戦艦「陸奥」の爆沈/兵士の証言

戦艦「陸奥」
戦艦「陸奥」


 1943年6月8日、戦艦「陸奥」は、山口県岩国市の柱島沖で爆沈しました。

 当時、陸奥に乗船していた予科練艦務実習生・中川要氏が、爆発の瞬間を証言しています。実習生として、土浦海軍航空隊から陸奥に乗った初日に沈没を経験するというレアな経験でした。以下、1955年3月に刊行された月刊『今日の話題』第16集「戦艦陸奥の爆沈」より、爆発と沈没の瞬間を転載しておきます(読みやすさを優先し、一部表記を変更しています)。

■転落

 軍艦(陸奥)での最初の食事を終わって「さて」と私は食卓からはなれた。艦長訓示にはじまる乗艦第1日のスケジュールをいろいろと頭に描きながら。

 艦長訓示が午後に変更されたので、服装も第一種軍装(冬服、七ッ釦<ボタン>)のままで入って、食卓番以外のものは、誰も彼もまず一息と腰をおろしたままである。食卓番にあたっている落合練習生などは山のような残飯を配食鍋にうつしながら、

「土空(土浦海軍航空隊)じゃ、こんなの見ようたって見られんがのう」

 と私の方をみながらニヤニヤ笑っている。軍艦の飯が多かったうえに、呉の海兵団からも弁当をもらってきていたから残るのもあたりまえだったが、明日からの猛訓練ではとたんに腹が減りだすんだがなァと、ちょっと惜しいような気がして、私も見るともなく残飯の山を見ていた。

戦艦「陸奥」で使われた食器など
戦艦「陸奥」で使われた食器など(陸奥記念館)


 すると「グワーン」とものすごい音がして、はらわたがちぎれたかと思うような振動がした。私はおもわず「アッ」と腹をおさえたほどだった。天井の塗料がパラパラとはげておち、ボルトまでがゆるんでカタカタと落ち、一瞬艦内の電燈が消えた。主砲でも撃ったんだなと思いながら、舷窓から外をみると、艦尾のほうからものすごい火柱が海面にふき出していた。

「ありゃ!」
「なんか今のは?」
「おかしいぞ?」

 瞬間、変に感じはしたが、主砲をぶっぱなしたんだろうくらいに思っていた私は、定員の方々が口々にこう叫びながらあわてておられるのを見て変だぞと感じた。主砲を撃ったとすれば、この人たちが主砲分隊というのにあのあわてかたはなんだろう。長椅子にねそべって休んでいた下士官などは、1人のこらず床に投げ出されて驚いている。

戦艦「陸奥」の主砲
戦艦「陸奥」の主砲(大和ミュージアム)


「舷窓をしめろ、舷窓を」
 そんな声がして2、3人のものが舷窓のところにいってガチャン、ガチャンやっている。
「出ろ、出ろ、外へ出ろボヤボヤしとると殺されるぞ」
 また誰かこんなことをいいながら外へ飛び出していった。

 私たちは一瞬どうしたものかとマゴマゴしていたが、「出ろ出ろ」という声に、ひとつあいたままになっている私たちの食卓の横の舷窓を気にしながら出口へとび出した。

戦艦「陸奥」の舷窓
戦艦「陸奥」の舷窓(靖国神社遊就館)


 すると、艦首のほうからと艦尾のほうからとワーッと出て来た人の波におされて足が地につかないまま、私は上甲板に通ずる階段を押し上げられた。私たちの居住区の前にあった通路は幅半間ぐらいで、艦首から艦尾に通じ、左舷にも同様なものが通っていた。また上甲板に通ずる階段も軍艦の中では最も幅の広い、一間近くもある階段だった。思えば何もかも私に幸して、奇しくも生をうけることが出来たのである。

 居住区の出口を一歩出るなり、急流の如く前からと後から夕ラップめざして走ってくる人の波が目に入っただけで、知らぬ間にタラップをおしあげられていた。あの場合、万一転びでもしたらもちろん助かるはずもなし、そのときすでに多くの人の足の下敷となって死んでいたであろう。いま思い出してもぞっとする。

 私はその間にまず思ったことは、これはてっきり飛行機にやられたんだろうということだった。絵や写真でたびたび見せられた真珠湾攻撃の様子を思い、上甲板に出たらきっと上空には米国の飛行機が乱舞していて、次には機銃掃射をあびせられるにちがいないと思った。そして、陸奥はもう沈没するかもしれん、しかし俺は泳げるんだ、泳げるから訳はない、助かるんだ、と自分でも意外に思うほど落ちついていたことを記憶している。

 パッと上甲板に押し出された私は、まず空を見上げたが、機銃掃射どころか飛行機一機飛んでいない。さては潜水艦だなと思ったが、その間に、もう艦は右舷にかたむき、ものにつかまっていても立っておれなくなった。人の波におされながらも、泳がなくてはならんと思っていた私は、上甲板に出ると同時にバッバッと甲板を蹴って両足の半靴をぬいだ。

戦艦「陸奥」の上甲板
戦艦「陸奥」の上甲板


 そして次に、七ッ釦の上衣に手をやってバリバリと釦をひきちぎって、上衣をぬぐ用意をした。もはや立っておられなくなり、傾いた甲板から下を見れば、先に飛びこんだ人たちであろう、2、3人の人たちが、泳いでいるのが見える。泳ぎながら大丈夫だ、もう一度心の中でそう思ったが、もういよいよ立っておられなくなった。「あっ」と叫ぶ間もなく、ザアッという音とともに私は甲板を滑り落ち、海の中へ墜落した。

 甲板に押し上げられてから、海中に転落するまで、どのくらいの時間があったろうか。グワーンという音、「出ろ出ろ」という叫び声、人の波、知らぬ間に押し上げられた上甲板、靴をぬいて上衣の釦をひきちぎる。たったこれだけやって、もう立ってはおられず海の中へすべりおちてしまったのであるから、いくら長くみつもっても3分間、あるいはもっと短い時間だったかもしれない。

■暗黒より水面へ

「アーッ」
 私は転落しながらこんな声を発したようだった。体をあちこちにいやというほどぶちつけられ、ついでごうごうたる濁流にまきこまれた。その瞬間をここまで記憶しているが、あとはどうなったか記憶を喪失している。どれだけ時間がたってからか、ふと私は気がついた。それは真暗な水の中であった。

「あっ、助かったんだ!」
 私はそう思って急に両手で水をかきながら浮かぼうともがいた。どうやら体は動いているようだが、なかなか水面に出られない。

 かつてボカチン(=魚雷をボカンと食らって沈没)の経験者から聞いてた話だが、いくらもがいても浮かばれんと思っていたら、海底のほうにもぐっていたという嘘のような話があったが、いくらもがいても水面には出られず、呼吸はだんだん苦しくなるので、もしや、と思って手でもがくのを止めて、顔を上のほうにむけて、じーっと目をあけてみた。すると、だんだん少しずつではあるが明るくなってくるようなので
「しめた、まちがいない」
 と、私は勇をえてはげしく水をかいた。ゴクンと呼吸が苦しくなる。

 それでも私は最後の力をしぼって水をのまないようにして、水を必死にかいた。そのときガクンと左肩になにか、ハンドレールのようなものがひっかかって私の体の浮上は止まった。いよいよ呼吸は苦しくなる。ああ、もうだめだ。ゴクンとあがってくる呼吸をもう一度こらえて水をのむまいとしたが、もうその力はなかった。ますます呼吸は苦しくなる。ああ、もう死ぬるんだなーと私は思って、意識がぼんやりとしてきた。

在りし日の戦艦「陸奥」空中射撃砲
在りし日の戦艦「陸奥」


 するとそれこそ走馬燈の如くといおうか、小学校の庭、女先生の顔、通いなれた故郷の道、入隊の時の旗の波、土空のこと、と次から次と頭に浮んできた。いよいよやっぱり死ぬんだ、もう一度そう思ったとき、ボンヤリと、おふくろの顔が浮かんできた。

「アッ お母さん!!」
 夢にまで忘れたことのないなつかしい母の顔がボンヤリとこちらを見て笑っているではないか。もうろうとしていた意識から呼びもどされて、私はハッとした。
「死んでなるもんか、死ぬるもんか」

 私は最後の力をふりしぼって、右手で左肩の障碍物をグーンとおしやって体をうごかしてみた。ところがどうだろう、ひっかかっていたものは見事にはずれて体はグングンと勢いをまして上昇しはじめた。

「ゴクン」と呼吸がこみあげてきて今度はだいぶ水をのんだ。それでもほどなくポッカリと水面に浮かんだ。そのときの嬉しかったこと、私は思わず大声で「ああ助かった」と叫びたいほどだった。

 しばらくその位置で立泳ぎをしながら呼吸をととのえた。やっと苦しかった呼吸もととのったので、少し精神的にも肉体的にも余裕が出来たので、ふりかえってみると5メートルぐらい向こうに艦はすでに赤腹を出して完全に転覆しているのだった。

在りし日の戦艦「陸奥」
在りし日の戦艦「陸奥」


 私の浮かびあがったところは艦首から10メートルくらい艦尾によったところであった。艦首のブイにはそれこそ山盛りにしたように人がのっており、ブイの上にあがれずつかまっている人もたくさん見られて、ワーワーと口々に何か叫んでいた。(中略)

 艦は先ほどよりはだいぶ沈んで、ブイの人間もだいぶ減っていた。救助の船が来そうな様子もないので、みんな泳ぎはじめたのだろうか。それとも溺れてしまったのだろうか。艦尾がやっと目に入り、また艦尾のことにはじめて気がついたのだったが、後檣(=船尾側のマスト)のあたりから折れたのであろう、突立って海面上に15メートルくらい突き出て、盛んにものすごい水しぶきをあげていた。(中略)

 陸奥の前部はほとんど水面に影を没しようとしていた。そうして私たちの見ているうちに沈んでいった。それは静かなる往生だった。あれほど私たちの心配していた渦などもぜんぜん起こらず、「海の城」といわれた大戦艦の最後としては、あまりにもあっけなく、しかしそれだけに堂々たる最後のようにも思えた。

 艦尾もだいぶ沈みはしたが、まだまだ盛んに水煙をあげていた。あの下では多くの人たちが苦しみながら死んでいったであろうと思えば、私の心は暗くなるのだった。

正面から見た戦艦「陸奥」
在りし日の戦艦「陸奥」


 艦首のブイもその後だいぶ(30分間くらい)浮かんでいたが、知らぬ間に沈んでしまっていた。くさりのたるみのある間は浮かんでいたが、その後、艦にひきずられて沈んていったらしい。その少し前までまだ相当数の人が乗っていたようだったが、沈役の瞬間を目撃できなかったのでどうなったかわからないが、気がついてブイのなくなっているのを見て私はハッとした。

 刻々沈みゆく艦を見ながら、最後まであそこにとどまっていた人たちだから、きっと泳ぎには自信のない人たちだろうが……私は暗い気持ちだった。

海中から引き上げられた艦首
海中から引き上げられた艦首(菊の御紋があった場所)


●戦艦「陸奥」の爆沈と引き揚げ

制作:2026年11月25日

<おまけ>

 2007年4月9日、海上保安庁が広島湾桂島沖に眠る戦艦「陸奥」を、測量船「くるしま」によるマルチビーム測深機で捉えることに成功しました。その船影の三次元画像が公開されているので、こちらに転載しておきます。

マルチビーム測深機で捉えた「陸奥」
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