ブラックホール発見
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電波望遠鏡の世界
宇宙と生命の起源を追う
45m電波望遠鏡
中国・明の時代、西欧の科学知識を広めたイタリア人宣教師・マテオ・リッチは、有力者へのおみやげに「三稜鏡」を配っていました。三稜鏡とは、現在でいうプリズムのことです。
1585年、マテオ・リッチは中国の肇慶市から故国に手紙を出しました。そこには、中国人が三稜鏡に驚き、《さまざまな色彩を発して輝くので、「宝石」と呼ばれている》と書かれていました。
三角柱のガラスが光を7色の虹に分けることを発見したのはニュートンで、1664年のことです。7色の虹というのは一般に「赤橙黄緑青藍紫」と言われています。可視光線だけが人間に見え、それが赤から紫(スペクトル)に分かれています。
ちょと難しくなりますが、光というのは電磁波の一部です。電磁波を波長に応じて細かく分けていくと、ざっくり以下のようになります。
↑波長が長い
・電波
・マイクロ波
・赤外線
・可視光線(人間の目に見える)
・紫外線
・X線
・ガンマ線
↓波長が短い
恒星のスペクトル(1925年頃)
上からベガ(織姫星)、カシオペヤ座ガンマ星、カペラ
人間にとって、目に見えないもの存在は、なかなか理解できるものではありません。
18世紀末、イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルは、実験中に不思議なことを発見します。太陽光をプリズムで虹に分け、それぞれの色のところに温度計を置いたところ、青色より赤色の方が温度が高かったのです。最も温度が高かったのが赤色の外側で、ハーシェルは「熱を伝えるなにか」がここにあるのではないかと考えました。これが赤外線の発見です。
その翌年、ドイツの物理学者ヨハン・ヴィルヘルム・リッターが、反対側に紫外線を見つけます。こうして、可視光線の外側の電磁波が「赤外線」と「紫外線」と名付けられました。
通常の天体望遠鏡は屈折望遠鏡と反射望遠鏡に分かれますが、いずれも、見えるのは「可視光線」のみです。しかし、宇宙には人間の目に見えない膨大な電磁波であふれています。これを観測できれば、いままでとはまったく別の宇宙が観測できるのではないか。
たとえば、2009年、ヨーロッパ宇宙機関は、ハーシェルにちなみ、赤外線で宇宙を観測するハーシェル宇宙天文台を打ち上げました。同じように、電波を観測することで、宇宙の別な側面が観測できるのです。こうして、新たな「電波望遠鏡」が誕生します。
日本初の電波望遠鏡(復元)
宇宙からは、ひっきりなしに電波が飛んできます。その存在に最初に気付いたのは、ベル研究所でレーダーなどの通信を研究していたカール・ジャンスキーです。1932年、天の川の中心から電波がやって来るのに気付きました。
こうした電波はどのようなものなのか。
電波望遠鏡の制作で有名なジョン・クラウスの著書『巨大な耳』では、新聞記事を引用してこう書かれています。
《「金星と火星がそれぞれ一人淋しく宇宙を馳けめぐっている間、どんな囁きを交わしているのであろうか? これらの星は『宇宙空電』と言われてきたフライを揚げるような音を出している。フライを揚げる音——実際は遠い星から来る電波の音だが——をこのアンテナを用いて記録することができるので光学望遠鏡では見ることができない遠く離れた星や、全宇宙についての情報を科学者に知らせるようになるであろう。」
金星と火星の会話を面白い物語としないで、「星」を「電波星」と変えるなら、この記事はかなり正確である》
通常の電波望遠鏡は「お椀型」のパラボラアンテナですが、ジョン・クラウスは「平面型」の電波望遠鏡を開発しています。
《大きな円形皿型アンテナを採用し、その下に費用のかかる大きな支持機構を作り、普通の望遠鏡のように回転できるようにする代わりに、地上にたくさんの支柱を立てることによって同じ面積を持つアンテナを長く、また低く作れる。このように作ると、費用を大幅に節約して、表面精度の良い大きな採集面積を持つアンテナを作ることが可能である。言い換えると、我々の設計に従えば、1ドルあたり最も大きな望遠鏡を作ることができるはずである》(『巨大な耳』)
フランスでは、この技術を使い、長さ1000フィート(300メーター)、高さ100フィート(30メートル)の固定の曲面リフレクターを持った望遠鏡も作られました。こうして、電波望遠鏡にはざっくり言って「お椀型」と「平面型」の2つ存在することになりました。
フランスの電波望遠鏡(切手)
電波望遠鏡による観測は「電波天文学」といいますが、これは第2次世界大戦直後から始まりました。敗戦で荒廃した日本でも電波の観測が始まり、1950年代から1960年代にかけて、まずは太陽電波の研究が始まります。中心となったのは、東京天文台と名古屋大学空電研究所でした。
一方、恒星や星雲からの微弱な宇宙電波の観測には大規模な装置が必要で、日本ではなかなか開花しません。後発の日本が欧米に並ぶ成果を上げるために考えられたのが、1960年代後半から始まった波長数mmの電波「ミリ波」の観測です。
ミリ波は、大気にどのように吸収されるかわからず、また受信機の難しさもあり、世界的にはまったく注目されていませんでした。しかし、1970年、三鷹の東京天文台に宇宙電波専用の望遠鏡「6mミリ波望遠鏡」が完成すると、さまざまな星間物質の発見が進みました。
この望遠鏡で得た知見をベースに、1982年、世界最大となる口径45mのミリ波望遠鏡が、東京天文台の野辺山宇宙電波観測所に完成しました。2年後に口径10mパラボラアンテナ5台(後に6台)からなるミリ波干渉計が完成します。
ミリ波干渉計の10mパラボラ
先に登場したハーシェルは、天王星を発見するなど、天文学に大きな貢献をしますが、最も大きな業績は「干渉法」の発見でした。
干渉法というのは、複数の「波」を重ねると、波が強調されたり低減したりすることです。音波でいえばノイズを低減するヘッドホン、カメラでいえばオートフォーカスなどに使われる技術です。
天文学では、干渉法によって、遠く離れた天体観測ができるようになりました。野辺山のミリ波干渉計は、アンテナ同士の距離が最長約600mなので、口径600mの望遠鏡に相当する解像力を持っています。
45mミリ波望遠鏡の旧操作盤
45mミリ波望遠鏡は集光力が高いので、これで大体の位置を確認し、その後、高い空間分解能を持つミリ波干渉計で、細部を追っかけるのが通常の観測方法です。
野辺山の最も大きな成果が、1994年、りょうけん座と呼ばれる渦巻き銀河の中心に巨大なブラックホールがあることを発見したことです。これは秒速1000キロで回転するガスのかたまりで、太陽の3900万倍の質量があると推定されました。これが、世界初のブラックホールの証拠です。
宇宙では、低温の水素ガスやちりが集まると「分子雲」と呼ばれる雲のような状態になります。さらに密度が高まると星が生まれるのです。いわば星の材料です。ちなみに、分子雲の背後に恒星などがあって、人間にも影のように見える場所は「暗黒星雲」と呼ばれますが、ガスなので、影以外は人間には見えません。しかし、分子雲を観測することで、恒星や惑星が生みだされるメカニズムがわかるのです。
2019年4月、「ブラックホールの撮影に世界で初めて成功した」とのニュースが流れました。それが下の写真です。ブラックホールは、その巨大な重力で光も抜け出せないため、人間が直接、観測することはできません。しかし、電波を観測することで、形を特定しました。
ブラックホール
(写真:EHT Collaboration)
ブラックホールの撮影に成功したのは、日本、アメリカ、ヨーロッパなどが参加して、地球上にある電波望遠鏡をつなげて観測する国際的なプロジェクトです。いったいどうやって望遠鏡をつなげるのかというと、「超長基線電波干渉法(VLBI)」という技術を使いました。
これは干渉法の進化系ですが、内容をざっくりいえば……。
天体から放たれた電波を受信するパラボラアンテナの位置によって、データの受信時間がわずかにずれますが(0.02秒以下)、この時間差を厳密に修正して、同一の時間に受信したデータを集めれば、広範囲のデータを一挙に集めることができる仕組みです。
かつて、日本におけるVLBIのメインアンテナは、つくばの国土地理院にあった32mアンテナでした(解体済)。どうして国土地理院かというと、先のデータ受信の時間差によって、2つのアンテナ間の距離を正確に測れるからです。どれくらい正確かというと、数千km離れたアンテナの距離をわずか数mmの誤差で測定できました。これはまさに、正確な地図を作る国土地理院の仕事です。
国土地理院にあった32mアンテナ
このVLBIの技術を電波望遠鏡に使えば、広範囲にわたる地球上のパラボラアンテナを1つの大望遠鏡として使うことができます。
今回撮影されたブラックホールは、地球から5500万光年離れた「おとめ座銀河団」の楕円銀河M87の中心にあるブラックホールです。ハワイ、メキシコ、スペイン、チリ、南極など8つの望遠鏡をつなげ、直径1万kmの仮想の望遠鏡を構築しました。報道によれば、「人間の目に例えれば視力300万」だそうで、これは月面に置いたゴルフボールを地球から見分けられる解像度です。
ブラックホールは、大きいものでは太陽の100億倍の質量があり、電波さえ吸収してしまうため、人間には観測できません。では、どうやって確認したのかというと、「ドップラー効果」が利用されました。これは、救急車がサイレンを鳴らして近づいてくるとき、音がだんだん大きくなり、同時に高い音に聞こえる現象です。救急車が離れると、サイレンの音は小さくなり、低く聞こえます。
分子雲からは電波が出ていますが、この周波数も、地球から遠ざかると低くなり、近づくと高くなるのです。こうして、分子雲が回転してる様子が推測できます。なお、水素は電波を出さないため、一酸化炭素ガスが測定に使われています。
45mミリ波望遠鏡の観測モニター
さて、ブラックホールからは光が出てこられず、人間には何も見えないのに、なぜ写真には色がついているのか。実はこれ、人間に見えるように勝手に彩色したのです。
よくNASAなどが美しい銀河の写真を公開しますが、これもまた、人間に見えるように勝手に彩色したものです。天文学では、一般に温度が高いと青、温度が低いと赤で示されます。とすると、上のブラックホールの写真は赤いので、温度が低いのかと思いきや、実際にはものすごい高温です。関係者によると、人間は赤の方が高温に感じるため、このブラックホールも「適当に」赤で彩色したのだそうです。
45mのミリ波望遠鏡の建造(野辺山の展示資料より)
それにしても、微細な野辺山の45m電波望遠鏡の主鏡は、いったいどのようにできているのか。
鏡面に1.3m×2.5mのアルミパネル600が貼られ、中心から直径30mの部分までは熱膨張が少ないカーボンファイバーで作られています。軽量化のため、その下は厚さ10cmのアルミニウムが蜂の巣状になっています。製造したのは三菱電機ですが、自重による変形を制御する技術、熱による変形を抑える技術などが詰め込まれています。
なお、2015年、内部にある2つの反射鏡に金澄(厚手の金箔)を貼ってリニューアルしたところ、観測効率は15%も向上したそうです。
日本で培われた電波望遠鏡の技術は、南米チリ・アタカマ砂漠にある電波望遠鏡「アルマ(ALMA)」に受け継がれています。海抜5000mの高地に、口径12mのパラボラアンテナ54台と、口径7mのパラボラアンテナ12台、合計66台が設置され、これらが連結されることで、巨大な電波望遠鏡となっています。
66台のアンテナは最大で直径18kmの範囲に設置できますが、これは東京の山手線の直径に匹敵します。解像度は「視力6000」で、大阪に落ちている1円玉を東京から見分けられます。
アルマ望遠鏡
写真:A. Marinkovic/X-Cam/ALMA (ESO/NAOJ/NRAO)
アルマの66のパラボラアンテナの製造は、日米欧で分担されました。日本は12mアンテナ4台と7mアンテナ12台の合計16台を担当し、いずれも三菱電機が製造しています。製造が大変だったのは、小さいアンテナの方でした。予算の都合で、骨組みに鉄を採用したからです。鉄は温度変化に弱く、ゆがみやすい。もちろん、ゆがめば観測精度は大きく落ちます。
それをどう対処したのか。
《高い観測精度を保つため、主鏡はお椀の放物面を一定に保つ必要がある。ゆがみの許容範囲は髪の毛のわずか4分の1本分、20マイクロメートルにすぎない。
(中略)
主鏡のお椀は、内側にアルミ製の鏡を200枚ほど並べてある。それらの鏡で電波を反射させ、一点に収束させることで観測する仕組みだ。
同社(三菱電機)は鏡の一部分だけ日光が当たったりしても、全体の温度を均一に保てるようにすればいいと考えた。そこで、鏡を支える骨組みをパイプにして、中に秒速4〜12メートル以上の強い風を流すことにした。こうした工夫で、主鏡の精度は髪の毛の4分の1本どころか、5分の1本以内に抑えることができた》(「フジサンケイ ビジネスアイ」2015年2月25日)
主鏡面を歩くときの特別な「忍者靴」
なお、現在、電波天文学は生命の起源について研究を進めています。
分子雲でアミノ酸が作られ、それが隕石や彗星に付着して惑星に運ばれると、生命の起源となる可能性が高いのです。そこで、アミノ酸の元となる分子が出す電波を探知するのです。
電波望遠鏡は、宇宙の起源、そして生命の起源について解き明かそうとしているのです。
ゆっくり動く45m電波望遠鏡
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天体望遠鏡の誕生
制作:2019年9月22日
<おまけ>
1959年、NASAが打ち上げた人工衛星が発する電波信号を受信するため、アメリカのベル研究にアンテナが建設されました。このアンテナは正体不明の雑音のような信号を拾い続けるのですが、その正体はなかなかわかりませんでした。
後に、アーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって、この雑音は宇宙のあらゆる方向から来る電波(マイクロ波)だと結論づけられます。「宇宙マイクロ波背景放射」といいますが、これこそ宇宙の起源とされる「ビックバン理論」の決定的な証拠とされています。