「観光スタンプ」と「風景印」の誕生
昭和6年に制定された郵便局の「名所スタンプ」。写真は伊勢の二見。
(郵便番号が導入されたのは1968年なので、この葉書には郵便番号欄がありません)
おみやげは漢字で「土産」と書きますが、もともとは「宮笥」(みやけ)と書きました。「笥」は竹などで作った容器のことで、「宮笥」とは神から授かった器という意味です。つまり、神に捧げたものを下げてみんなに配ったものが「おみやげ」というわけ。
ちなみにさらに古くは「苞」(つと、万葉集では「都刀」と当て字)といっていて、こちらは「包んだもの」という意味です。要は風呂敷みたいなもの。
庶民の間におみやげが普及したのは、やはり江戸時代です。伊勢参りや善光寺参りといった参詣が流行するものの、実際は庶民すべてが行くことはできません。グループでお金を積み立て、代表者が参拝、その御利益(お守りなど)を持ち帰ることがおみやげでした。
しかしながら、やはりお守りだけでは満足できず、いつしか記念品や名物を持ち帰ることになったのです。
で、地元に帰って、おみやげ話に最も役立つのは現地の写真とかイラストですな。これさえあれば、「オレはこんなところに行ってきた」と明確に語ることができます。
伊勢名所図会(明治30年=1897年)の二見浦
そんなわけで、たとえば写真の普及していない明治時代は、上のような名所図絵が人気を集めました。
これが、写真が普及した大正時代以降、絵葉書という形に変わるのです。
大正時代以降、日本各地で大きな旅行ブームが起きるなか、絵葉書は爆発的に印刷されていくのです。
二見の絵葉書(昭和6年=1931年)
絵ハガキ自体は門前町の商店で買えますが、それを誰かに出す場合は、通常は郵便局に行く必要があります。それで、観光地の郵便局では、サービスの一環として名所スタンプ(風景印)を制定しました。昭和6年(1931)のことです。
第1回(昭和6年7月)は富士山、富士山北、横須賀、江ノ島、日光、伊香保、筑波山、上高地、御嶽山、六甲山、洞川、大峰山、雲仙、坊中、阿蘇山上の15個。
すぐに追加された第2回は、二見(冒頭の写真)、鎌倉長谷、熱海、山田、宮津、宝塚、石山、岡山、厳島、宮島駅前、塩釜、松島海岸、平泉の13カ所でした。
風景印はその後も拡大を続け、現在では1万カ所以上の郵便局に設置されています。
日本初の名所スタンプ(左が第1回の富士山、右が第2回の熱海)
参考までに、スタンプの意義を『郵便局の名所スタンプ』(逓信協会、1935)は次のように書いています。
《ここかしこに杖を曳(ひ)いて、大自然の懐に抱かれるとき、油然(ゆうぜん)として起る感興を友がきにつたへずにはゐられないのが人情である。土地々々の景物などを象徴したスタンプが押されてゐたなら、どんなにこれ等の音信に情味を添へることか、若(も)しまた掌大の蒐印帖に其処此処(そこここ)の名所スタンプの印影を追ふて旅にしありし日の追憶を辿(たど)ることが出来るなら、どんなに興味が深まることか》
つまり、手紙をもらった人も旅をした人も楽しいというわけです。
一方、郵便局と同様、スタンプを効果的に使ったのが鉄道の駅と旅館でした。
幻の那覇駅(沖縄県営鉄道与那原線)と、ラケットがいい味の田園調布駅のスタンプ
二見の観光スタンプと、伊勢市駅前の旅館印
でですね、このスタンプは昭和10年になって、突如、前代未聞の大ブームを呼ぶのです。
旅行のついでにスタンプを集めるのではなく、スタンプのために旅行するという逆転ですな。
さらに、風景印も鉄道印も現地に行かなければ手に入らないわけですが、これをもっと効率的に集めよう、という同好の士が集まり、日本スタンプ協会が設置されるんです。
日本スタンプ協会の会報『スタンプ』創刊号から、「発刊の辞」を引用しておきましょう。
《スタンプの有(も)つ貴重性、記念性は天女の麗しき御姿にも比すべく、趣味家をして自然に鄭重、端正なる態度をとらしめ、蒐集心を浄化して、その品性を高尚ならしむと云われて居る、とともにスタンプは近代趣味の最高峰を躍進し、全国に百万以上の同好者を有して居る》
100万人の同好の士がいる日本独自のスタンプ集めは、近い将来、必ず「世界の趣味」となるそうです……。
実はこの大ブームは予想をはるかに超えて盛り上がっているんですよ。
昭和10年4月の「東京みなと祭(芝浦)」「日本橋祭」「靖国神社大祭」あたりでスタンプ人気に火がつき、5月、銀座の伊東屋で開催された「作品展覧会」では数万人が押しかける大騒動となりました。
このときのウリは「東海道53次錦絵スタンプ」なんですが、会場だった7階への行列が3階から続いていたという伝説が残っています。
銀座三越の化粧品スタンプ
(資生堂&九条武子、クラブ化粧品&小野小町。九条武子は大正3美人の1人)
10月、銀座三越の化粧品売り場で「特殊総合スタンプ押捺会」が開催され、11月、ついに日本初のスタンプ祭が日本橋高島屋で開かれます。まさにスタンプワールドが爆裂した瞬間で、歴史に残る大イベントだったらしいです(ホントです)。
高島屋スタンプ大会の様子(左が売店、右が無料スタンプ所)
このスタンプ展覧会では、次のようなスタンプが用意されていました。
・出世豊太閤 50種類 全押しで40銭
・曾我兄弟仇討 30種類 全押しで25銭
・教育童話桃太郎 8種類 全押しで5銭
桃太郎と曾我兄弟のスタンプ例
マニア最大の目当ては「大楠公(楠木正成)600年」の56種類で、定価70銭だった押捺済み解説カタログがあっという間に売り切れたとか……。
どうでもいいですが、徳富蘇峰の調査によると、日本で初めて印鑑を使ったのが聖徳太子だそうで、会場には聖徳太子を祀る神棚まで設置されていました(ホントです)。ちゃんと日枝神社の祭事まで行われ、会場には黄金のスタンプも登場しました。
これが「印判の祖」を祀る神棚だ!
このスタンプ展は、翌年以降、大阪の阪急百貨店や函館の今井百貨店などで次々と開催され、ブームは全国に波及していきます。もはや現代の人間にはまったく理解できない謎の大流行が実在していたのです。
余談ついでに言うと、スタンプマニアはスタンプのことを「寿多運富」と漢字で書き、悦に入っていました(ホントです)。
このブームはついに観光地以外の地元商店街にまで波及、町の電気屋やら薬屋やらクリーニング屋らがいっせいにスタンプを置き始めるという……(ホントだってば!)
なぜかジャッキ屋までもがスタンプを!
右は新宿のキャバレー「大処女林」のスタンプ。ネオン街で誰がスタンプを押す?
もういいかげんイヤになってきたので(笑)、ブームのさきがけとなった銀座伊東屋の「東海道53次錦絵スタンプ」を実際に押しに行ってみたよ!
キリンビールと木村屋のあんぱん。このスタンプのために数万人が押しかけたんだよ(笑)
さて、突然ブレークしたスタンプですが、ブームは5年ほどで終焉に向かいます。それは、戦争の拡大とともに、徐々に禁止されていくからです。
そして、次にスタンプは政治的に利用されていきます。その影の部分は次回にでも。
制作:2008年2月12日
<おまけ>
本来、印章(スタンプ)は観光用ではなく、文書に捺して責任や権威を示すものです。
参考までに、伊勢神宮の最古の印章(内宮政印)を公開しときます。承暦3年(1079)に賜ったものです。一説によると、天武天皇時代(680年頃)のスタンプも保存されているといいますが……。