ムササビの文化史
あるいは「天狗」の誕生

ムササビ
ムササビ


 夜の闇を滑空するムササビは、バンドリ(晩鳥)、ノブスマ(野衾)、モミ、モモなど、地方によってさまざまな呼び名があります。九州や北陸ではモマと呼びますが、これは「森の悪魔」からきているとされます。いったい、なにが「森の悪魔」なのか?

ムササビ
ノブスマ(国会図書館「百種怪談妖物双六」)


『源平盛衰記』に、とある「化鳥」が登場します。

 平清盛が皇居に参内したところ、夜半になって、鵺(ヌエ)の鳴き声がしました。当時、ヌエは「朝敵」の象徴とされていたため、「これを捕らえよ」と命令されるのですが、自由自在に空を飛ぶ鳥をどう捕まえればいいのか、清盛は途方に暮れます。
 
 やむなく鳴き声の方向に向かっていったところ、化鳥は清盛の左袖のなかに飛びこんできたため、無事捕まえることができました。清盛は、この手柄によって安芸守になるのです。

 この鳥は、ヌエ(トラツグミ)だと思われましたが、よく見たら「毛(もう)しゅう」だと判明します。

 中国の『酉陽雑俎』には「ろうしゅう」という鳥が記録されています。山中に棲むフクロウのような鳥で、煙を食べるのが好き。人を見ると驚いて必ず落ち、赤ん坊と同じような声で鳴くとされています。南方熊楠は「毛しゅう」はこの「ろうしゅう」であり、ムササビだと判断しています。

 また、「毛しゅう」は漢字では「毛朱」と書くのですが、朝川鼎は「毛未」の誤記であり、同じ音の「毛美」に通じるとして、やはりムササビだとしています。ムササビは毛が美しいことから、古名を「毛美」といったのです。

 鎌倉の建長寺には、たくさんのカラス天狗の像が並んでいますが、このカラス天狗もムササビから来たのではないかという説があります。

ムササビカラス天狗
建長寺のカラス天狗


 柳田國男の『山の人生』には、天狗の怪異として、3つ書かれています。
 
○天狗礫(てんぐつぶて):どこからともなく石が飛んでくるが、人に当たって傷つけることはあまりない
○天狗倒し:木をゴッシンゴッシンと挽(ひ)き切る音が聞こえ、そのうち倒れる音がする。だが、その方角に行ってみても、新たに伐った木も倒れた木もない
○天狗笑い:閑寂の林の中から、突然、10人15人の大笑いする声が聞こえてくる

「ろうしゅう」の鳴き声は赤ん坊そっくりだとありましたが、ムササビの鳴き声は「グルルー」「ギュルルル」「クククク」などと表現されます。よく鳴くので、もしかしたら笑い声のように聞こえた可能性もあります。リスと同じ齧歯類なので、植物の葉や実、時期によっては木を大量に食べて、歯を削ります。幹を登るときは爪を立てるので、「カチカチ」「カッカッカッ」という音がするうえ、すみかとなっている木の穴を補修したりもするので、ノコギリのような音が聞こえる可能性もあります。

ムササビ
ムササビが棲む穴


 また、ムササビは直径5mmほどの正露丸のようなフンを木の上から降らせます。それに当たれば、まるで石が降ってきたと感じるかもしれません。フンが葉っぱに当たるとバラバラと音がするため、これが妖怪「砂かけばばあ」の正体だったとの説もあるのです。

ムササビのフン
ムササビのフン


 ムササビとは関係ない話ですが、天狗は厳しい修行によって「験力(げんりき)」を得るという文脈において、山伏と同一視されてきました。山伏が法会で演じる神楽や田楽で一番使われたお面が、鼻が高い「治道」とカラス顔の「迦楼羅(かるら)」でした。これがそれぞれ天狗とカラス天狗になったとされています。

 ムササビは、カエデ、ブナ、ヒノキなどの葉や実を大量に食べます。常に樹上で生活し、木から木へ100メートル近くも飛翔して、エサを探し回ります。

 基本的に栄養価の低いものを食べているので、体から無駄な熱が放出しないよう、体の表面積を小さくする必要がありました。体の表面積が小さいほど体長が大きくなるという、動物の体温維持に関わる「ベルクマンの法則」があり、ムササビの体は比較的、大きくなりました。同じく空を飛ぶモモンガは体長20cmほどですが、ムササビは40cmほどです。
 
 針状軟骨という特殊な軟骨が発達しているため、皮膜(飛膜)を大きく広げて滑空することができます。その大きさから、ムササビは「空飛ぶ座布団」、モモンガは「空飛ぶハンカチ」と言われます。飛膜を広げればかなりの大きさになりますが、木の穴に潜り込む必要があるので、体そのものは小さい方がいいのです。ムササビの語源は「身細び」だとされますが、体のちょうどいいバランスがあって、初めて空を飛ぶことが可能になったのです。

 皮膜は発展したものの、指は4本しかないため、わりと不器用です。葉っぱを適当に食べては地面に落とす贅沢な食生活をしています。そのため、慣れれば、地面に落ちたフンとエサから、樹洞にムササビがいるかどうか判断できるのです。

ムササビ
ムササビが食いちぎったエサ


 そんなわけで、本サイトの管理人も、達人と一緒に埼玉県飯能市でムササビを見に行ってみました。

 ムササビは完全な夜行性で、日没から30分ほどすると活動を始めます。日が暮れる前に、木の洞をチェックし、じっと待つこと30分ほど。驚かさないように、赤いライトを照らしたところ、2つの瞳が輝くのがわかりました。ネコと一緒で、網膜の後ろに「タペタム」という反射板があるので、光線がそのまま反射して光るのです。

 その後、ムササビは穴から出て飛翔したのですが、慣れない管理人にはまったく見えません。もちろん、撮影もよくできませんでした。残念。残念。。。

ムササビ
ムササビの2つの目


 管理人にはまったく見えませんでしたが、実は、ムササビ猟は簡単だと言われています。現在、ムササビ猟は禁止ですが、かつてはよく狙われました。

 万葉集に、こんな歌が載っています。

《むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟夫(さつを)に あひにけるかも》

 天智天皇の第7皇子・志貴皇子の歌で、ほかの木に移ろうとしたムササビが猟師にうたれた、というただそれだけの歌です。自分の才能に溺れるな、などと深読みすることも可能ですが、まぁ、単純な歌です。

 万葉集の時代から簡単に仕留めることができたムササビですが、そもそも、青森県の三内丸山遺跡など、東北地方の縄文時代の遺跡からはムササビの骨が大量に出土しています。ムササビは寒がりなので、焚き火などで土が温かくなった場所に飛んで来たりするので、そこにワナをかけておけば一発です。

ムササビ
木の間から光るムササビの目(白い部分)


 日没前、ムササビは穴にこもっており、木を叩くと、天敵の襲来かと勘違いして巣穴から顔を出します。驚いて飛翔すれば、銃で簡単に仕留められます。

《寝巣からの追いたてにあうと、入口に顔をのぞかせているときは、すでに滑空にそなえてジャンプの姿勢をとっている。即死すれば入口から転げ落ちる。即死しても反射的にジャンプするので、そのため巣穴の入口から転げ落ちてくる。
 ところが即死しないが重傷を負うと、巣穴から滑空しないで這い出し近くの枝でうずくまる。これは止め矢で落とせばよい。巣穴から頭を出したムササビを、散弾銃で撃つのであれぼ、30mほど遠のいて撃つようにすれば、毛皮のいたみを少なくできる》(『狩猟の世界』1984年2月号)。

 まさに中国の「ろうしゅう」同様、人に会えば必ず落下してくるのです。

ムササビ
狩ったムササビ(『狩猟の世界』)

 
 ムササビの古名は「毛美」ですが、その毛皮は質がよく重宝されました。非常に毛質が柔かく、綿毛は細く緻密で、腹も背も保温性に優れていました。2頭のムササビで子供用の襟巻ができ、4頭で豪華な大人用の襟巻が作れたといいます。

 ただし、毛色が灰褐色なので美しさに欠け、皮が薄いことから、強度にも欠けました。この欠点があったため、ムササビの毛皮は帽子に使われるようになります。

 日中戦争がはじまって、戦線が大陸に拡大していくと、陸軍で防寒毛皮の消費が伸びていきました。その毛皮を調達するため、猟友会が活躍します。

 一方、秋田のマタギたちには銃が払い下げられ、毛皮をとることを命じられます。ムササビ、テン、イタチなどの毛皮が高騰しました。特にムササビは高値がつき、1匹の値が当時の学校教員の月給に匹敵したといわれます。達人になれば、一晩で10匹を仕留めることもできました(読売新聞、2005年11月25日)。

 ムササビは「落ちない」ことから、毛皮は軍の飛行帽として愛用されました。しかし、量が不足し始め、うさぎの毛皮に取って代わられていきます。戦争が終わると、ムササビの毛皮は進駐軍のクリスマス商品になったと言われています。

 ムササビは、人間のために次々と狩られ、その数が激減しますが、禁漁となったいまは、森の中でひっそりと生きているのです。

飛行帽
飛行帽



柳田國男『遠野物語』天狗全文
制作:2020年3月16日

<おまけ>

 先の『狩猟の世界』には、肉の味についても触れられています。

《肉は赤身で味そのものはよいのだが杉臭が強く食味をそこねるのでストレートの料理には向かない。スパイスを使ったり、味噌で調味したりしてくさみ抜きを上手にすれば、結構いただけるものである。それには骨付きのままブツ切りにして、ニンニク醤油のつけ焼きが向いている。

 シチュウなどの煮物であれば、熱湯でゆがいてから使うのがよい。月桂樹の葉や粉チーズは風味と味をひきたてるのでかかせない。野趣を味わうのであれば、沸騰した生醤油に肉を入れ、その上にブツ切りのネギをのせ水を一滴も加えない鍋物がよかろう》
 
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