アイヌ民族の現在
聖地・二風谷

二風谷
二風谷へようこそ


 北海道日高支庁管内にある平取町には、アイヌの人たちがたくさん住んでいます。ですが、紫雲古津(しうんこつ)や荷菜(にな)に住んでいた人達はほとんど二風谷(にぶたに)に移住してしまったようです。

 この二風谷は、昔からアイヌの聖地とされているところ。
 ですが、ハッキリ言って見所は「二風谷アイヌ文化博物館」と「萱野茂二風谷アイヌ資料館」だけ。残念ながら、結構寂しい街でした。
 
 まぁ、田舎の町が寂れているのは日本各地で一緒なのでおいとくとして、問題なのは、1997年10月、この聖地にダムができたことです。このダムによって、毎年8月20日に行われていた新造舟の進水儀式(チプサンケ)の場所が、水没してしまったんですね。
 
 この舟というのは樹齢数百年のバッコヤナギで造られる丸木舟のことで、幅1m、長さは10m近くにもなります。チプサンケはアイヌにとって非常に重要な儀式なので、その場所が水没するのはまずい……ということで、ダム建設に対して、元参議院議員の故萱野茂氏らが土地収用を取り消すよう裁判を起こしました。

 そもそも二風谷ダムの建設調査が始まったのは1970年代。沈滞していた北海道経済の浮揚策として、苫小牧東部に建設する工業地帯への用水確保が目的で した。ところが工業地帯への進出企業が少なく、分譲予定地の7割が手付かず状態。結局、ダムの目的は発電や洪水対策に変わってしまいました。それだったらダムは不要だろう、ということです。

 で、1997年3月、札幌地裁が工事の土地収用を違法と判決したものの、ダムの取り壊しまでは求めずじまいでした。
 こうして、巨大なダムが建造されてしまいました。

二風谷ダム
高さ32m、堤長550mの二風谷ダム


 ダムができた沙流川は、サケやカラフトマスが遡上する豊かな河だったので、キチンと魚道を作ったのですが……。

二風谷ダム
これがダムの魚道

 こんな階段状の魚道で、ホントに保護できるんでしょうか???????


 なお、ダムはできてしまったものの、判決に関連して当時の橋本龍太郎首相が、次のようにコメントを出しました。

「アイヌ民族の先住性というのは、これは歴史上、事実だ。古代史が大きく変わり、いろいろな民族がいたことが明らかになっている中で、アイヌ民族が(もともと日本に)いたという事実は否定できない」

 これが、アイヌの「先住性」を日本政府が初めて公式に認めた瞬間でした。

更新:2006年9月7日

<おまけ>
 平取には、義経神社というものがあります。義経ってもちろん、あの義経だよ。アイヌに舟の作り方を教えたのが義経だとされているのです。

義経神社
義経神社

 明治11年(1878)、この地を旅したイサベラ・バードは、『日本奥地紀行』に次のように書いています。

《ジグザグ道の頂上の崖のぎりぎりの端に木造の神社が建っている。……副酋長が神社の扉を開けると、みんながうやうやしく頭を下げた。それは漆を塗ってない白木の簡素な神社で、奥の方に広い棚がついていた。その棚には歴史的英雄義経の像が入っている小さな厨子がある。像は真鍮象眼の鎧をつけていた。それから金属製の御幣と一対の銹(さ)びた真鍮の蝋燭立てがあり、平底帆船(ジャンク)を色彩で描いてある一枚の日本画がかけてあった。
 それから私はこの山アイヌの偉大な神の説明を聞いた。義経の華々しい戦の手柄のためではなくて、伝説によれば彼がアイヌ人に対して親切であったというだけの理由で、ここに義経の霊をいつまでも絶やさず守っているのを見て、私は何かほろりとしたものを感じた》

 東北・北海道には様々な義経伝説が残っていますが、ここはそのなかでもかなりのもの。是非いつか行ってみてね!

静御前と常磐御前
静御前(愛人)と常磐御前(母)の碑が並んでる!

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