花電車
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花電車
東宮殿下(昭和天皇)ご成婚奉祝花電車(大正13年6月5日)
花電車とは何でしょう。「明解國語辭典」(1943)には《奉祝・(記念)の爲に美しく飾って運轉する電車》とあります。要はイベントのために走らせた装飾電車のことで、電動からくりやイルミネーションが当時の人々の大人気を呼びました。今で言えばディズニーランドのエレクトリカルパレードみたいなもんですな。
日本最初の花電車は明治37年(1904)9月2日、日露戦争の遼陽一部占領記念のために走ったのが最初だとされています。
ちなみに次の文は田山花袋の『田舎教師』に書かれたそのときの様子。
《夜は提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)が日比谷公園から上野公園まで続いて、桜田門付近馬場先門(ばばさきもん)付近はほとんど人で埋めらるるくらいであったという。京橋日本橋の大通りには、数万燭の電燈が昼のように輝きわたって、花電車が通るたびに万歳の声が終夜聞こえたという》
以後、博覧会・戦勝記念・皇族の記念日などに頻繁に行われました。
ちなみにストリップ小屋の芸やウミウシ科の軟体動物にも花電車という名称がありますが、いずれもここから派生したものです。
それでは帝都を彩った花電車を見てみよう!
紀元二千六百年奉祝記念
(昭和15年11月)に東京市が走らせた花電車をどうぞ!
「奉祝」
赤い枠のなかに日の丸提灯が。中央の金色は三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)。
「紀元二千六百年」の歌
が延々と流されていた
「浦安舞」
金色の雲の下、中央に大きな菊の飾りと扇。光る矛を持った2体の舞姫人形が回転している
「聖壽萬歳」
式典会場をイメージしたもので、「萬歳」と書かれた幟と額が見える
「八紘一宇」
球状に作られた2つの菊飾り。正面には黒いカラスと金色の八咫鏡。側面には鷲のモニュメント
「四海歓喜」
民族衣装を着た日本、朝鮮、満州の少年少女6人が日の丸を手に万歳を繰り返す
ちなみにこの花電車は高島屋が2万円で制作したものです。11月16、17日に水天宮前に陳列されたんですが、このときの様子を作家の永井荷風はこう書いています。
《十一月十六日。陰(くもり)。(中略)水天宮門前に花電車数輌置きならべあり。見物人雑踏す。一輌三千円かかりしなど語り合へり。余病院薬局の女の語るところをきくに病院内にて花電車を見たることなしといふもの三分の二以上にて、これを知るものは四十あまりの者ばかりなりとの事より推測して、現在東京に居住するものの大半は昭和十年以後地方より移り来りしものなることを知れり。浅草公園の芸人に東京生れのもの少きも今は怪しむに足らざるなり。時代の趣味の低落せしも故なきに非らず》(『断腸亭日乗』)
続いて、1930年に行われた帝都復興祭のもの。1923年に起きた関東大震災から7年後の大イベントでした。
左:光輝、右:天の岩戸
左:復興踊り、右:復活
更新:2008年7月6日
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