北海道開拓使の誕生
あるいは坂本龍馬の蝦夷地進出計画

北海道庁
北海道庁旧本庁舎


 1899年(明治32年)、坂本龍馬の妻・お龍(りょう)の回想録が、高知県の土陽新聞に掲載されました。

「北海道ですか、アレはずっと前から海援隊で開拓すると云って居りました。私も行く積(つも)りで、北海道の言葉を一々手帳へ書き付けて毎日稽古して居りました」

 お龍は、龍馬の北海道開拓に同行するためアイヌ語を勉強していたというのです。
 龍馬は、長らく北海道の開拓を夢見ていました。最初は1864年のことで、勝海舟にその野望を語っています。

《龍馬が船でやってきた。京都・摂津の過激な輩200人程が、蝦夷地を開発し、通商しと、国家のために働くそうだ。
 全員を神戸から黒龍丸で送り込むことは、朝廷も、老中・水野和泉守もご承知だ。費用の3000〜4000両は同志の者から集めたという》(『勝海舟日記』より意訳)

 しかし、龍馬は暗殺され、北海道開拓の夢は実現しませんでした。

北海道開拓使
北海道開拓使仮庁舎


 1854年の神奈川条約で、函館の開港が決定。幕府は松前藩に土地を収容させ、箱館奉行所を開設。そして、南部藩、津軽藩などに北方警護に当たらせます。
 蝦夷地に開拓と警護で入った士族は、「在住」と呼ばれ、手当が支払われました。

 箱館戦争を経て、1869年(明治2年)、太政官布告により「蝦夷地」を「北海道」と呼ぶことが決まりました。

北海道開拓使
北海道開拓使庁舎の上棟式
(明治6年、北海道立文書館の展示より)


 この年出された「開拓の心得」には、

《北海道は皇国の北門最要衝の地なり、今般開拓仰付けられ候に付ては、深く聖旨を奉体し、撫育の道を尽し、教化を広め、風俗を敦(ただ)すべきこと》

 などとあり、遠大な開拓に向けての気概が感じられます。ただし《土人と協和》《開化心を尽す》など、差別意識も強いものでした。

北海道開拓使
札幌・創成川付近(明治5年)


 開拓使長官・鍋島直正は全道を11カ国に分け、各藩の協力で開拓を進めます。
 政府は、予算難により大規模な開拓ができなかったので、全道の支配は1省(兵部省)、1府(東京府)、26藩、8士族、2寺院による「分領支配」となりました。

 熊本藩は根室、佐賀藩が釧路、高知藩(廃藩置県後なので土佐ではありません)が石狩といった具合。ちなみに、根室の一部は東京府が手に入れています。

 このほか、明治改元で食えなくなった士族が、独自に開拓に乗り出します。

 たとえば、箱館戦争で榎本武揚を支援した東北諸藩は、改易により、突如、収入ゼロになってしまいました。そこで、角田藩の石川邦光は室蘭、仙台藩の片倉小十郎は幌別、亘理藩の伊達邦成は有珠郡に自腹で進出しています。

 明治7年には、志願者による屯田兵制度が導入されました。
 財政難を打開するため、東北地方の士族を中心に20年の服務に就きました。

北海道開拓使
士族が多かった北海道開拓団


 開墾者を悩ますのは、寒さだけではありません。
 明治13年から17年くらいまでは、コレラが蔓延、さらにトノサマバッタによる蝗害が発生しました。蝗害は、十勝、日高、胆振、石狩の4カ国が、毎年反復して襲われました。

《当時人民その何物たるを知らず、茫然手を束ね到る所惨害に罹る……その飛下する所は青草ために色を変じ原野も赤土に似たり。最嗜の植物は粟・稗・大小麦・黍・牧草なりと雖(いえど)も饑(うえ)るに至っては殆(ほと)んど喫食せざるものなし》(『北海道蝗害報告書』)

北海道開拓小樽
小樽・入船町付近(明治14年)


 明治26年、貧困に苦しむ県下の住民たちを、北海道で自営させるため、滋賀県は「北海道探検隊」を組織、各地の土地や様子の調査に当たらせます。

 その復命書では、以下のように報告されています。

《今回の調査は夏だったので、草木が鬱蒼とし、イバラが繁茂し、昼でもなお暗い場所があった。宿になる家はなく、密林では、ちょっと動くと馬が泥や湿地にハマって動けなくなる。アイヌに案内を頼んでも言葉は通じない。通訳のような人間と糧食を背負って、樹の下で雨露を凌いだり、草むらで野宿する。

 丸木舟を借りて河川を遡るなど、歩行困難な場所が多いが、それよりなにより、アブやブヨなど毒虫が群れをなして飛んでくるのが大変である。手袋を二重にして顔を覆ってやりすごすが、馬は毒虫にやられて倒れたり、木に体を押しつけたりと、名状しがたいほどの危険がある》(文書『北海道実地探検に関する調査要領』)

北海道開拓
『北海道実地探検に関する調査要領』


 その後、北海道の未開地は、1897年(明治30年)に施行された「未開地処分法」によって、開拓民に無償で貸し付けされました。

 1903年(明治36年)に刊行された『北海道移住手引草』によれば、開墾用の土地は1人150万坪以下、牧畜用の土地は250万坪以下、植樹用の土地は200万坪以下とされました。
 土地貸し付けの期間は、5000坪未満で3年、1万5000坪未満で5年、10万坪以上で10年。基本的に土地すべてが成功しないと、更新はありません。

 ちなみに、北海道は新開地だけに金融の利息が高く、通常の銀行金利で年利1割から2割、民間の貸借で月2分から3分でした。高利貸しにいたっては月5分以上もあり、多くの開拓民が借金に追われて破綻するのでした。

北海道開拓使
千歳原野の区画貸付(明治27年)


 なお、1873年(明治6年)に建てられた「開拓使」札幌本庁舎は、1879年、焼失しました。そして、その跡地に、1888年(明治21年)、アメリカ風のネオ・バロック様式で北海道庁が建てられました。

北海道開拓使
北海道開拓使庁舎

北海道庁
北海道庁


更新:2018年9月30日

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