火星の「運河」
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火星人は「運河」を作った
世界を変えた珍説の誕生
運河が走るローウェルの火星想像図
手塚治虫の『鉄腕アトム』初期作品に、アトムが火星探検の隊長に任命される話があります。実は、手塚治虫に強く影響を与えたとされるのが、1940年に刊行された世界初の長編SFマンガ『火星探検』です。原作は小熊秀雄、漫画は大城のぼる。
テン太郎という少年が火星に行き、火星人から盛大に出迎えされるものの、火星のトマトを食べて病気にかかるというほんわかストーリーです。
火星の都市(鈴木御水画「火星探検大双六」1931)
小熊の『火星探検:漫画台本』には、こんな場面があります。
《これが 火星の運河を想像して描いた絵の幻燈だ
うわあ すごいなあ
この太い管はなんでしょう
これが きっと 火星の運河のある所に茂っている植物に水を送る管だ
運河の長さはどれ位あるんです
それが大変じゃ 何千哩(マイル)も続いていることになる
そして時々望遠鏡で火星の運河が2本に見える 学者はこれを二重運河といっているんじゃ》
「火星には運河がある」……こう主張したのは、アメリカ・ボストンの大富豪一族に生まれたパーシバル・ローウェルです。今回は、この火星の運河についてまとめます。
1909年の火星観測図(観測者不明)
火星は赤く目立つことから、古代から観測がおこなわれてきました。
特に中国では「熒惑(けいこく)」と呼ばれ、さそり座のアンタレスに接近することを「熒惑守心」とし、不吉の前兆とされていました。また『史記』には「出則有兵、入則兵散」とあり、火星の動きによって国の乱れが予言できるとされました。中国の天文学者は、火星の観測が最重要の仕事だったのです。
火星から戦争を連想することは多く、古代メソポタミアでは戦いの神「ネルガル」の名を冠し、古代ギリシャでは「アレース」、古代ローマでは「マルス」とされました。このマルスが、火星の名称Marsにつながっています。なお、古代インドでは「マンガラ」として吉祥神となっています。
火星を観測するティコ・ブラーエ
火星の観測で有名なのが、16世紀のデンマークの貴族ティコ・ブラーエです。
当時、「コペルニクス体系」として、太陽系は、太陽を中心として水星、金星、地球、火星、木星、土星が同心円を描きながら公転していると考えられていました。しかし、火星の位置が大きくズレることから、ティコは火星観測を続けました。
この観測データを引き継いだのが助手のケプラーで、ケプラーは火星の軌道が楕円だと喝破しました。これがケプラーの第1法則で、天体観測の基本が確立したことになります。
19世紀末、イタリアの天文学者スキャパレリが「火星に運河があるらしい」という説を発表します。実際には「火星表面に線条(canali)がある」ですが、canali が英訳でcanals(運河)の意味に取られたのです。
スキャパレリの火星スケッチ
次いでフランスの天文学者カミーユ・フラマリオンが1892年、『火星とその居住可能性の諸条件』を出版し、火星には火星人が住んでおり、カナリという人工的な灌漑施設(運河)があると主張しました。
こうして、「火星に運河」説の基礎が作られました。この説に強い影響を受けたのが、アメリカのパーシバル・ローウェルです。ローウェルは、グランドキャニオンに近いフラッグスタッフ(アリゾナ州)に天文台を建設し、膨大なスケッチを残しました。そのデータを分析し、火星の運河は、極地の氷が溶けてできた水を乾燥した都市部に送り込むもので、高度な知能を持つ火星人によって建造されたと結論づけました。
ローウェルの火星スケッチ
これに対して、反対意見も続出します。
いちばんは「いくら観察しても運河なんて見えない」という至極まっとうな意見です。分光器の分析によって、流れるほど水があるはずがないという意見や、生物が生きられる環境ではないとの見解もありました。
なかでも強く批判したのがアントニアディです。スキャパレリの天体望遠鏡は口径8インチ、ローウェルは24インチ、これに対し、アントニアディは33インチ(84cm)の望遠鏡を使いましたが、運河は見えませんでした。
アントニアディによる火星観測図
また、太陽黒点の研究で知られるエドワード・マウンダーは、火星の話を聞いたことのない男子生徒に対し、どのように運河が錯視されるのか実験をおこなっています。簡単に言えば、多数の点があると、それがつながって線のように見えるということです。また、一度直線だと思った人たちは、次の実験でも同じような直線を描くことが多いこともわかりました。
複数の点が線に見えるマウンダーの実験
(天体物理データシステムより)
大富豪の家に生まれ、ハーバード大で優秀な成績を収めたローウェルは、火星の研究に乗り出す前、日本に強い関心を持っていました。大森貝塚を発見したエドワード・モースの講演を聞いて感銘を受け、1883年に初来日。以後何度となく日本にやってきました。特に1889年には石川県を旅し、旅行記『能登』を書き、ボラ待ちやぐらを見て「怪鳥ロックの巣のようだ」と記しています。
基本的には上から目線で日本を見ていますが、たとえば日本語の習得について、《まったくもって奇妙な語彙、文法の完全な反転、精巧すぎる敬語のシステムが組み合わさって、簡単ではない》(『極東の魂』)などと、日本語や日本文化について、わりと的確な分析もしています。
そんな日本研究に熱心だったローウェルでしたが、前述のスキャパレリの火星の線条の話を聞き、日本研究を捨て、火星研究にハマっていくのです。
中村要による日本初の火星観測図(1926年)
ローウェルの運河説は世界中の人間に多大な影響を与えました。
イギリスの作家H・G・ウェルズは『宇宙戦争』を、後にターザンで有名になるバローズは『火星のプリンセス』を書きました。この『宇宙戦争』が、頭のでかいタコのような火星人のイメージを確立した作品です。なお、ローウェルを日本研究に導いたエドワード・モースも、『火星の謎』という本を書いています。
日本でも、海野十三の『火星兵団』など数多くの作品が書かれました。日本初の国産カラーアニメ『もぐらのアバンチュール』も火星に行く話です。 ちなみに、宇宙とは関係ないですが、江戸川乱歩も『火星の運河』という作品を書いています。
火星の王(鈴木御水画「火星探検大双六」1931)
ローウェルは、死の直前、海王星の外にある「9番目の惑星X」の存在を計算によって予言します。1930年、クライド・トンボーがその予言どおりに新惑星を発見。実際は単なる偶然でしたが、パーシバル・ローウェルの頭文字PとLを使い、新惑星はPLUTO(冥王星)と名付けられました。
なお、火星に運河がないことは、探査機が到達して初めて確実に判断されることになります。
1964年、アメリカのマリナー4号が火星から9600km地点で写真撮影に成功。これで運河がないことはほぼ確実になりました。
初めて火星に着陸したのは、ソ連のマルス3号(1973年)ですが、着陸後20秒で信号が途絶します。本格的な探査に成功したのは、1976年にアメリカが打ち上げたバイキング1号で、このとき人類は初めて火星の表面の画像を写真を見ることができたのです。
バイキング1号が撮った火星(NASA)
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宇宙開発史/NASAの誕生
制作:2021年7月12日
<おまけ>
長編SFマンガ『火星探検』は、現在の漫画の基礎を作ったとされています。
擬音を描くとき、フォントを変えたり大小をつけたりする表現、吹き出しを話し手の方に引っ張るとき、先端を尖らせる表現などが、この漫画から誕生したと言われています。