朝日新聞社の軍歌


 大東亜戦争が始まると、各新聞社はこぞって新しい軍歌や愛国歌の制定に乗り出しました。で、今や反戦平和のお題目を唱え続けている天下の朝日新聞社も、当時は率先して軍歌を募集したわけです。そのうちの一つが以下の「大東亜陸軍の歌」と「大東亜海軍の歌」です。これは朝日による選定後、わざわざ軍部に献納されました。
 もちろん、朝日以外でも、みんなこうした歌を作っていたわけで、別にこの歌を選んだ理由に他意はありません、念のため。
 ちなみに海軍の歌に出てくる「還からぬ五隻、九柱」というのは1941年12月8日の真珠湾攻撃で初めて当局が認めた「9軍神」のことで、特殊潜行挺5隻に乗っていた乗員のことです。この艇は二人乗りなんで、よーく考えると死んだのは10人のはず。そう、軍部は生き残った一人のことは最後の最後まで無視し続け、死んだ9人は偉いと言い続けたんですね。以後、靖国神社にはこうした軍神が増え続けたというわけです。


朝日新聞社選定 大東亜戦争陸軍の歌


今こそ撃てと宣戦の
大詔(みこと)に勇むつわものが
火蓋を切って押し渡る
時、12月その8日

マレーにつづくルソン島
快速部隊の進撃に
鉄より固き香港も
わが肉弾に砕けたり

春真先に大マニラ
陥して更にボルネオも
迅速(はやて)の如き勢いに
なびくジャングル椰子の浜

黒いスコール火の嵐
戦車も唸る赤道下
道なき路をひた押しに
焔とすすむ鉄かぶと

60余日の追撃に
白梅かおる紀元節
シンガポールを撃ち陥し
大建設の日のみ旗

南十字の空高く
桜とまがう落下傘
若木の花の精鋭が
手柄はかおれパレンバン

ビルマもなんぞ濠州も
わが皇軍の征くところ
電波は躍る勝鬨に
朝日かがやく大東亜

(昭和17年3月20日発売)

朝日新聞社選定 大東亜戦争海軍の歌


見よ檣頭(しょうとう)に思い出の
Z旗高く翻る
時こそ来れ令一下
ああ12月8日朝
星條旗まず破れたり
巨艦裂けたり沈みたり

あの日旅順の閉塞に
命捧げた父祖の血を
継いで潜(くぐ)った真珠湾
ああ一億はみな泣けり
還からぬ五隻、九柱の
玉と砕けし軍神(いくさがみ)

凍る海から赤道の
南へかけて波万里
艦旗は競う制海の
ああ伝統の海の民
マレー ジャパ沖 さんご海
英蘭今や影もなし

水漬く屍と潔く
散りて栄えある若ざくら
見よ空ゆかば雲に散る
ああ壮烈の海の鷲
爆弾抱いて体当り
微塵に砕く敵の艦

進めば遙か印度洋
世紀を讃う気を澄みて
微笑む南十字星
ああ大東亜 光さす
無敵の誇り くろがねの
聴け艨艟(もうどう=軍艦)の旗の風

(昭和17年7月20日発売)

 軍歌だけに、なかなか格好いいですね。せっかくだから朝日も平成不況の歌とか作ればいいのに、ね。

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