「一つ目小僧」の誕生
2月8日と12月8日「事八日」の真実

「ひとつもの神事」の1つ目
「ひとつもの神事」の1つ目



 茨城県下妻市に「大宝八幡宮」という関東最古の八幡さまがあります。この神社が創建されたのは大宝元年(701年)で、藤原時忠が、宇佐神宮(大分県宇佐市)を勧請したのが始まりです。

 この神社では、9月初旬と中旬に、不思議な神事が2つ続けておこなわれます。

 1つめは「タバンカ祭(松明祭)」という火祭りで、1370年、別当坊(神社に属しながら仏教行事をおこなう寺)が出火した際、タタミや鍋ぶたを使って火を消したという故事を再現したもの。松明の火を囲んでタタミや鍋ぶたを勢いよく石畳に叩きつけるのですが、このときのバタンバタンという音からタバンカの名になったと伝えられています。

タバンカ祭
タバンカ祭


 2つめが「ひとつもの神事」です。
 
 これは、その昔、大宝沼に住んでいた白い大蛇(青龍権現)に若い娘を捧げる風習がありましたが、あるとき若い娘の代わりに一つ目のわら人形を作って差し出したところ、白蛇は驚いて沼から逃げ出したという話がもとになっています。人身御供が消滅したことを祝って、現在も9月15日の夜、一つ目のわら人形を奉じた世話人が地域を練り歩き、最後は人形を川に流すのです。

1つ目が街を練り歩く「ひとつもの神事」
1つ目が街を練り歩く「ひとつもの神事」



 なんとも珍しいお祭りですが、「一つ目」といえば、普通は「一つ目小僧」や「から傘お化け」が思い当たります。いったい「一つ目小僧」や「から傘お化け」はどのように誕生したのか、今回はその背景を探ります。

神事のあと、川に流された一つ目のわら人形
神事のあと、川に流された一つ目のわら人形(実際は真っ暗闇)



 一つ目小僧に関するもっとも基本的な文献は、民俗学の泰斗・柳田國男の『一目小僧その他』です。同書によると、

《たとえば飛騨国などには、一目小僧はおらぬが一目入道がいる。高山町の住広造氏の話に、雪の降る夜の明け方に出るもので、目が一つ足が一本の大入道である。よってこれを雪入道と称して子供が怖がるという。
 
 一目はかねて足も一本だということはまたずいぶんひろく言い伝えられている。(中略)
 紀伊国でも熊野の山中に昔住んでいた一踏鞴(ひとつだたら)という兇賊のごときは、飛騨の雪入道と同じく、また一眼一足の怪物であった》

 とし、一つ目は一本足であることも多いと指摘しています。「一踏鞴(ひとつだたら)」は「一本だたら」とも言いますが、これは有名な一眼一足の怪物です。そういえば、「から傘お化け」も一眼一足です。

 そして、柳田はこうした事例から、「不満足ながら」一つ目小僧に対して、こんな仮説を提示します。

《一目小僧は多くの「おばけ」と同じく、本拠を離れ系統を失った昔の小さい神である。見た人が次第に少なくなって、文字通りの一目に画にかくようにはなったが、実は一方の目を潰された神である。

 大昔いつの代にか、神様の眷属にするつもりで、神様の祭の日に人を殺す風習があった。おそらくは最初は逃げてもすぐ捉まるように、その候補者の片目を潰し足を一本折っておいた。そうして非常にその人を優遇しかつ尊敬した》

 そうした風習がいつの間にかなくなり、ただ目を潰す儀式だけが残っていった、とするのです。

 一方で、前出の「一本ダタラ」が古代の製鉄技術者「たたら師」に通じることから、一つ目の神を『日本書紀』に書かれた鍛冶神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)だとする考えもあります。
 
「天目一箇神」はその名のとおり一つ目で、天岩戸に隠れた天照大神を誘い出すための祭りで、刀などの祭器を作ったとされ、その後、鍛冶や製鉄の神となりました。

古代のたたら
古代のたたら(和銅博物館)



 では、なぜ「天目一箇神」は一つ目なのか。これに関し、民俗学者の谷川健一は、たたら製鉄において、もっとも重要なことは炎の強さを一定にすることだったとし、技術者はずっと炎を見ているため失明者が多かったと指摘。

《たたら炉の仕事に従事する人たちに、一眼を失する者がきわめて多く、それゆえに、彼らは金属精錬の技術が至難の業とされていた古代には、目一つの神とあおがれた》(『青銅の神の足跡』)

 としています。さらに、一本足については、

《たたらを踏むのは中国地方では、伯耆大山に後向きに登るように辛い作業だと言われていた。そこで足や膝を酷使して疾患も起りやすく、足萎えになりやすかったのではないかと想像するのである。少なくとも一本足の神を一つたたらとか一本たたらとか呼んでいるのは、送風装置のたたらと一本足とが関連をもつことを暗示している》

 と、片目片足は職業病だとみなし、そうしたたたら師を神扱いしたとしています。

『鉄山記』
『鉄山記』(和銅博物館)



 また、若尾五雄は「ひょっとこ」について、炉の火を吹いている「火男」だと推測。片足については、一方の足を地面に、もう一方の足をふいごに乗せている姿だとしています。ちなみに、しばしば目の大きさが違うのは、煙が目に入ったからとも言われています。

 柳田國男は「妖怪とは神が零落したもの」と考えていますが、たしかに「天目一箇神」が落ちぶれて「一つ目小僧」や「から傘お化け」になったと考えると納得がいきます。

ひょっとこ面
ひょっとこ(霧島天狗館)



 なお、昔話の「桃太郎」の元ネタとされる岡山県の「温羅(うら)」伝説にも金属が関わっています。

 百済から流れ着いた王子・温羅は、鬼ノ城(きのじょう)にこもって、物資や女性を略奪していました。人々から「鬼」と恐れられましたが、一方で製鉄技術を日本に伝えたとされています。しかし、あまりに傍若無人で、これを征伐したのが吉備津彦命(五十狭芹彦命)です。

 両者の戦いはなかなか決着がつきませんでしたが、吉備津彦が2本の矢を同時に放ったところ、1本の矢がみごと温羅の左目に刺さり(=片目になり)、無事、成敗できたという話です。

 ここでも1つ目は金属と結びついています。

鬼ノ城(岡山県総社市)
鬼ノ城(岡山県総社市)



 さて、その後、一つ目小僧は、製鉄から離れ、日本各地で伝承が広まっていきます。
 
 有名なのが、かつて日本全国でおこなわれていた「事八日(ことようか)」です。これは2月8日と12月8日の年中行事の総称ですが、「一つ目小僧」や「箕借り婆」「ダイマナコ」といった妖怪や悪神がやってきて害をなすのを防ぐため、魔除けを飾るのが一般的です。

 一般的に知られるのが、節分の日に鬼を追い払うため、ヒイラギの枝に焼いたイワシの頭を刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を飾る風習です。

ヨーカゾー
ヨーカゾー(下鶴間ふるさと館)



 また、神奈川県大和市では、一つ目小僧を祓うため、江戸時代から厄払いのお守り「ヨーカゾー」を飾ります。一つ目小僧は履き物が散らかっている家に目印をつけ、災難をもたらすと伝えられているので、編み目の多いザルやカゴを軒先に飾り、「目」の多さで驚かせるのです。ヨーカゾーの名称は「8日(ようか)」と「小僧(こぞう)」の語呂合わせです。

籠目(かごめ)
籠目(かごめ、下鶴間ふるさと館)



 民俗学者の宮田登は、事八日について、11月8日におこなわれた製鉄民のまつり「ふいご祭」「金山権現祭」が1カ月ずれたものだと推測しています(『江戸歳時記』)。

 ちなみに、この日は「針供養」の日でもあります。女性はいっさい針仕事をしない休日であり、金物を避けるということは、金属に関わる職人も同様に休みを取ったに違いないと、宮田は推測しています。

淡島神社
針供養の総本山・淡島神社(和歌山県)



 では、製鉄民のまつり「ふいご祭」は、いったいどんな祭りなのか。

 若月紫蘭『東京年中行事』によると、その源流は、一条天皇の時代、京の三条に住んでいた刀剣鍛冶が「稲荷様」(伏見稲荷大社)を信仰していたことにあるようです。刀鍛冶は、刀剣の鍛錬にあたって必ず斎戒沐浴して身を清め、稲荷様に祈りを込めてから取りかかり、さらに一刀を得るごとに鍛錬場を清め、ふいごのそばに御酒を供えました。
 
 その後、祭りの形に進化。「ふいご祭」当日は、家ごとに2階や屋根の上から、往来に向かってみかんをばらまき、それを子供たちが拾う習わしでした。ただ、明治時代末期にはすでにその風習はすたり、家の神前にみかんを供える程度になっていたようです。

 さて、ここで思い出されるのが、紀伊國屋文左衛門の故事です。ある年、紀州はミカンが大豊作だったにもかかわらず、嵐で航路は閉ざされ、江戸のみかん価格が高騰。そんななか、紀伊國屋文左衛門が無理に出港してみかんを運んでボロ儲け、という話です。

 なぜ江戸で大量のみかんが求められたのか――もちろん、それは「ふいご祭」の可能性が高いのです。

紀伊國屋文左衛門のみかん船の帆柱(淡島神社)
紀伊國屋文左衛門のみかん船の帆柱(淡島神社)



 日本の製鉄は、鍛冶の守護神「金屋子神」(金山彦とも天目一箇神とも)が、高天原から播磨国に天降って、鍋など鉄器製造の技術を教えたことが始まりです。その場所は志相郡岩鍋(現在の兵庫県宍粟郡岩野辺)とされており、そこには荒尾鉄山跡があります。

 金屋子神は、舞い降りたとき「悪魔降伏」「民の安全」「五穀豊穣」を謳いましたが、のちに白鷺に乗って西に移動、桂の木の枝に飛来し、そこで「われは金屋子の神なり、ここに住居し、蹈鞴(たたら)を仕立て、鉄吹術を始むべし」と宣言しました(『日本科学古典全書』所収、下原重仲『鉄山秘書』)。

 桂の木は、春先に真っ赤な芽を吹きますが、おそらくはこれが「炎」に見立てられ神木とされ、その後、みかんの木に変貌したのでしょう。

鉄の神様を祀る「南宮大社」
金山彦を祀る「南宮大社」。鉄の神様の総本山で11月に「ふいご祭り」が開催される



『鉄山秘書』には、「村下(たたら操業を取り仕切る技術者)」が死んだあと、その骨を掘り起こして、たたら場の柱にくくりつけたところ、よく火がつくようになったとの記述があります。さらに、ドクロに祈ったところ、炉内の様子がよくわかるようになったなどの文章も書かれています。

 製鉄は秘術として伝えられ、それを最初に見た人間は神の仕業だと驚愕しました。それが、次第に鬼や妖怪のものだと恐れられ、ついには「一つ目小僧」や「から傘お化け」に落ちぶれていったのです。

 製鉄には「巨人伝説」と結びついたものもありますが、一方で、零落した神は、いつしか妖怪にまで落ちぶれてしまったのです。


制作:2025年12月6日

<おまけ>

 柳田國男の『一目小僧その他』には、信州で、額に目の穴が1つだけ空いたドクロが発掘されたことが記されています。あるいは奇形児だったのかもしれません。

 現在も神奈川県座間市には、「一ッ目小僧の墓」と称するものが残されています。昭和7年(1932年)、穴を掘っていたところ、目が1つだけの骨が出てきたというのです。その骨は埋葬され、卒塔婆には「南無一ツ目小僧地蔵菩薩 御尊霊」と記されています。

一ッ目小僧の卒塔婆
一ッ目小僧の卒塔婆
© 探検コム メール