柳田国男『遠野物語』より「天狗」全文

天狗のお面
天狗のお面


 もともと中国では、天狗は凶事を知らせる流星を意味していました。
 わが国の文献で天狗が最初に登場するのは『日本書紀』で、

《大星従東流西。便有音似雷。時人曰。流星之音。亦曰。地雷。於是。僧旻僧曰。非流星。是天狗也。其吠声似雷耳》

 これが原文です。都の空を東から西へ轟音をたてて流れた巨大な流星について、旻という坊さんが「流星ではなく、これは天狗である。天狗の吠える声が 雷に似ているのだ」と言った記録です。

 ほかに『宇津保物語』では《俊蔭「かくはるかなる山に、誰れかものの音調べて遊びゐたらん。天ぐのするにこそあらめ》、『平家物語』では《若き公卿・殿上人、風情なし知康には天狗付いたりとぞ笑はれける》などとあって、奇妙なもの、不思議なものの代名詞として天狗が使われました。

 ちなみに『今昔物語』では、天竺にいた天狗が、海の水が「諸行無常、是生滅法、生滅滅巳、寂滅為楽」と鳴ったので、驚いてその音の正体を掴んでやろうと思い、海を渡って、九州、大阪を経て琵琶湖から比叡山にたどり着いたという話が残っています。

 そんなわけで、かつて凶事の前兆と恐れられた天狗ですが、それが民間伝承の場では、酒好きのけっこういい奴に変身しています。以下、遠野物語より「天狗」関連記事を全文公開しておきます。



●第29段(遠野物語)
 鶏頭山(けいとうざん)は早池峯の前面に立てる峻峰(しゅんぽう)なり。麓(ふもと)の里にてはまた前薬師(まへやくし)ともいう。天狗住めりとて、早池峯に登る者もけつしてこの山は掛けず。山口のハネトといふ家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。きわめて無法者にて、鉞(まさかり)にて草を苅(か)り鎌にて土を掘るなど、若き時は乱暴の振舞ひのみ多かりし人なり。

 ある時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男3人ゐたり。前にあまたの金銀をひろげたり。この男の近よるを見て、気色(けしき)ばみて振り返る、その眼の光きはめて恐ろし。

 早池峯に登りたるが途(みち)に迷ひて来たるなりと言へば、然(しか)らば送りてやるべしとて先に立ち、麓(ふもと)近きところまで来たり、眼を塞(ふさ)げと言ふままに、暫時そこに立ちてをる間に、たちまち異人は見えずなりたりという。

●第62段(遠野物語)
 また同じ人(和野村の嘉兵衛爺)、ある夜 山中にて小屋を作るいとまなくて、とある大木の下に寄り、魔除けのサンヅ縄をおのれと木のめぐりに三囲(みめぐり)引きめぐらし、鉄砲を竪(たて)に抱へてまどろみたりしに、夜深く物音のするに心付けば、大なる僧形(そうぎょう)の者赤き衣(ころも)を羽のやうに羽ばたきして、その木の梢に蔽(おお)ひかかりたり。すはやと銃を打ち放せばやがてまた羽ばたきして中空を飛びかへりたり。

 この時の恐ろしさも世の常ならず。前後三たびまでかかる不思議に遭ひ、そのたびごとに鉄砲を止めんと心に誓ひ、氏神に願掛けなどすれど、やがて再び思ひ返して、年取るまで猟人の業を棄(す)つることあたはずとよく人に語りたり。

●第90段(遠野物語)
 松崎村に天狗森といふ山あり。その麓なる桑畠(くわばたけ)にて村の若者何某といふ者、働きてゐたりしに、しきりに睡(ねむ)くなりたれば、しばらく畠の畔(くろ)に腰掛けて居眠りせんとせしに、きはめて大なる男の顔はまつ赤(まっか)なるが出で来たれり。

 若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すやうなるを面(つら)にくく思ひ、思はず立ち上がりてお前はどこから来たかと問ふに、何の答へもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思ひ、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたりと思ふや否や、かへりて自分の方が飛ばされて気を失ひたり。

 夕方に正気づきてみればむろんその大男はおらず。家に帰りてのち人にこの事を話したり。

 その秋のことなり。早池峯の腰へ村人大勢と共に馬を曳きて萩(はぎ)を苅りに行き、さて帰らんとするころになりてこの男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死してゐたりといふ。今より20〜30年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。天狗森には天狗多くゐるといふことは昔より人の知る所なり。

●第10段(遠野物語拾遺)
 綾織村字山口の羽黒様では今あるとがり岩という大岩と、矢立(やたて)松という松の木とが、おがり(成長)競べをしたという伝説がある。岩の方は頭が少し欠けているが、これは天狗が石の分際として、樹木と丈競(たけくら)べをするなどはけしからぬことだと言って、下駄で蹴欠いた跡だといっている。
 一説には石はおがり負けてくやしがって、ごせを焼いて(怒って)自分で2つに裂けたともいうそうな。

 松の名を矢立松というわけは、昔田村将軍がこの樹に矢を射立てたからだという話だが、先年山師の手にかかって伐り倒された時に、80本ばかりの鉄矢の根がその幹から出た。今でもその鏃(やじり)は光明寺に保存せられている。

●第98段(遠野物語拾遺)
 遠野の一日市に万吉米屋という家があった。以前は繁昌した大家であった。この家の主人万吉、ある年の冬稗貫(ひえぬき)郡の鉛ノ温泉に湯治に行き、湯槽に浸っていると、戸を開けて一人のきわめて背の高い男がはいって来た。退屈していた時だからすぐに懇意になったが、その男おれは天狗だといった。鼻はべつだん高いというほどでもなかったが、顔は赤くまた大きかった。

 そんなら天狗様はどこに住んでござるかと尋ねると、住居は定まらぬ、出羽の羽黒、南部では巌鷲早池峰などの山々を、行ったり来たりしているといって万吉の住所をきき、それではお前は遠野であったか。おれは五葉山や六角牛へも行くので、たびたび通って見たことはあるが、知合いがないからどこへも寄ったことがない。これからはお前の家に行こう。何の仕度にも及ばぬが、酒だけ多く御馳走をしてくれといい、こうして2、3日湯治をして、また逢うべしと言い置いてどこへか行ってしまった。

 その次の年の冬のある夜であった。不意に万吉の家にかの天狗が訪ねて来た。今早池峰から出て来てこれから六角牛に行くところだ。一時(いっとき)も経(た)てば帰るから、今夜は泊めてくれ。そんなら行って来ると言ってそのまま表へ出たが、はたして2時間とも経たぬうちに帰って来た。

 六角の頂上は思いのほか、雪が深かった。そう言ってもおまえたちが信用せぬかと思ってこの木の葉を採って来たと言って、一束の梛(なぎ)の枝を見せた。町から六角牛の頂上の梛の実のある所までは、片道およそ5、6里もあろう。それも冬山の雪の中だから、家の人は驚き入って真に神業(かみわざ)と思い、深く尊敬して多量の酒を飲ましめたが、天狗はその翌朝出羽の鳥海に行くと言って出て行った。

 それから後は年に1、2度ずつ、この天狗が来て泊った。酒を飲ませると、ただでは気の毒だといって、いつも光り銭(文銭)を若干残しておくを例とした。酒が飲みたくなると訪ねて来るようにもとられる節があった。そういう訪問が
永い間続いて、最後に来た時にはこう言ったそうである。

 おれももう寿命が尽きて、これからはお前たちとも逢えぬかも知れない。形見(かたみ)にはこれを置いてゆこうと言って、著ていた狩衣(かりぎぬ)のような物を脱いで残して行った。そうして本当にそれきり姿を見せなかったそう
である。その天狗の衣もなおこの家に伝わっている。主人だけが一代に一度、相続の際とかに見ることになっているが、しいて頼んで見せてもらった人もあった。縫目はないかと思う夏物のような薄い織物で、それに何か大きな紋様のあるものであったという話である。

●第99段(遠野物語拾遺)
 遠野の町の某という家には、天狗の衣という物を伝えている。袖の小さな襦袢(じゅばん)のようなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗(かんれいしゃ)に似ている。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪(ひょうたん)形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔この家の主人と懇意にしていた清六天狗という者の著用であったという。

 清六天狗は伝うるところによれば、花巻あたりの人であったそうで、おれは物の王だと常にいっていた。早池峰山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著(つ)いて見ると知らぬ間にすでに先へ来ている。そうしてお前たちほどうしてこんなに遅かったかと言って笑ったそうである。

 酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それにいくらでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代によく錆(さ)びた小銭をもって払っていたという。この家にはまた天狗の衣の他に、下駄をもらって宝物としていた。右の清六天狗の末孫という者が、今も花巻の近村に住んで、人はこれを天狗の家と呼んでいる。

 この家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んでいたことがある。この女は夜分いかに厳重に戸締りをしておいても、どこからか出て行って町をあるきまわり、または人の家の林檎園(りんごえん)にはいって、果物を採って食べるのを楽しみにしていたが、今は一ノ関の方へ行って住んでいるという話である。

●第164段(遠野物語拾遺)
 深山で小屋掛けをして泊っていると小屋のすぐ傍の森の中などで、大木が切り倒されるような物音の聞こえる場合がある。これをこの地方の人たちは、10人が10人まで聞いて知っている。初めは斧(おの)の音がかきん、かきん、かきんと聞こえ、いいくらいの時分になると、わり、わり、わりと木が倒れる音がして、その端風(はかぜ)が人のいる処にふわりと感ぜられるという。

 これを天狗ナメシともいって、翌日行って見ても、倒された木などは一本も見当たらない。またどどどん、どどどんと太鼓のような音が聞こえて来ることもある。狸(たぬき)の太鼓だともいえば、別に天狗の太鼓の音とも言っている。そんな音がすると、2〜3日後には必ず山が荒れるということである。
(底本:角川ソフィア文庫)


柳田國男『遠野物語』より
「河童」全文
「神隠し」全文
「座敷童子」全文


制作:2013年1月4日

<おまけ>
 明治初期、和製の紙巻き煙草が売り出され始め、明治16年頃には「天狗煙草」が銀座2丁目で大宣伝を展開します。これが、日本初の大広告とされています。
天狗煙草の広告
天狗煙草の広告
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