天体望遠鏡の誕生
レンズとガラスをめぐる苦闘史

屈折望遠鏡「ゴーチェ子午環」(国立天文台)
屈折望遠鏡「ゴーチェ子午環」(国立天文台)


 イギリス東インド会社の貿易船「クローブ号」の指揮官だったジョン・セーリスは、1613年(慶長18年)、日本に来航し、ジェームズ1世の国書を徳川家康に贈ります。

 このとき、お土産として猩猩(オランウータン)の皮10間(18m)、クロスボウ(おおゆみ)1丁、象眼の入った鉄砲2丁、そして長さ1間(1.8m)ほどの「遠目鏡」が送られました。この遠目鏡が、日本に伝来した望遠鏡の最初です。かなり過大だと思いますが、この望遠鏡は6里(24km)先まで見えたと記録されています(『外蕃通書』)

 望遠鏡は1608年、オランダ人のハンス・リッペルスハイによって発明されました。それからわずか5年で日本に伝来したことになります。

 江戸時代の中期には、望遠鏡は日本でも作られるようになりました。初期の製作者には長崎の森仁左衛門がおり、大阪の岩橋善兵衛が普及させたといわれます。岩橋の望遠鏡は、幕府の天文方にも、伊能忠敬の全国測量にも使われました。

岩橋善兵衛の望遠鏡
岩橋善兵衛の望遠鏡(国立科学博物館)


 京都の医師である橘南谿は、岩橋の望遠鏡で月のクレーター、土星、木星などを観測し、以下のように記録しています。

《望遠鏡とて、日月星辰(せいしん)迄力の届く遠眼鏡ありて、日月の真象を見分かち、星も太白星をみれば、月のごとく盈虧(みちかけ)あり、木星をみれば、三つ引(みちびき)の紋のごとく横に帯あり、土星をみれば斜(ななめ)に輪まといて、星の形長くみゆ。其外(そのほか)銀河(あまのかわ)の白き所をみれば、小さき星夥敷(おびただしく)聚(あつ)まりたるにて、其(その)小星よくわかりて数えつべし》(橘南谿『西遊記』)

岩橋善兵衛の望遠鏡
岩橋善兵衛の望遠鏡(国立科学博物館『天文捷径 平天儀図解』)


 時代が下ると、麻田立達、松田東英、小林常行などが望遠鏡を製作するようになりました。今回は、そんな天体望遠鏡の開発史です。

屈折望遠鏡の構造
屈折望遠鏡の構造(上がガリレオ式、下がケプラー式)


 一般に望遠鏡には、屈折式と反射式の2種類あるとされます。

 屈折式というのは、レンズによる光の屈折を利用したもので、初期のガリレオ式は、対物レンズに凸レンズ、接眼レンズに凹レンズを使用することで、正立の像が得られます。現在のオペラグラスはこの構造ですが、視野が狭いのが欠点です。

ガリレオの望遠鏡
ガリレオの望遠鏡


 その後、対物レンズ、接眼レンズとも凸レンズを使うケプラー式が登場します。見えるのは倒立像ですが、視野が広く、広く普及していきます。ただし、初期の頃はレンズの製造技術が低く、像がボケたり、色収差という色ズレが出たりしました。この欠点を減らすには、焦点距離の長い対物レンズを使えばいいことがわかり、長大な望遠鏡が作られます。

 土星の輪の隙間を発見したカッシーニは、揚水機「マルリーの機械」に望遠鏡を作りました。『1793年からのパリの天文台の歴史』の絵を見ると、口径10cm程度で、長さ数十メートルに及ぶ長大な望遠鏡だとわかります。これらを空気望遠鏡と言いますが、長さ50m近い望遠鏡も実在しました。

カッシーニの空気望遠鏡
カッシーニの空気望遠鏡(ガリカ/フランス国立図書館)


 レンズの色収差を取り除くことは、当時としては非常に難しい問題でした。
 こうして、新たな望遠鏡が開発されます。

反射望遠鏡の構造
反射望遠鏡の構造


 色収差を取り除くため、ニュートンが開発したのが、凹レンズを利用した反射望遠鏡です。口径2.5cm、焦点距離15cmほどの小型望遠鏡でしたが、後にジョン・ハドリーが実用化しました。倍率は230倍にも及び、屈折望遠鏡よりはるかに性能がよかったため、天体観測には反射望遠鏡が使われるようになりました。
 なお、日本で最初に反射式を作ったのは、近江の国友藤兵衛です。

ニュートンの反射望遠鏡
ニュートンの反射望遠鏡(月光天文台)


 天文学に大きな足跡を残したのが、ドイツのウィリアム・ハーシェルです。生涯で400台以上の反射望遠鏡を製作し、天王星や、土星の衛星を次々に発見していきます。

ハーシェルの反射望遠鏡
ハーシェルの40インチ反射望遠鏡


 ハーシェル当時の反射鏡は、銅と錫の合金で、反射率は60%程度です。ニュートン式のようにレンズを2枚使うと、光の量は36%程度に落ちてしまいます。

 このころ、レンズの研究が進み、屈折望遠鏡が格段に進化していきました。天文観測は、反射式から再び屈折式の時代を迎えます。大口径の屈折望遠鏡が世界各地に完成し、1897年にはアメリカ・ヤーキス天文台に口径102cm(40インチ)屈折望遠鏡が完成します。アルヴァン・クラークが製作したもので、現在でも屈折望遠鏡としては世界最大です。

40インチ屈折望遠鏡
40インチ屈折望遠鏡


 なお、日本には1930年、東京天文台に口径65cm(26インチ)の屈折望遠鏡が作られました。ドイツのカールツァイス製。せっかくなので、この65cmの屈折望遠鏡の構造を説明しておきます。

65cm屈折望遠鏡の構造図
65cm屈折望遠鏡の構造図(『科学グラフ』1951年42号表紙)


(1)鏡筒
(2)は案内望遠鏡とよばれるロ径15インチ(38cm)の眼視望遠鏡。天体写真を撮る場合、時計じかけ
の赤道儀で狂いが出たときに修正するために、常に目的の星が見えるようについている
(3)望遠鏡とのつりあいを保つためのオモリ
(4)写真乾板などの装置をとりつける場所
(5)(6)望遠鏡の内部にあらわれる各種の目盛りを読む筒口
(7)(8)小型低倍率の屈折望遠鏡でファインダとよばれるもの。大口径で高倍率の望遠鏡では視野が狭いため、目的の星を短時間にとらえにくい。そこで、まず(7)で大体の方向を見つけ、さらに(8)で近寄り、最後に案内望遠鏡で目的の星をとらえる
(9)望遠鏡の調整などに使われる電気コード。スイッチからモーターヘ動力を伝える

65cm屈折望遠鏡の操作パネル
65cm屈折望遠鏡の操作パネル(国立天文台)


 さて、復活した屈折望遠鏡ですが、再び限界が見え、また反射望遠鏡の時代がやってきます。その理由は、屈折望遠鏡のレンズを、これまで以上に大きな口径で均質に作ることができなかったからです。これに対して反射望遠鏡は、曇りやすかった金属鏡を銀メッキガラスに変えることで、反射率が90%まで向上しました。
 こうして、色収差もなく、写真撮影に向いた反射望遠鏡は、20世紀になって各地に作られるようになります。
 
 特に著名なのがロサンゼルス近郊にあるウィルソン山天文台です。1909年に153cm(60インチ)望遠鏡、1917年に254cm(100インチ)望遠鏡が完成しています。

254cm反射望遠鏡
254cm反射望遠鏡


 巨大化した反射望遠鏡も、口径が大きくなるにつれて、再び問題が起きるようになりました。巨大なガラス材に限界が見えてきたのです。
 ウィルソン山天文台の口径2.5m望遠鏡の反射鏡は、厚さ23cm、重さ4トンにのぼりました。当時の技術では、どう考えてもこれ以上大きな鏡面を作ることは不可能に思えました。

 もう少し具体的に言うと、反射鏡が巨大になればなるほど、温度変化による膨張や収縮の影響が強く出てきます。昼と夜の温度差が激しければ、鏡の歪みが落ち着くまでに数時間かかることもザラでした。ちなみに、2.5mの反射鏡では、ガラス板が気温より5〜6℃高いと、冷えるまで24時間もかかりました。もし同じガラスで口径が倍の5m反射鏡を作ったら、ガラスの歪みは8倍になると予測されました。これでは実用になりません。
 
 しかし、1935年、ガラスメーカーのコーニング社が、直径5.1m(200インチ)の反射鏡を製造し、これがサンディエゴにあるパロマー天文台に設置されました。一体、どうやって問題をクリアしたのか。

 当初、石英を使って製造するはずでしたが、なかなかうまく行かず、特殊な耐熱ガラス「パイレックス」を使用し、背面を蜂の巣のような穴をあける構造にすることで、軽量化を図りました。これにより、重量40トンと想定された反射鏡が20トン超になりました。

パイレックスを使用したレンズ
パイレックスを使用したレンズ


 1932年、コーニングのニューヨークの工場でガラスの試作が始まります。事故もありましたが、12月に完成。「焼きなまし」に1年かかり、その後、カリフォルニア工業大学に送られ、研磨作業が始まります。一時期戦争などで中断し、結局、研磨終了まで11年もかかりました。

 これがパロマー天文台に運ばれ、銀メッキではなくアルミメッキが施されました。アルミは、可視光線の反射では銀に劣りますが、撮影用の写真乾板に必要な紫外線に関しては、銀よりはるかに反射するのです。また、銀より耐久性があることも大きなポイントとなりました。

パロマー天文台への運搬作業
パロマー天文台への運搬作業


 直径5.1mの望遠鏡が完成すれば、半径5億光年の世界を観測できるとされました。ここに、反射望遠鏡の新たな地平が広がったのです。

5.1m望遠鏡の構造図
5.1m望遠鏡の構造図(『国民科学』1946年11月号)


(1)主鏡(放物線鏡)
(2)カセグレン鏡
(3)主焦点
(4)カセグレン式焦点(反射した光を集めて写真撮影する場所)
(5)クーデー式焦点((8)の赤緯軸の中央で反射させて焦点を結ばせる)
(6)極軸(地球の自転軸に平行に向け(7)の歯車で回転)
(7)赤経運動装置
(8)赤緯軸(望遠鏡の回転装置)
(9)馬蹄形の極軸支台
(10)観測者の昇降口(ここから望遠鏡に移動)
(11)電動のドーム回転装置
(12)ドーム回転車
(13)スリット開閉装置
(14)スリット(幅10mの覆い)
(15)観測床(望遠鏡室の床)
(16)配電室

 なお、現在では、鏡の分割技術などで、さらに口径は大きくなり、米国グラハム山国際天文台では、口径11.9mを実現しています。1枚の鏡による反射望遠鏡では、日本の国立天文台がハワイに設置した「すばる望遠鏡」が最大で、口径8.2mとなっています。


●見えないものを見る電波望遠鏡の世界


制作:2019年9月13日

<おまけ>

 天体観測自体は、古代から行われ、それが天宮図(ホロスコープ)として記録されてきました。紀元前1世紀に作られたデンデラ神殿の天宮図には中央にカバの女神を置き、牡羊座、さそり座、山羊座などの星座が描かれています。

デンデラ天宮図
デンデラ天宮図

<おまけ2>

 1990年4月に打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡は、ほとんど可視光線、つまり人間の目に見える観測方法をとっています。大気の影響を受けないため、精度の高い観測が可能です。2019年9月には、非常に美しい土星の写真撮影に成功しました。

デンデラ天宮図
土星(ESA/Hubble)
 
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