大阪・さらば軍艦アパート!
取り壊し中の「軍艦アパート」
1931年(昭和6年)、大阪初の鉄筋公営住宅が建築されました。その住宅の名は、大阪市営下寺(しもでら)住宅。約7000平方メートルの敷地に、鉄筋コンクリート3階建て8棟、全部で264世帯が暮らす巨大団地でした。
木造長屋がひしめく一帯に忽然と出現した鉄筋住宅は、都市ガスや水洗トイレ、ダストシュートなど、当時最先端の技術が使われていました。しかも家賃は「最高が月10円10銭、最低6円90銭といふべらぼうなやすさ」(大阪毎日新聞、1930年11月28日付)。庶民憧れの住宅の誕生でした。
わが国最古の鉄筋集合住宅は1916年に完成した長崎市高島町端島、いわゆる軍艦島に作られました。次いで、1927年、関東大震災後の東京に、同潤会青山アパートが完成しました。
大阪では、下寺住宅に続き、1932年に北日東住宅(126戸)、1933年に南日東住宅(260戸)が相次いで建設されています。
いずれも当時大きな話題を呼び、秩父宮ご夫妻が視察に訪れるほどでした。
間取りは4.5畳と3畳に台所、トイレを加えた「2K」タイプ(約30平方メートル)がほとんどで、風呂はありません。
そして、当時最先端とはいえ、炊事にはかまどを使っており、煙を出すための煙突が各戸に備えつけられていました。食事時、屋上の煙突から煙が上がる様子を見て、いつからか「軍艦アパート」と呼ばれることになります。
各戸につけられた煙突
軍艦アパートは、1945年の大阪大空襲でも被害は受けませんでした。戦後、このアパートには被災者が住人を頼って押し寄せ、やむなくベランダに「出屋(でや)」と呼ばれる部屋を勝手に増築していきます。この出屋もまた、独特の風景を作っていきました。
こんな昭和モダニズムの粋を集めた軍艦アパートですが、2006年、ついに取り壊しとなりました。すでに南日東、北日東住宅は壊されており、これが最後となってしまいました。
そんなわけで、取り壊し中の軍艦アパートに行ってみたよ!
地下鉄谷町線・四天王寺夕陽ヶ丘駅を降りると、あたりは寺院が多い閑静な場所でした。そこからこんな坂を下っていくと……
雰囲気のある町並み
おお!これが下寺住宅
すでに入れませんが、のぞいてみるとこんな感じ
これが3階建てアパートと中庭
いや〜、はっきりいってすごいアパートです。
戦前、「誰しも意想外の堂々たるモダニズムに眼を丸くする」とPRされたという軍艦アパート。しかし、もはやどこにも「モダニズム」は残っていません。むしろ猥雑さを残したまま、今まさに取り壊されています。
最後にちょっと驚く話を。軍艦アパートの取り壊しを伝える朝日新聞(2006年2月25日、大阪夕刊)によれば、取り壊し直前の家賃は、なんと1カ月200〜300円台だったそうです。
夢のような大阪の町。そして、また昭和の風景が1つ消えていきました。
制作:2006年9月25日