ヘリコプターの誕生
あるいはオスプレイへの道

ヘリコプター
飛行中のペスカラ・ヘリコプター(1920年代)


 中国の仙人マニュアル『抱朴子』(ほうぼくし)には、いくつもの飛行術が書かれています。たとえば、

《思いを凝らして、身を五蛇・六龍・三牛と化し、𦊆風(こうふう=剛強な気の風)に乗る。四十里上昇したところを名づけて太清という》

 太清では自分の体を支えることができ、剛強の気に乗るとひとりでに飛べるそうですよ。ちなみに龍は、最初階段状の雲に乗って40里まで上昇すると、あとは剛気に乗って自由に飛ぶのだそうです。

 そして、この本には、おそらく世界最古のヘリコプターの記述があるのです。

《一法としては、棗心木(ナツメの木の芯材)を用いて飛車を作り、牛の革を廻転する刃に巻きつけて、その仕掛を動かす》

 原文は「以牛革結環剣」で、「環」を回転ととると、まさにヘリコプターというわけです。
 『抱朴子』は西暦317年ごろに成立したんですが、それ以前から竹とんぼの研究はありました。竹とんぼで飛ぶといえば『ドラえもん』のタケコプターが有名ですな。ちなみにタケコプターを実際に装着すると、頭の骨が支えきれず、首がすっぽ抜けてしまうはずで、現代科学でタケコプターは実現できません。

ヘリコプター
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿
(ウィキペディアより)


 その後、15世紀にはレオナルド・ダ・ヴィンチが研究し、1910年にはエジソンがフライングマシンの特許を取得しますが、実用化には至りませんでした。
 ヘリコプターの現実的な発明者は、フランスのモーリス・レジェだとされています。1901年に特許を取得し、1907年に初の有人浮遊(80cm)に成功しました。
 ただし、この1907年にはフランスのルイ・ブレゲーもポール・コルニュも初飛行に成功しており、開発競争が一気に加速しました。
エジソンのヘリコプター
エジソンのヘリコプター(特許公報)


 
 ヘリコプター開発の難しさは、「安定性」「水平飛行」「操縦」の3つに帰結しますが、もっとも重要なのが安定性です。ローターが1つだけだと、左右に異なる力が働くため、転覆してしまうのです。解決するには、以下の方法が考えられます。

(1)左右または前後に別のプロペラを2つか4つ装着
(2)回転軸にローターを固定せず、自由に動くようにする
(3)上下に同じローターを2つ重ね、反対向きに動かす
(4)羽それぞれにプロペラをつけて、1枚の羽自体が飛行機のようにする

 
 以上の4つを、具体的に見てみましょう。

(1)1922年11月11日、フランスのエーミシェンは、世界で初めて人を乗せて飛行に成功します。その機体には4つのローターがあり、それぞ れ小さなプロペラがついています。この小さなプロペラが後のテールローターに進化します。

ヘリコプター
エーミシェン2号

ヘリコプター
エーミシェン2号の構造(中央にはジャイロスコープ)


(2)難航するヘリ開発に大きなヒントを与えたのが、スペイン人のファン・デ・ラ・シェルバが1923年1月17日に初飛行させたオートジャイロです。
 オートジャイロは回転翼がついていて、見かけはヘリコプターそのもの。ですが、この回転翼は動力で動くのではなく、風力で動きます。つまり単なる風車。

オートジャイロ
オートジャイロ
(翼を回転軸に固定しないことで実験成功)


 離陸するには、まずは地上を思い切り滑走し、その風圧でローターを回し、揚力を発生させました。後には、テールローターの採用で滑走距離の短縮に成功します。
 ローターは風で動いているので、オートジャイロは失速する危険がありません。しかも、羽を回転軸に固定せず、自由に動くようにしたことで、滑らかな飛行が実現したのです。
 この「羽を回転軸に固定しない」技術は、イザッコ機などに活かされています。

ヘリコプター
オートジャイロ1号機(上)と2号機。
1号機は2重ローター、2号機は翼の角度を可変にしたものの、ともに墜落


(3)1924年4月18日、アルゼンチンのペスカラは、1つの回転軸に逆回転する2つのローター(同軸二重反転ローター)をつけた機体の新記録を達成します。736mを4分11秒で飛行したのです。

ヘリコプター
 ペスカラ機


(4)1920年代後半、アメリカでローターの羽それぞれにプロペラをつけたヘリコプターが開発されます。いわば羽1枚1枚が飛行機のようなもので、なんとも不思議な構造です。
 しかし、不思議な構造だけに、案の定、実用化されませんでした。

カーチス・ブリーカー・ヘリコプター
カーチス・ブリーカー・ヘリコプター

 
 こうしてさまざまな技術をまとめた結果、世界初の実用ヘリコプターを開発したのが、イタリアのダスカニオでした。第3プロトタイプのD'AT3は、ノンストップで直線距離1078.6mの飛行に成功しています(1930年10月10日)。

ダスカニオのヘリコプター
ダスカニオのヘリコプター


 1939年9月14日、アメリカでヘリの開発をしていたイゴール・シコルスキー(イーゴリ・シコールスキイ)は、試作機VS−300の浮上に成功させます。その後、2年間さまざまなテストをくり返すうちに軍部が注目、最終的にR−4として1942年、米軍に制式採用されました。これが世界初の大量生産ヘリで、後にビルマ戦線などで活躍するのでした。

シコルスキ−の実験機
シコルスキ−の実験機

シコルスキ−のヘリVS−300
VS−300

 シコルスキー社は、第2次世界大戦後にベストセラー機S-51などを販売し、ヘリコプターは一気に広まっていくのです。

<関連記事>
イゴール・シコルスキーの講演録
自衛隊ヘリCH47に乗ってみた
現在の自衛隊ヘリの着陸動画


制作:2012年11月26日


<おまけ>
 一見プロペラ機に見えるけれど、ローターの角度を変えることで、ヘリコプターのような垂直離着陸を可能にした機種をティルトローターといいます。普天間基地への配備をめぐって反対騒動が起きているオスプレイがそうですね。

オスプレイ
オスプレイ(海兵隊のサイトより)

 なお、この特許は、1930年にジョージ・レーベルガーが取得しています。こちらがその特許公報。
ヘリコプター・ティルトローター
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