「古代蓮」の復活
不忍池の「観蓮会」とは

行田蓮と行田タワー(古代蓮の里)
行田蓮と行田タワー(古代蓮の里)


 夏の花といえば「ハス」ですが、涼しい水辺に美しい白やピンクの大ぶりの花が咲くことから、以前は「観蓮会」がおこなわれていました。東京では、その舞台として上野の不忍池があげられます。

 江戸時代中期の儒学者・山本北山が、1792年(寛政4年)、中国の観蓮会にちなみ、弟子の供養を兼ねて不忍池で観蓮会を開いたのが、イベントとしての始まりとされ、その後も脈々と続きました。

 国学者で歌人の石原正明は、《上野は時となくよろし》としたうえで、不忍池のハスについて、

《夏はいといと繁りあひて、日かげときに、下枝ひまある方(かた)より、忍ばずの池の蓮、所狭う咲きみちたるがほの見ゆるに、追風いと涼しうて、さと匂ひ来る。いとうれし》(『年々随筆』辛酉上)

 と書いており、江戸の庶民がハスを愛好していたことがわかります。

 江戸時代、不忍池で続いた観蓮会は、明治になってすぐに消滅してしまいましたが、それを復活させたのが、植物学者の大賀一郎博士です。1935年(昭和10年)7月24日に初めて開催され、このときは150人集まったといいます。その後も観蓮会は東京都知事の主催の形で長く続きました。

 この大賀博士は、数千年前の「古代蓮」を復活させたことで知られます。今回は、そんな「古代蓮」復活の物語です。

不忍池にかかったハス見学用の橋
不忍池にかかったハス見学用の橋


 大賀博士は、東京帝国大学理学部で植物細胞学を専攻し、ハスの研究を始めます。1917年(大正6年)、中国の大連へ行き、南満洲鉄道中央研究所(満鉄調査部)で植物の研究に従事します。その後、日本へ帰国し、さらなる研究を目指します。

《年は50でございましたが、私は研究しようと思って、東京上野不忍池へ行って、そうしてあすこを掘ってみた。あすこには、種が幾(いく)らでもあるんです。それが死なない。みんな芽が出るんです。不忍池には300年くらい前からハスがあったんですが、みんな生きておる。死んだのは、ないんです。死んだのは、腐りましょうからね。とにかく、不思議なことがあるもんだ。》(『ハスと共に六十年』)

 ハスが長生きすることを知った大賀博士のもとに、千葉県滑川から発掘された1200年前の須恵器のなかにあった1粒のハスの実が届きます。くれたのは考古学者の大場磐雄でした。

 大賀博士は、さっそく発芽実験に入りました。実をコップの水に投じたところ、4日目にみごと緑色の芽が出たのです。ところが、葉が少し黄色になったとき、手伝っていた少女が博士に相談なく魚の頭を肥料として与えてしまったことで、枯れてしまいました。

 発芽の件は新聞で報じられたこともあり、失敗は痛恨の極みでした。そのとき博士は、千葉県検見川で発掘された丸木舟の話を思い出します。

《千葉県検見川、ここの草炭地で丸木舟が出た。それは、戦争のときに、日本が方々焼けてしまって、燃料不足になった。燃料をとろうというので、東京都と農林省とが相談して、東京の郊外50キロ以内のところに、泥炭をとろう、ちょうどあのへんのところには、まだ泥炭がたくさんあるんです。

 いまから何千年か前の草が沈みまして、炭化した草――草炭があるんです。これを掘ろうといって、草炭を掘りはじめました。あすこに大きな穴を掘ったんです。そうすると、中から丸木舟が出たんです。丸木舟は2000年、3000年前のものです。その時分の舟が出た。はあ、えらいことがあるもんだ。》(同)

 聞けば、発掘のとき、ハスのヘタがたくさん見つかったとのことです。残念ながら、ハスの遺物は破棄されていました。こうして、博士はこの場所を発掘することに決めます。実行したのは、1951年のことです。しかし、いくら掘ってもハスは出てきません。

ハスの実の発掘地(検見川の案内看板より)
ハスの実の発掘地(検見川の案内看板より)


《もう、きょう出なかったらやめようと相談し、きめておったところが、その晩の5時ごろ、西野真理子さんのふるいの中に一つかかったんです。「先生、こんなものが見つかりました」と言って、もってきたんです。これはハスの実なんです。大へんなんです。これを探すために、人が2000人かかりました。これが総計50万円、当時かかった。いまにすれば、大へんなことだ。(中略)

 さらにもう2週間掘って、そうして、もう2粒出ました。3粒です。まあ、大体の計算が50万円。人は2500人使いました。そうして出た3粒でございました。この3粒が出たときに、私は、ほんとうにはらはらと泣きました。ほんとうに金も使い、労役を使い、もうこれ以上、人間というのは手が出ないんです》(同)

 当時の50万円は、現在の400万円程度とされます。種が見つかったのは1951年3月30日。博士は74歳になっていました。

 そして、1951年5月6日に発芽開始。3粒とも発芽するものの、2個は生育不十分でした。しかし、千葉県立農事試験場に託した1個がきちんと育ち、翌年7月19日、東大農場にあった株がみごとに咲いたのです。このハスは「大賀ハス」と名づけられました。

大賀蓮
大賀蓮


 博士はこのハスを、独自開発の「温度と発芽の公式」をもとに2000年前のものだと想定しましたが、これには多くの疑問が寄せられました。そのため、シカゴ大学の原子力研究所にハスの実と丸木舟の古材を送り、放射性炭素年代測定を依頼したところ、結果は3052年か3277年前のもので、平均3000年だとわかりました。

 こうして、3000年前のハスが蘇ったのです。

 博士は、中国遼寧省普蘭店の遺跡で発掘された種子を開花させ、「中国古代蓮」と名づけてもいます。これは淡いピンク色の美しい大輪の花で、数百から1000年前のものと推定されています。

中国古代蓮
中国古代蓮


 なお、博士は大阪府などに伝わる古代からの伝承種とされるハスを「原始蓮」と命名してもいます。これは、『古事記』で詠まれたハスとも言われています。

原始蓮
原始蓮


 さて、古代蓮自体は、ほかにもいくつかあります。

 たとえば、世界文化遺産に登録されている中尊寺(岩手県平泉町)に由来する「中尊寺ハス」。中尊寺ハスの種は、1950年の学術調査で、奥州藤原氏の4代泰衡の首を入れた桶から100粒ほど見つかりました。5年がかりで研究がおこなわれ、1998年に開花に成功。これは、およそ800年前の種です。

 福島県国見町には、源頼朝を迎え撃つため、奥州藤原氏によって造られた国指定史跡「阿津賀志(あつかし)山防塁」があり、その縁で、町は20粒程度の種を譲り受け、大規模に育てました。いまは夏の観光名所となりました。中尊寺ハスは、東日本大震災のあと、「復興の花」として被災地に株分けを進め、各地で大切に育てられています。

中尊寺蓮
中尊寺蓮(福島県国見町、奥の土手が「阿津賀志山防塁」)


 埼玉県行田市では、1973年、ごみ焼却場の工事で古代ハスの種が自然発芽。埼玉大学の江森貫一博士が、出土した縄文土器と、大賀ハスの例を参考に、2500年から3000年前のものと推定。1974年、神奈川歯科大の豊田清修博士らが地下1.5〜2.5mの泥層を掘り、ハスの実85個を採取。これは「行田蓮」と名づけられました。年代測定では1400年前のものとされ、豊田博士はおおむね1400年から3000年前のものと推定しています。

行田蓮の実
行田蓮の実(古代蓮の里)


 ハスは仏教との関係が深く、陰鬱なイメージもあり、明治以降、観蓮会は減りました。しかし、大賀ハスをきっかけに人気が高まりました。そして、1970年の大阪万博で、日本庭園に美しいハス池が出現し、観賞花としての価値が大いに高まったのです。

 日本の城のお掘にはハスがつきもので、現在も弘前城や高田城、岡山の後楽園などが観蓮で有名です。

高田城のハス
高田城のハス(新潟県上越市)


 なお、ハスは4日間、午前中のみ花が咲くとされ、濃いピンクから徐々に白く変わっていきます。水色のものは睡蓮(すいれん)です。アメリカには「キバナハス(バージニアハス)」という例外的に黄色いハスも存在しています。

バージニアハス
バージニアハス

ハスの文化史〜仏教が育てた「蓮華文」

制作:2026年8月20日


<おまけ>

 京都では、埋め立てられてしまった「巨椋池(おぐらいけ)」がハスで有名でした。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる和辻哲郎は、船に乗って巨椋池のハスをながめたときの感動を《咲きそろっている蓮の花をながめたときには、私は心の底から驚いた。蓮の花というものがこれほどまでに不思議な美しさを持っていようとは、実際予期していなかったのである》と綴っています(『巨椋池の蓮』)。

 和辻は、巨椋池のハスをながめているとき、「ハスの花は開くときに音がする」という話題になったと書き記しています。これは日本でしばしば語られる「ハスの不思議話」のひとつですが、和辻はいくら耳を澄ませても、花が開く音は聞こえませんでした。

 この話については、南方熊楠が「蓮の開花の音を聞けば、死後、地獄に墮ちず、成仏できる。聞いた人間の一代限りの開運は必定」という津軽の伝説を紹介しています。津軽では多くの人間が開花の音を聞こうと池に集まったと言いますが、やはり南方も開花音は否定しています。

 大賀博士も科学的に検証しており、音声を5万倍に拡大しても、開花音はしなかったと語っています。蓮池にいる水鳥の発する音が勘違いされたのではないかとしています(『蓮の花開く音を聽く事』による)。実際、和辻も池で「クイ」という鋭い音を聞いています。なんの音か船頭に聞いたところ、水鳥の「鷭(ばん)」の鳴き声だと教えられるのでした。

巨椋池
かつて存在した巨椋池
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