「文字」、あるいは「記録」の誕生

ヒエログリフ
ヒエログリフ


 北海道南部の平取町に、源義経をご神体とした「義経神社」があります。
 言うまでもなく義経は、1189年に岩手県の衣川で31歳の生涯を終えました。しかし、実は死んでおらず、そのまま北海道に逃げのびたという伝説が根強く残っています。その“証拠”がこの神社というわけですな。

義経神社
義経神社


 ではその後、義経はどうなったのか?

 明治11年(1867)に北海道を旅したイザベラ・バードの旅行記『日本奥地紀行』によれば、ピラトリ(平取)のアイヌ集落に落ち着いた義経は、アイヌに文字や数字、そして法律などさまざまな学問を教えました。ところが、後からやってきた日本人たちが有用な書物をみんな持っていってしまったことで、アイヌの学芸は滅び、文字さえ消えてしまった……これがアイヌが信じる歴史です。

 現実にはアイヌは文字を持っていませんでした。民族の歴史はユーカラという口承叙事詩で伝えられています。
 アイヌは物事をすべて記憶して生きていたのです。

 で、ここで問題。人は本当にそこまでの記憶力があるのかどうか?
 
 古来、記憶力に異常に優れた人物は数多くいます。
 日本で言えば、古事記のデータをすべて暗記していた稗田阿礼(ひえだのあれ)が有名ですな。
 古代ギリシャで言えば、大地震で崩壊した建物内にいたすべての客の座席を覚えていたシモニデスが有名です。

 しかし、普通の人間はここまで記憶力はないので、どう考えてもすべてのことを覚えることはできません。そこで、記憶を思い出させる手がかりが必要となります。
 アイヌにも、そうした手がかりがありました。

 1878年に北海道を旅行したクライトナーの『東洋紀行』には、次のように書かれています。

《知的な面では遅れをとっているこの民族(アイヌ)は、読み書きを知ら ない。文字がないからである。個人生活に深くかかわる数に関しては、鋭い記憶力を発揮するものの、かつて文字を持っていたとする痕跡はなさそうだ。鹿皮や鹿角、什器や武器などの所有物の数を記録するのには、刻み目を入れた小さな木の棒を使う。目盛りは10番目ごとにはっきりと浮き彫りにされている。記憶を助けるもうひとつの手段は、綱に結び目をつけることである》

 やはり文字のなかった南米ペルーには、縄目で数を記憶する「キープ」がありました。ハワイにもこうした結縄で記録する文化が確認されています。

 実は沖縄にもあって、主に藁で編んだ縄で文字と算数を代用していました。物品の交換や、契約書、収税、戸籍上の記録に利用されていたんですな。これを「藁算」というんですが、なんと20世紀初頭まで使われていました。

ペルーの結縄「キープ」
ペルーの結縄「キープ」


 これが無文字文化の「記録」の誕生。一方、文化によっては「文字による記録」がかなり早い段階で始まりました。

●絵文字の誕生

 もともと、文字は、事物を形だった絵から始まったのはご存じの通り。これを象形文字と言いますが、その前に「絵文字」がありました。絵文字は洞窟の岩絵が進化したもので、「絵に意味があるものの、読みがなく、結果として言語と結びつかないもの」です。
 具体的にはこんな感じ。アラスカ・エスキモーの絵文字です。

アラスカ・エスキモーの絵文字

 1  話す人(右手は自分を指す)
 2  カヌーのオールで移動
 3  1泊の睡眠(右手は頭にあって睡眠、左手は1を意味)
 4  島の小屋(円が島で、中の点が小屋)
 5  話す人(1と一緒)
 6  他の島
 7  2泊の睡眠(3と同じだが、左手は2本)
 8  銛(狩りのはじまり)
 9  アシカ
 10 弓矢で狩り(狩りの終わり)
 11 2人乗ってる船
 12 冬の家


 これを訳すと、「私はカヌーに乗って出かけます。島の小屋で1泊し、そこから次の島に渡って2泊し、アシカを捕ります。そして、カヌーで友達と家に帰ります」となるわけです。

 これだけの絵にそんな意味があるのかとも思いますが、たとえばこちらはダコタ・インディアンが水牛の皮に描いた年代記。1800年から1870年までの記録がこの絵の中に埋め込まれているそうです。絵文字は想像以上に深い意味を持っているんですな。

ダコタ・インディアンの文字
水牛に描かれた71年の歴史

 ただし、前述の通り、絵文字は言語と結びついていません。そのため、言語学的には文字ではありません。絵文字から文字に進化するのは、もう少し時代が下ります。

●BC3500:文字の誕生


 では、世界最初の文字は何か? それが、紀元前3500年頃にメソポタミア(現在のイラク・クウェート)のシュメール人が発明した楔形文字です。
 これがシュメール文字の一例。

シュメール文字
 左:上から「星」「星座」「太陽」「土地」
 中央:上から「牛」「魚」「鳥」「水鳥」
 右:上から「基礎」「尻」「背」「舌」

 意外に抽象的な言葉も使われていて、シュメール文字が「運命」、シュメール文字が「新しいこと」。

 この楔形文字がバビロニア、アッシリアの時代を経て進化していきます。
 下の画像は有名なハンムラビ法典(紀元前1800年頃)の「目には目を」の記述。

ハンムラビ法典
 1行目 スム・マ、ア・イ・ルム
 2行目 イ・イン・マール、ア・イ・リム
 3行目 ウフ・タブ・ビ・イツ
 4行目 イ・イン・スー
 5行目 ウ・ハ・アプ・ボ・ズ

 
 これを訳すと「もし人が他人の目を害せば、他人もまたその人の目を害すべし」となるのです。

●BC3300:漢字の誕生


 紀元前3300年ごろの中国の遺跡からも、文字らしきものが描かれた土器が発見されています。
 『説文解字』の序文によれば、紀元前3300年頃の伝説の皇帝・伏羲(ふくぎ)が八卦を創設し、これが記録に使われた最初の記号とされています。
 その後、紀元前2740年頃の皇帝・神農が結縄(縄による記録)を作ったとされます。前述した沖縄の結縄もここから始まったわけですな。

 そして、紀元前2500年頃、黄帝に仕えていた蒼頡(そうけつ、倉頡とも書きます)が鳥の足跡から漢字を発明しました。もちろん伝説なんですが、蒼は「創」を、頡は「結」を表すことから、初めて記録をつくった人のことを指すと考えられています。

 その後、漢字はさまざまな字体を経て、完成されていきます。
 たとえば「視」という字は「神への供物を見る目」という状況を絵にしたものですが……

 甲骨文字だと甲骨文字、金文だと金文、説文だと説文こんな感じです。

 なお、日本に漢字が伝わったのは、だいたい紀元450年頃の話です。

●BC3000:ヒエログリフの誕生
 
 一方、古代エジプトでは紀元前3000年頃から、ヒエログリフと呼ばれる象形文字が使われていました。

ヒエログリフヒエログリフヒエログリフヒエログリフヒエログリフ
 「太陽」「月」「星」「空」「水」

 「雨」は空から水が降るのでヒエログリフとなります。「夜」は月と星が輝くのでヒエログリフとなります。漢字もヒエログリフも意外に似てるよね。

 ちなみにヒエログリフの解読に成功するのはフランス人のシャンポリオンですが、そのきっかけとなったのがロゼッタ・ストーン。

ロゼッタストーン ロゼッタストーン
ロゼッタストーン(大英博物館)と細部の拡大


 シャンポリオンが一番最初に解読したのがこの言葉。

ロゼッタストーン

 図の1が「K」で、以下9まで順に「L E O P A T R A」、つまりクレオパトラと書かれていて、10と11は女王と女神の意味です。

 こうした文字がパピルスの普及で本の形になって広がっていくわけです。

パピルスの原料
パピルスの原料

●BC2500:インダス文字誕生(未解読)

●BC1500:アルファベット(表音文字)の誕生


 紀元前15世紀頃、フェニキア人が地中海(イタリア、ギリシャ、トルコ)に都市国家を形成し始めます。フェニキア人は世界最初の貿易の民であり、商売上の必要から文字の統一に迫られました。
 アルファベット自体は紀元前1700年〜紀元前1500年頃に誕生していましたが、紀元前1050年頃に生まれたフェニキア文字が統一文字の基本となりました。
 フェニキア文字がギリシャ文字になり、それがローマでローマ字となりました。

 フェニキア人はアルファベットの最初を「アルフ」といいました。これは牛の意味で、その頭文字を取ってフェニキア人アルファベットとしました。これをギリシャ人がアルファベットとし、ローマ人が「A」と作り替えました。
 2番目の文字はテントの意味で「ベート」と発音します。アルファベットがギリシャで「Β」となりました。
 CとGはラクダの首で、アルファベットがギリシャで「Γ」となりました。

 以下、Dは戸、Eは窓、Fは鉤、Hは垣、Iは手……が元になっています。
 ちなみにUとVとYはギリシャ人が独自に作ったもので、Wはイギリス人が発明しました。

 こうして世界には文字があふれていったのです。

制作:2010年12月30日

 
<おまけ>
 義経が北に逃げたという話は、1644年に徳川家光が林羅山に編纂を命じた『本朝通鑑』続編に初めて登場します。

 その後、明治中期になって、義経が蒙古に渡ってジンギスカンになったという伝説が広まります。伝説が拡大したのは、シ-ボルトが通訳の吉雄忠次郎から聞いて、自著でこの説を強く訴えたのが大きな理由です。この「義経=ジンギスカン」説は、日清・日露戦争で大陸進出を図る日本人に大いに受けました。そして、小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』(1924)が伝説を不動のものにしました。

 余談ながら、モンゴルで話されているモンゴル語と日本語、満州語、朝鮮語、アイヌ語はアルタイ諸語として同じ系統に属するという説があります。戦前の日本が満洲で訴えた「五族協和(ごぞくきょうわ)」は、こんなところにも根拠があったんですね。
 
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