で、この弥富町は、愛知県海部(あま)郡なんですが、この海部郡は1913年に海東郡と海西郡が合併したものなんです。
これが当時の合併請願書なんですが、ここに、こう書いてあります。
大小区制というのは、廃藩置県後に新しく決められた地方行政制度です。
この年に出された戸籍法の実現のために作られたもので、いくつかの村を小区にし、それをまとめて大区にしたわけです。大区に区長、小区に戸長を置きましたが、区長も戸長も政府の意向を受けて、ひたすら人民の管理に努めたため、大いに反感を買いました。
で、あんまりにも官僚支配と人々の抵抗が強くなったため、明治11年(1878年)、三新法が発布されて大小区制は廃止、三新法の1つ「郡区町村編制法」により、府県の下に郡区町村の設置が認められたのです。
郡は地方自治体となったものの、課税権もなく、府県知事や中央政府の管理の下、結局のところ人民支配を強力に押し進めるだけでした。あまりの無駄さ加減に、日露戦争以後たびたび廃止論争が起こります。
ところが廃止法案は何度も流れてしまいます。これは、官僚支配の牙城である「郡制」を維持したい山県有朋の勢力と、廃止を機に山県閥を弱めようとする原敬ら政友会勢力の対立があったからだといわれています。
なんだか、抵抗勢力と改革派みたいな構図ですが……。
それはまぁともかく、結局、郡制は大正9年に廃止が決定し、郡は単なる行政区画となりました(実際の廃止は大正12年4月1日)。
なんだかね、つまりはホントのところ、地方自治なんてものは、昔からこの国にはなかったということですな。あるのは中央の利権だけ、なのかも。