本サイトの目的・2001年版
100年前の「未来派宣言」を翻訳中、「やっぱり未来のあった時代はいいよなぁ」と思ってしまいました。で、僭越ながら、俺も21世紀版の「宣言」を書いてみました。これが「探検コム」の新しい理念(←って、ちょっとエラソー)。
ここに一冊の本がある。今から31年前、朝日新聞社が発行した『2001年の日本』という未来予想本である。そのなかで、日本宇宙旅行協会がこんな未来を予測していた。「月面への科学者のための定期便が、宇宙ステーションから月に一回ずつ発着していたが、各国からの要請で物見遊山観光も認めざるを得なくなった。そこで、観光用の月旅行船が21世紀からスタートすることになった」
2001年の宇宙の旅は無理としても、2006年には国際宇宙ステーションが完成する予定だ。多少の時間はかかっても、まもなく「宇宙の旅」は実現することだろう。
だが……しばし待って欲しい。なぜか現実のこの宇宙旅行には夢が感じられないのだ。少なくとも31年前、宇宙旅行への予言には夢があった。当時、僕たちは明るい未来を単純に信じ、技術の進歩を100%肯定していた。なのに、予言が実現寸前となった今、なぜか未来に対しまったく夢を感じていない。いつか来るはずだった「明るく輝かしい未来」、それはいったいいつ消滅してしまったのか。
ある人は言うだろう。20世紀は幻滅と失望の時代だったと。確かに、無限のエネルギーとして期待された原子力は大量殺戮兵器として役立った。大空を自由に翔る夢は、空からの絨毯爆撃という効果的な戦術の前に破れ去った。どこまでも無限に延びた道路は、地理をみな同一に変えてしまった。市場にモノはあふれたが、心と体には汚染物質があふれていく。
科学文明への幻滅と失望。そして、僕たちは未来への夢と希望を失った。世界には閉塞と無秩序が蔓延し、羅針盤はいたずらに虚空を指し示す。
それでも、だ。僕たちは叫ぶべきだ。「未来を探せ」と。確かに未来は何も語らないし、語るべき未来は無いかも知れない。それでも決して時計は止まらない。いつか必ず未来はやってくるのだ。ならば、僕たちは両手を広げ、未来とやらを歓迎してやろうではないか。
先の予言書『2001年の日本』で、作家小松左京はこう語っている。「移動範囲の拡大、異る国の人々との接触の増大は、不可避的にものの考え方、感じ方、世界に対する感覚をかえ、世界全体が、かわりはじめるかも知れない」
人間の歴史は、“未知なるもの”(それは異文化といってもいい)との出会いの歴史でもあった。見たこともない物、事、人、それらに対する恐怖や期待、そして融合と反目が世界を構築してきた。現在の僕たちの最大の不幸は、そんな未知の世界がもはや存在しないことだ。今やすべてが調べられ、整理され、陳列されてしまった。その先がない以上、僕たちは未来に進めない。それでは明日に希望が持てないのも当然だろう。小松左京の予言は、世界の均質化というどちらかといえば否定的な意味で的中してしまったわけだ。
では、どうすべきか。答は簡単だ。新たに未知なるもの(それはフロンティアともいえる)を創り出せばいい。僕たちの力の及ばない(あるいは及ばなそうな)世界、そこに相対したとき、再び未来は輝きだすだろう。
けれど、この地球上にもはやフロンティアはない。では宇宙? それも違うだろう。なぜなら現代の科学は、宇宙を知るには非力すぎるとだれでもが知っているからだ。手の届く宇宙など、決して未知なるものになりえない。
結局のところ、僕らにはもはや未知なるものなんてなにもない。きっとこれだけは確かなことだろう。あぁ幻滅。ほんとに閉塞。
僕たちの世界は、この緊張感のない状態できっとどこまでも続くことだろう。世紀末はまだましだった。いつかこの世の終わりが来る、そんな終末思想が健在だったからだ。だが、もはや21世紀、僕らは終末思想さえ信じられなくなっている。世界は日増しに悪くなっていくけれど、世界に終わりはない。
でも、本当に世界に終わりはないのだろうか。おそらくそんなことはないはずだ。この世界が始まった以上、いつか必ず世界の終わりは来る。それは地球の崩壊かも知れない。あるいはこの文明社会だけが終わる可能性もある。日本だけが消滅してるかも知れないし、都市だけの壊滅かもしれない。逆にすべてが人工化され、あらゆる自然が消えているのかも知れない。
だが、もしそうなっても、僕たちはきっとどこかに新たな世界を発見しているのではなかろうか。甘い考えかも知れない、だが、僕たちだってそんなに弱くないだろう? きっとこの地球上に、あるいは宇宙のどこかに新天地を探し出せるはずだ。その行き先こそ、あるいは真に未知なるものの出現なのだ。
実を言えば、僕はちょっとばかしそんな世界を見てみたい。終末思想なんて安っぽいものではない。世界の終わりを遙かに積極的に、そして肯定的に見てみるのだ。この世界の果てに、きっと新たな世界。
話が回りくどくなった。僕らはここで新未来派を宣言しよう! なに簡単なことだ、ビデオを早送りするように現実を早送りしてみる。そうすれば、きっと別な世界がひょいと顔を出してくれる。そこは地獄かも知れないし、あわよくば天国かも知れない。でも何とかなるって! さぁこのまま現実を突き進み、最後の地平を見てみよう。そのためにはこの現実をさらに加速していく必要がある。スピード! スピードこそ、この停滞と閉塞を打破する唯一の手段なのだ。
●消費し消費し続けよ!
まずは地球上のすべての資源を消費し尽くしてみよう。すべての石油、すべての木材、すべての食材……それらを加速的に消費し続けてみる。そのとき世界は革新的に代わるはずだ。でもきっと大丈夫、すべての資源がゼロになったところで、僕らは生きていける。いずれ新たな文明が成立することだろう。
●生産し生産し続けよ!
無限の消費を支えるべく、僕らはひたすら生産を続けることが必要だ。パソコンでもブランドでもなんでいい。作るなら作りまくってこの地球上すべての人間に送り続けよ。モノや意識を共有する人間の数が増えれば、それは文化といわれる。過剰な生産を経験したのち、さらに新たな文化が発生することだろう。
●止まるな! 後ろを振り返らずに進み続けろ!
ゼロからスタートする文明。過剰からスタートする文化。それはいみじくも世界の均質化を意味する。だが、新世界はここから始まるのだ。小松左京の予言を思い出そう。「不可避的にものの考え方、感じ方、世界に対する感覚をかえ、世界全体が、かわりはじめるかも知れない」……そう、まさに世界全体が自ら変わり始めるのだ。フロンティアの出現。
そして僕らは、その新しい地平を探検しに行くことだろう。
end
2001年1月5日
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