【鳥瞰図の世界】
吉田初三郎『日本八景名所図会』

吉田初三郎
昭和初期、空前の大旅行ブームが到来!


《夏は一家を挙(あ)げて旅行のシーズンである。山に海に湖畔に河辺(かへん)に温泉に、緑陰と涼風を趁(お)うて、煩雑なる都市生活を離れ、苦熱の井路(せいろ)を脱(のが)れて大自然の懐(ふところ)に還る。まことに働きたるもの、必ず犒(ねぎら)わるべき、天の啓示に外ならない》
 
 日本が誇る鳥瞰図絵師・吉田初三郎は、昭和5年(1930)に発表した作品『日本八景名所図会』の「絵に添えて一筆」でこう書いています。
 
 英語のsightseeingの訳語として「観光」という言葉が普及した大正時代、そして昭和初期に起こった大観光ブーム。あらゆる名所が絵はがきとなり、さまざまなガイド本が刊行される中、異彩を放ったのが初三郎の鳥瞰図でした。名所や地形を極端にデフォルメして描いた絵は、人々の旅行熱を強烈に後押ししました。

 面白いのが、この 鳥瞰図が極めて広大なエリアを含んでいる点です。具体的に見てみましょう。下は『日本八景名所図会』の1つ、十和田湖ですが、なんと湖の左は大阪〜富士山〜東京まで書いてあります。湖の右は下関〜釜山まで! この壮大さはどうよ! 画家の想像力に、いまさらながら感心するのでした。

吉田初三郎

 というわけで、以下、画像拝見!


<上高地>東京〜青森〜名古屋〜乗鞍岳〜上高地〜北アルプス
吉田初三郎の上高地


<室戸岬>松山〜高知〜剣山〜徳島〜高松〜大阪〜富士山〜東京
吉田初三郎の室戸岬


<別府温泉>鹿児島〜大分〜阿蘇山〜別府〜長崎〜下関〜釜山
吉田初三郎の別府温泉


<雲仙岳>東京〜大阪〜長崎〜雲仙〜阿蘇山〜鹿児島
吉田初三郎の雲仙岳


<木曽川>下呂温泉〜日本ライン〜名古屋〜大阪〜下関
吉田初三郎の木曽川


<狩勝峠>富士山〜東京〜青森〜札幌〜大雪山〜十勝岳〜根室〜樺太
吉田初三郎の狩勝峠


 最後に、拡大版を公開しておきましょう。北海道から下関まで描かれた <華厳の滝> です!



 ところで、通常、日本3景は丹後の天橋立、陸奥の松島、安芸の宮島ですな。1915年、日本3景にならって選ばれた新日本三景は、北海道の大沼、静岡県の三保の松原、大分県の耶馬渓です。
 いずれも日本八景には入ってないところが不思議です。

 そんなわけで、ここでちょっと日本八景について解説しておきましょう。

 日本八景は、東京日日新聞と大阪毎日新聞が、鉄道省後援のもとで読者投稿によって決定しました。
 8景というのは、山岳、渓谷、瀑布、温泉、湖沼、河川、海岸、平原の8分野。
 昭和2年(1927)4月9日に応募要項が発表されると、日本全国から怒濤の勢いで票が集まりました。これは大げさではなく、締め切り日などは東京全市の郵便局が総動員で消印を押したとされています。

 結局、投票総数は9348万1773票! ちなみに当時の内地の総人口は6100万人です(笑)。

 実は昭和2年というのは、大正天皇崩御による諒闇で、この年の年賀状は自粛中でした。その分の売り上げに匹敵する膨大な量だったのでした。

 さて、全投票は分野別で次のようになりました。

●海岸 394景 3140万票 → 高知県・室戸岬
●山岳 226景 1503万票 → 長崎県・温泉岳(雲仙岳)
●瀑布 162景  370万票 → 栃木県・華厳瀧
●温泉 147景 1191万票 → 大分県・別府
●渓谷 132景 1913万票 → 長野県・上高地
●河川 123景  463万票 → 愛知県・木曽川
●平原 115景  208万票 → 北海道・狩勝峠
●湖沼  71景  554万票 → 青森秋田県・十和田湖


 このとき同時に25勝、100景が選ばれると、選定地は大喜びで大々的にイベントなどを行いました。具体的には名勝展覧会から訪問飛行、リレー大会など。そしてガイドブック、絵ハガキが大量に発行されたのです。
 極めつけは8景25勝を入れ込んだ鉄道省による「新鉄道唱歌」の発表でした(これは後日公開します)。
 
 こうして、昭和初期、日本には空前の大旅行ブームが誕生したのです。

 最後に、「絵に添えて一筆」をもう少し引用しておきます。『日本八景名所図会』が『主婦之友』8月号の付録だったために、「旅は主婦が提唱するべき」と書いてありますが、結局のところ、昔も今も予算は主婦が握ってるということ(笑)?

《『旅』は、現代生活から切り離すことのできないもので、既に娯楽遊覧の域を離れ、実際的に家庭の浄化を図る最もよき手段の一つであり、平凡化せんとする一家の空気を、一掃転換する最も賢明な策である。従って『旅』は、一家の主婦によって提唱されるべきで、家内挙(こぞ)って趣味と教養と和楽のために未知の土地を訪れ、その風物に接して、一家全体の知識とも追憶ともすることは、実に大切な生活の一要素である。『旅』から生れた様々な経験が、どのくらい家庭を益し、団欒を図り得ることか、それは他のいかなる方法にも勝るものであることを断言する》


更新:2008年1月27日

<おまけ>
 日本8景、25勝、100景の誕生は、日本各地に一大センセーションを巻き起こしました。そこで、この景色を永遠に残すべく、東京日日新聞と大阪毎日新聞は「帝国風景院」を創設します。
 帝国風景院は風景や観光地の研究、顕彰、開発等を行いました。このとき、各地の風景を詠んだ俳句が全国から募集され、10万以上の中から20句が選ばれました。選者は高浜虚子。
 ところが、20句の中にホトトギス派の俳人の作品が10句も入っていたことで、今度はその是非をめぐる文芸論争が勃発したのでした。昭和初期の熱い時代の話です。

●鳥瞰図の世界総論
●初三郎『関東大震災鳥瞰図』
●初三郎『東京鳥瞰図』
●初三郎鳥瞰図自由自在(FLASH版)
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