月へ火星へ・宇宙開拓史
1957年頃に想定されていた「宇宙往復人工衛星」(スペースシャトルの原型)と「宇宙服」
火星人といえば、頭が異様に大きく、手足が細長いタコのようなイメージがありますが、これはイギリスの作家H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』によって作られたものです。
『宇宙戦争』(原題“The War of the Worlds”)は1898年(なんと明治31年!)に書かれたSF小説で、火星人が地球に攻めてきて、絶滅寸前まで攻撃を受けるというストーリー。
その後、1938年にはアメリカでラジオドラマ化され、あまりの迫真ぶりに市民がパニックを起こした、とされているのは有名な話です。
ちなみに原作では、火星人はトライポッド(tripod)という家よりも大きい巨大な三脚ロボットに乗って攻撃してきます。雷鳴のような音を響かせながら、閃光を放つおぞましい物体です。
「宇宙戦争」に登場する火星人
この火星人というアイデアがどこから来たのかというと、1877年にイタリアの天文学者スキャパレリが、火星の赤みがかった部分に何本もの筋がさまざまな方向に走っていると発表したことによります。
この発表を受けて、アメリカの天文学者ローウェルらが「筋は
火星の運河であり、人工的なものだ」と考え、実際に観察も続けられました(観察結果は後にすべて否定されています)。
人口の運河を管理できる高度な知的生命体は、脳が大きいに違いない、そして火星の重力は小さいから手足は細く進化しているに違いない、ということで火星人が誕生したのでした。
火星はかなりゆがんだ長円形軌道で、だいたい15年ごとに地球に近づいてきます。
戦前の昭和14年(1939)に最接近した火星は、続いて昭和29年(1954)、6395万キロまで接近しました。
ちょうどこのころ、世界では宇宙への関心が非常に高くなっていました。当時、世界最大だったアメリカのパロマー山望遠鏡(200インチ)などがいっせいに観測を始めたのです。
同時に、火星へロケットを飛ばせないかという科学者の思いも強くなりました。特に熱心だったのが、世界初の弾道ミサイルV2を開発したドイツ人のフォン・ブラウン博士。彼は戦後、アメリカに亡命し、陸軍で誘導弾の開発に取り組みながら、宇宙開発を進めていました。
そのブラウン博士は、1954年当時、「火星旅行は100年後に可能になる」と考えていました。
博士はロケットで地球を飛び出し、宇宙ステーションを設置、ここでさらに小型ロケットを組み立て、2年半かけて往復するという計画を立案。火星では石油と過酸化水素で動くトラクターで自由に動き回る案もありました。
火星を動き回るトラクター。球内では酸素マスクなしで生活可能
(1954年頃の想像図)
火星から地球へ戻る準備中
さて、ブラウン博士が、火星よりはるかに実現度が高いと考えていたのが月でした。博士は、火星同様、まずは月を周遊する人工衛星を作り、そこからロケットで月に向かう計画を立てていました。1950年から15年以内で月の人工衛星を完成させ、さらに10年以内、つまり1975年頃には月世界旅行が実現できると考えていました。
以下、1953年当時の想像図です。
資材を運ぶ3段ロケット
中央の丸い人工衛星から月へ向かう
月に着陸したロケット。空には地球が浮かぶ
さて、宇宙開発は冷戦抜きでは語れません。
アメリカは1955年7月に、ソ連は同8月に人工衛星の打ち上げを宣言します。
1957年10月、ソ連は世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。翌11月には犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げに成功します。
余談ながら、この年は「地球観測年」だったこともあり、世界中で宇宙ブームが巻き起こりました。そして、当時、地球儀が空前の大ブームとなったそうです。
このように庶民はお気楽ですが、あせったのはアメリカです。人工衛星の代わりに核弾頭を軌道に投入すれば、アメリカのどこにでも核を打ち込めるわけで、まさに建国以来、最大の危機に瀕したからです。これがいわゆる「スプートニク・ショック」ですな。
アメリカはこの年12月に海軍が開発したヴァンガード1号を打ち上げますが、発射数秒後に爆発、大失敗をしてしまいます。
実は、アメリカでは陸海空軍がそれぞれ弾道ミサイルを開発中で、その先陣争いがソ連に負けた大きな原因だと考えられました。こうして1958年、NASAが設立されたのでした。
アメリカが初めて人工衛星の打ち上げに成功したのは、1958年2月1日、ジュピターCロケットによるエクスプローラー1号でした。
失敗した人工衛星「ヴァンガード」
ブラウン博士が熱望していた月面着陸は、アポロ計画によって実現します。アポロ11号が月の「静かの海」に着陸したのは、1969年7月20日。博士が予想した1975年よりかなり前倒しの成功でした。
一方、初めて火星に着陸した探査機は、ソ連が打ち上げたマルス3号(1973年)。本格的な探査に成功したのは、バイキング1号で、着陸は1976年7月20日。もちろんこれは無人です。火星に人類が到達するのは、いったい何年後のことなんでしょうか?
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ロケット郵便
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日本のロケット開発の歴史
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H2Aロケット打ち上げを見に行く
制作:2007年12月3日
<おまけ>
ディズニーランドの予想図を前にするウォルト・ディズニー(1954年)
ロサンゼルス近郊のアナハイムにあるディズニーランドが開業したのは、1955年7月17日。
つまり、人工衛星の打ち上げには成功していないけれど、誰もが実現を期待していた時代です。この時代背景があったからこそ、ディズニーランドには宇宙旅行を中心にした「トゥモローランド」が出来たのでした。
それはある意味、冷戦の置き土産といえるかもしれませんね。
ちなみにウォルト・ディズニーは、開業を前に次のように語っています。
「これは私の20年来の夢でした。いつの日か、子供たちが心の中で描いている『おとぎの国』を作ろうと考えていた。そして子供たちの空想の中にある水星だとか月の世界訪問の夢だとかをも、何とか満足させてやりたいと考えました」(「国際文化画報」1955年1月号)
開業前は「ランド・オブ・トゥモロー」と呼ばれていました(ディズニーのオフィス)
<おまけ2>主な宇宙開拓史
1957年10月 ソ連、「スプートニク1号」打ち上げ
1961年04月 ソ連、
ガガーリン飛行士、初の宇宙飛行
1969年07月 米国、「アポロ11号」月面着陸
1971年04月 ソ連、世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」打ち上げ
1973年05月 米国、宇宙ステーション「スカイラブ1号」打ち上げ
1976年07月 米国、「バイキング1号」火星着陸
1980年11月 米国、「ボイジャー1号」土星通過
1981年04月 米国、スペースシャトル初飛行
1986年01月 米国、「ボイジャー2号」天王星通過
1998年11月 国際宇宙ステーション、建設開始
2003年10月 中国、有人宇宙船「神舟5号」打ち上げ
月と火星の同時撮影に成功(2008年2月16日)