管が詰まっても、血液循環が止まらないのと一緒である。この力は心臓にあり、機械ならば「てこ」にある》
 

 といまいち説得力がない書き方です。ポンプじゃなくてテコというのもよくわかんないですね。

人間機械論・心臓
心臓の仕組み


 なお、呼吸や循環を管理するコントロールセンターは延髄で、知覚や運動中枢は頭頂葉(図では「顱頂葉」)にあります。

人間機械論・延髄  人間機械論・頭頂葉
延髄と頭頂葉

 デカルトが言う「人間を人間たらしめる判断力」は前頭葉が担っています。
 図では、3人の合議制というのが気になりますね。3人寄れば文殊の知恵、ということでしょうねぇ。

人間機械論・前頭葉
前頭葉の暗い会議室


ロボットの歴史と人造人間「学天則」の誕生
2005年の実際のロボット
制作:2014年5月12日


<おまけ>
 ロボット工学3原則というのがあって、これはアシモフの『われはロボット』(1950)で初めて書かれました。

 ①ロボットは人間に危害を与えてはならない。また危険を見過ごすことで、人間に危害を及ぼしてはならない
 ②ロボットは与えられた命令に服従しなくてはならない。ただし、命令が①に反する場合はこの限りではない
 ③ロボットは①②に反しない限り、自己を守らなければならない

 というものです。この『われはロボット』の最後に、こういう言葉が出てきます。

《あのマシンたちは、人間の直接の質問にこたえるだけではなく、世界情勢や人間心理全般についての一般的な回答を提示することで、人間を未来へと導いていることになるわ。そんなことを知ったら、人間たちは不幸になるかもしれないし、プライドだって傷つくかもしれない。マシンは人間を不幸にすることはできないし、してはならないのよ》(角川文庫版『アイ・ロボット』より)

 デカルトが人間と動物を分ける大きな違いだとした「言語」と「理性(判断力)」は、AI研究やサイバネティックスの誕生で、ほとんど意味がなくなってしまったことになりますね。

<おまけ2>
 機械にモーターが組み込まれているように、人間の体にも分子レベルでモーターが組み込まれているという考え方があります。要は、細胞内で、エネルギーを機械的な動きに変換する機能のことで、これを「分子モーター」と呼んでいます。すでに、このモーターを人為的に回すことに成功しており、今後、機械とは違う意味の人造人間が製造できる可能性があります。人造人間というと語弊がありますが、金属疲労のような破壊や故障が起きない、つまり「疲労しない人間」は、かなりの確率で開発できると考えられています。
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