医光寺の彫刻・表裏完全版

 群馬県桐生市にある医光寺の欄間には、中国の「二十四孝」の物語を題材にした彫り物が残されています。
 現在では若干色あせていますが、もとは極彩色を施した透かし彫りです。
 彫り物師は、地元の上田沢出身の関口文治郎有信と伝えられています。

 あまりネット上に画像がないので、14面の表と裏を一挙に公開しておきます。

  医光寺の彫刻
楊香(ようこう):父と山に行くと、虎が2人を食べようとした。楊香が自分が食べられるように祈ると、虎は逃げていった

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
姜詩(きょうし):いつも長い距離を歩いて母のために水と魚を手に入れていたが、ある日、家のそばに川が湧いた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
老莱子(ろうらいし):老いた母が、我が子がこんなに年をとったと悲しまないよう、いつも子供のように振る舞った

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
閔子騫(びんしけん):継母にいじめられ、薄い服を着せられた。自分だけが寒さを我慢すればいいと言うと、継母は以後かわいがってくれた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
大舜:親孝行の舜が田を耕しに行くと、象が田を耕し、鳥が田の草を取ってくれた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
漢文帝:親孝行だった文帝の世は豊かで、民衆も住みやすかった

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
庾黔婁(ゆきんろう):病気の父を前に、北極星に身代わりになることを祈り続けた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
郭巨(かくきょ):食料が足らず、母を養うために3歳の子供を埋めにいくと、黄金の釜が出てきた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
董永(とうえい):父の葬式代を出すために身売りするが、途中で会った美女と結婚。美女は天女だった

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
丁蘭(ていらん):死んだ母の木像を作って尽くした。像を焦がした妻に3年間詫びさせると、木像は元に戻った

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
孟宗(もうそう):冬に竹の子が食べたいという病気の母のため、雪を掘っていると、土の中から筍が出てきた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
王裒(おうほう):雷が鳴ると、生前、雷を怖がっていた母の墓に急いで行った

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
剡子(ぜんし):鹿の乳が眼の薬になると聞き、両親のために鹿の皮をまとって、群れに紛れた

医光寺の彫刻



医光寺の彫刻
テーマ不明

医光寺の彫刻



制作:2015年6月23日


<おまけ>
 落語の「二十四孝」は、親孝行して小遣いをもらおうとする物語。
「親孝行のために雪に埋もれた竹林を掘ると、金の釜が出て、中から鯉が飛び出すそうだ」と、エピソードが混合したり、「隣の子供を埋めよう」と言ったり。
 最後は、母親が蚊に食われないように自分が裸になって眠った呉孟をマネして、酒を呑んで蚊を集めようとする。目が覚めると一切蚊には刺されておらず、「親孝行の徳だ」と喜んでいると、当の母が、
「あたしが夜どおし、あんたを扇いでたんだ」
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