名刀とはなにか
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「名刀」とはなにか
実戦で役立つ日本刀とは?
国宝太刀「銘備前国長船住景光(号小龍景光)」1322年(東京国立博物館)
刃物の貝印やフェザーは、ともに発祥の地が岐阜県関市です。関といえば刃物の生産で知られ、「世界3大刃物産地」の1つともいわれます。
その歴史は古く、鎌倉時代末期(800年ほど前)に九州からやってきた「元重」という刀鍛冶が関鍛冶の祖と言われます。良質な土、炭、水に恵まれたこの地は、その後、戦国時代に向けて、日本刀の生産で全盛期を迎えます。
しかし、江戸時代になり、世の中が平和になると、徐々に日本刀の需要は減り、小刀、包丁、剃刀、はさみなどの生産にシフト。1876年(明治9年)、廃刀令が出されると、刃物生産は完全に斜陽産業となりました。
とはいえ、1877年(明治10年)の西南戦争では「抜刀隊」の活躍が評価され、その後、日清・日露戦争で再び日本刀は復活の目を見ます。
関では、太平洋戦争の時代、大量の日本刀(昭和刀)を生産しました。1945年(昭和20年)の敗戦時、関には刀工200名以上、研師3000名以上いたと記録されています。
雑誌『日の出』第13巻第10号(昭和19年10月)では、刀匠などの関係者6人が集まって、実戦での日本刀の切れ味などについて語り合っています。今回は、日本刀が身近にあった時代のエピソードを知るため、その全文を公開しておきます(なお、読みやすさを優先し、原文どおりではなく表記や文章を変えています)。
関鍛冶の祖「元重」の太刀(関鍛冶伝承館)
【参加者】
刀匠・加藤寿命
刀匠・福本天秀
濃州日本刀鍛錬所長・亀井銀一
関刀剣業組合理事・八橋信一
関刀剣業組合理事・隅田良
関刀剣業組合検査役・深川専七
■日本刀の斬れ味
記者 まず、日本刀の斬れ味について……。
加藤 日本刀が強靭でよく斬れることは世界の定評ですが、なぜ日本刀が強靭でよく斬れるかというと、なによりも鋼がいいからです。だいたい、日本刀は砂鉄から海綿鉄をつくり、この海綿鉄からつくった玉鋼をふいごにかけて、折返し鍛錬して造るのですが、この日本刀の鋼の製造をドイツがいろいろ研究したが、どうしてもできないで、さじを投げたぐらいです。
玉鋼(関鍛冶伝承館)
亀井 東京のある鋼業者が米国に「一文字」の名刀をもっていき、あちらの科学者に分析させたことがあった。その結果、タングステンやモリブテンなどの含有量はわかったが、これらの成分をどう調合しても一文字のような鋼ができないで、不思議(ワンダフル)を連発するばかりだったという話を聞いています。
鍛錬法については、あまり専門的になるから省略するとして、ここで特に言いたいことは、土と水と火の加減だけで近代科学の粋を尽くしても及ばぬ刀を造った昔の刀匠の偉さです。
国宝「江雪左文字」太刀(徳川頼貞の所蔵時)
加藤 昔の名匠のなかには、字が書けず、他人に頼んで銘を切ってもらったり、兼清という銘の「清」のさんずいをあべこべに書いたりするほど無学の人がいたものですが、そういう人が、近代科学でも解決できない刀の鍛錬法をあみだしたのですから、敬服のほかありません。
福本 金銭のために刀を鍛えず、真に理解のある人のためにだけ刀を鍛えた心意気ですね。
焼き入れ
八橋 もっとも、その頃は武士などが刀を注文する場合、値段や期日などには一切ふれず、頼まれたほうは頼まれたほうで、期日や値段を忘れ、一本の刀に心魂をぶちこんで造り、研ぎまで自分でやって「これなら斬れる」という確信ががついてから初めてこれを渡すんですから、その刀は斬れるはずですよ。
関市の刀匠「二十五代藤原兼房日本刀鍛錬場」
記者 日本刀と洋刀の斬れ味の相違は?
福本 単に刃先がとまるというだけでも、日本刀の10回に対して洋刀は1回、つまり、洋刀は一度目的物を斬ると、もう先が丸くなってしまい、刃を舐いで使っても、最初に2寸斬れたものなら、次は1寸5分、1寸2分というふうに、次第に斬れ味が鈍くなってしまうが、そこへ行くと日本刀は、たとえ刃先が丸くなっても、研ぎ直せば以前に劣らぬ斬れ味を示す。だが、実戦に使う場合、日本刀ならいつの時代に造られた、どんな刀でもいいかというと、決してそうではないのです。
■古刀よりも新刀
記者 では、実戦にはどんな刀がいいのですか?
八橋 ひと口に言えば、1日でも新しいものがいいのです。古い刀はやせているから折れやすいが、新しい刀は弾力性に富んでいるからなかなか折れない。また、俗に鉄気がなくなると言いますが、古い刀はあまり手入れをしないでも錆びないが、新しい刀はちょっと手入れを怠るとすぐに錆びる。この錆びるというのは、刀が成分を発散させるところから生じる現象で、つまりそれだけ新しい刀は成分に富んでいるから強靭で、古い刀はいわゆる鉄気がなくなって脆くなっているのです。
隅田 戦線から帰った人たちの話を聞くと、折れたり曲がったりする刀は古刀に多いそうです。
記者 すると、どんな名刀でも、古い刀は実戦にはあまり役に立たないということになりますか?
隅田 そう一概にも言えません。古い刀でもあまり砥石にあたっていないものはいいので、いくら名刀でも、研ぎ減りをしている刀はいけない。要するに、名刀というのは、実戦的価値よりも美術的価値が重要視されているので、実戦に使う刀は、壮年期の、しかも砥石にあたっておらぬものほどいいのです。
八橋 世間では名刀名刀と騒ぎますが、名刀が珍重されるのは、いま言われた美術的価値と、その刀が持つ歴史なのです。現に真柄斬りといって、国宝になっている関の孫六の刀なども、剛勇・真柄十郎左衛門を斬ったという歴史が物をいっているのです。現代刀でも、今度の戦争で敵将の首をはねて大手柄をたてれば、その刀は後世、名刀と言われるようになるのです。
深川 それから、どんな名刀でも手入れをせずに押入れにしまいっぱなしにしておいたものは、戦場に持っていっても名刀の真価は発揮できません。
八橋 そう。私のところなどへ「これは伝家の名刀だが、出征するので大急ぎで外装をしてもらいたい』などと言ってくる方がよくあるが、それがたいてい名刀だ名刀だと妙に大切にして押し入れにしまいこみ、手入れもしていないものや、名刀は名刀でも研ぎ減りがしていて、実戦の役に立たないものが多いのです。
記者 そこで、時代的に言うと、いつごろのがいいのですか?
加藤 それは、だいたい慶長以来の刀でしょうね。
日本刀の制作(国会図書館『職人尽絵詞』)
八橋 いけないのは太平の時代に造られた刀で、それも都に近い地域で造られたものほどいけませんね。大阪新刀などはその最もいい例ですが、平和な時代でも九州とか能州、越中などの山地の刀匠が造ったものは使えます。もっとも、戦乱の時代には数打物といって、粗悪な大量生産品があったから注意を要します。
深川 それから例の御用刀……。
八橋 そう。これも、いざ戦争というとき、大名が領内の農鍛冶までも動員して、何日までに何千本つくれなどと命じて造らせた刀だから、いいわけはありません。
■刀は使い方で斬れる
八橋 大阪新刀といいますと、寛永・元禄時代、大阪を中心にできた刀で、なにしろ武士でも老人などは「重いから竹光にしよう」と外見だけは金銀をちりばめて華美を競いながら、鞘の中味は竹光という時代があったのです。
そこで、その頃の刀匠はきゃしゃで見た目の美しい刀ばかりを造ったもので、刀の見た目を美しくするには、どうしても焼きを高くしなければならない。焼きを高くすれば折れやすい、というわけで、美術的には立派で値段も高価ですが、実用刀としては、はなはだ不適当な刀なのです。
記者 焼きが高いといいますと?
隅田 焼刃が広いとでもいいますか、だいたい焼刃の幅は刀の3分の1未満がいいので、それ以上になると焼きが高いというのです。刀を見れば焼刃と地肌の色が違いますから、これは誰でもすぐにわかります。私たちは、よく素人の方から、この刀は折れぬか、曲がらぬかと訊ねられるが、刀はあの通り細長いものですから、どんな刀だって無理をすれば折れもするし、曲がりもします。要は、持ち主の使い方にあるのです。
亀田 名刀も、使い手によって生きもするし死にもします。
八橋 しかも、それは決して剣術ができないということではなくて、斬れるように使うということですね。その証拠には、12〜13歳の子供でも、試し斬りのとき斬り方を教えてやらせると、スパリッと一太刀で巻き藁を斬ります。だいたい、刀は刃を目的物に対して直角にあてて、一直線にスーッと斬るものなので、弧を描いて斬っては斬れるものではないのです。
その要領を素直に、また無心にやるから斬れるので、剣道2、3段の人などの試し斬りを見てみると、斬ることは斬っても、本当の斬り方ではない。つまり、刀をこじらさせて斬っているから、斬り口がえぐれて、弧を描いている。これは刀で斬ったのではなくて、勢いで無理に斬っているわけで、つまり刀の味を殺しているのです。
巻き藁の試し斬り
■刀は信頼して使え
深川 ある人が使ったときは非常によく斬れたのに、別の人が使ったときは同じように斬れない、などということがあるそうですね。
亀井 それは当然で、斬れる刀でさえあれば、誰でも斬れるというものではないのです。だいたい、刀剣の優劣は上(刀の刃のある部分)と長さや反り、すなわち体配などの状態で決定されるもので、使う人の身長と刀の長さが適応していないと、どんな名刀でも思うように斬ることはできません。
記者 では、どのくらいの長さが適当なのですか?
熊井 それは、だいたい身長5尺5寸くらいの人には2尺3寸くらいの刀、5尺3寸くらいの人には2尺1寸5分くらいの刀が適当とされています。
八幡 それから、刀の重量も非常に関係がありますね。刀は一つにはあの重量で斬るので、刺身包丁の刃をいくら鋭利に研いでも、人間の腕を斬り落す ことはできません。これは、刀のような重量がないからです。では、どのくらいの重量が適当かというと、常寸2尺2寸を中心として200匁(もんめ)程度以上というところでしょうね。
鎌倉の刀匠「正宗工芸美術製作所」
記者 刀の反りと斬れ味の関係は?
八橋 刀は反りがあるから斬れるので、勢い、反り工合によって斬れ味がだいぶ違ってくるのですが、まず5、6分の反りが適当だと私は思います。もっとも、実戦の場合、兵科によって反り程度は違ってきますが……。たとえば、騎兵はおもに馬上から相手を斬り倒すのですから、上も普通より長くて、反りのあるもの、歩兵は斬りもするし、突きもしますから、いまいった5、6分の反りが手頃だというふうに……。
記者 研ぎの上手下手は?
八橋 下手な研師にかかると、名刀を台無しにされるばかりでなく、どうかすると、ところどころ刃がついてないなどということがありますから、研師は選んで頼まなければなりません。
記者 刃がついてないことは素人でも見てわかりますか?
八橋 それはわかります。刃を上にして刀を水平に持ち、じっと刃先を見つめて、刃先が見えたらその見えた部分は刃がついていないのです。これはちょっと余談になるかもしれませんが、「寝刃を合わす」という言葉がありますね。だいたい、刀剣は刃先を荒らさないため、ふだんは刃をつけておかないものなのです。そしていざ合戦というとき刃をつけるのが本当で、急場の際は有り合わせの石などで刃を起こして使ったものなのです。昔の武士がよく金具のついた雪駄をはいていたのも、急に刀を使用する場合、この金具で刃を起こすためだったそうで、これを称して寝刃を合わせるというのです。
日本刀の刃先
記者 結局、実戦には、一定の重量と適度の長さと反りを持った、焼きの高くない刀を選ぶべきなのですね?
八橋 それから自分の刀に慣れること、刀を信頼することです。刀の反りや長さや重量が、いかに適合している業物でも、これを求めてすぐに使ったのでは、その本領を発揮させることはできません。昔から使い慣れた刀が一番よく斬れると言われるくらいで、刀を求めたら、常に素振りぐらいはして刀に慣れておかなければ、いざというとき役には立たない。
八橋 そこで問題となるのは現代刀、すなわち昭和刀で、事変以来、関町だけでも何十万本も生産して戦争のお役に立たせているのですが、軍刀として寸法の点から、すべての点にわたって遺憾のないようにできておりますが、ただ斬った経験、つまり歴史を持っていないから、はたして斬れるかという一抹の不安を使う人に与えやすい。それを超越して使えば立派な刀で申し分はないのですが……。
新軍刀
加藤 私は、この前の岐阜市の博覧会で、50日にわたり昭和刀を3本使って巻き藁の試し斬りをしましたが、どの刀も刃こぼれ一つしなかった。
八橋 これは、北支の戦線から帰ってきたある将校から聞いた話ですが、なにかの必要で何百本という竹槍をこしらえたとき、陣中で自慢の名刀を持っていた人たちが名刀の斬れ味を試そうと、われ勝ちに竹を斬ったが、ご自慢の名刀は、2〜3本も竹を斬ると、たいてい折れたり曲がったりという始末。それまで昭和刀を持っていて、いささか肩身の狭い思いをしていた人たちが、すすめられるままに斬ってみると、すぱりすぱりと見事に斬れたので、非常に肩身が広くなったと同時に、昭和刀は斬れるという自信を得て、大いに意を強くしたそうです。
福本 昭和刀は、打ち抜きだとか鋳物だとかいう悪評が一時たったものですが、鍛え刀と昭和刀の相違は、鍛え刀は玉鋼、昭和刀は溶鉱炉でつくった既製鋼を材料にしているというだけで、鍛錬法や焼き入れの方法などは少しも違わないのです。
■素人の鑑定は禁物
記者 偽物と真物の鑑別法は?
加藤 それは、いろいろ難しい鑑別法はありますが、なによりも素人は専門家に見てもらうに限りますね。
隅田 それから真価のわからぬものは、絶対に買わぬことですね。ことに欲を手伝わすと必ず失敗します。要するに、素人の古刀いじりはまことに危険です。早い話が、「虎徹を見たら偽物と思え」と言われているくらいで、ひと口に名刀・虎徹と言いますが、虎徹ぐらい偽物の多い刀はないのです。その数多い偽物のなかから、素人が真物の虎徹を探しだすのは容易なことではありません。
また、備前祐定などにいたっては、同じ名前の刀匠が150人もいて、どれが本当の祐定かわからない。それに、たとえば関の孫六が刀匠としてもっとも油の乗り切った時代に、いったいどのくらい刀を鍛えたかといえば、それはわずかに数えるほどしかないので、そういう刀にぶつかるだけでも並大抵なことではないわけです。
記者 なるほど……。
八橋 そこで、真偽の鑑定は専門家に見てもらうに限るのですよ。
関の孫六(孫六兼元)の日本刀(関鍛冶伝承館)
記者 ところで、出征に際して刀を求める場合は?
八橋 それは、身長と体重と兵科と、それから値段を告げて、信用のある刀剣商に相談することですね。だが、刀剣商のなかには、明日使って折れるよ うな刀を名刀と称して売るような悪徳業者もおりますから、その場合はあくまでも信用のある刀剣商を選ぶべきです。
隅田 もっとも、刀剣の真偽の問題は、宝として重要なので、たんに斬れ味というだけを考えれば、偽物だろうが真物だろうが、斬れさえすればいいわけで、あまり真偽に拘泥する必要はないと私は思います。
深川 そして、事実、偽物でもそうとう斬れる刀がありますからね。
加藤 昔は、お祭刀とか葬式刀、養子刀などという一種の装飾用の刀があったものですが、こんな刀がいつの間にか家の家宝となって秘蔵されているという例はたくさんありますね。
八橋 そう。さきほどお話した出征間際に、外装をたのみにくる伝家の名刀と自称する刀のなかにもそういう刀がそうとうに多いのです。
■日本刀は活人剣
八橋 日本刀にはその所有者の精神がうつるということは、確信をもって私は言えます。
深川 これは、小川という関の名研師の家で、私が目撃した話なのですが、いまから20数年前、名古屋の萬鈴という刀剣商が、無銘ながら非常な名刀の研ぎを依頼にきたところが、ちょうどその翌日移転することになっていたので、1日遅れればその刀を研いでもらうことができなかったのです。「いいところへきた」と、萬鈴さんは非常に喜んで、その刀を置いて帰りました。
それから15年後、萬鈴さんはふたたびその刀を小川さんに研いでもらおうと思ったが、小川さんはなにしろ老齢なので、生きているか死んでいるか、心配しながら訪ねてみると、そのときもちょうど、その翌日、移転しようとしているときだったのです。そのとき、2度とも偶然、小川さんの家に立ち寄っていた私は、いい研師を慕う名刀の霊とでもいいましょうか、なにか口では言えない神秘なものを感じたのですが……。
名刀「三日月宗近」(徳川家達の所蔵時代、現在は東京国立博物館の収蔵国宝)
加藤 だいたい、日本刀に妖刀などがあるはずはないのですよ。刀を見ればすぐにわかりますが、血流しという溝がついています。これは刀剣が初めてできた昔からあるもので、元来は法棒といって、刀を振るうと、この法棒があるために、きゅッという音がする。つまり、夜陰など、相手を斬る前に、このきゅッという音で、斬るぞッと相手を威嚇(いかく)慴伏(しゅうふく)させたので、これをもってもわかるとおり、日本刀は決して殺傷のみを目的として造られたものではなく、そこにまた日本刀の尊厳があるのです。
八橋 日本刀を床の間に飾って朝夕に眺めるだけでも心は清浄になりますね。
隅田 そこに、日本刀の真価があるのですよ。
記者 遅くまでありがとうございました。では、このへんで……。
国宝「三日月宗近」(東京国立博物館)
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日本刀の歴史
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日本刀はどこまで斬れるのか
制作:2023年1月21日
<おまけ>
日本刀由来の日本語は、意外に多いのです。「切羽つまる」や「鎬(しのぎ)を削る」「そりが合わない」などがそうした例ですが、実は「相槌」「とんちんかん」も刀剣に由来しています。日本刀を鍛造する際、師匠が槌で打つのに合わせ、弟子が別の槌で打つことを「相槌」と言います。その相槌のタイミングが悪いと「トンチンカン」とずれた音がすることから生まれました。実は鉄を打つ音から来ていたわけで、漢字の「頓珍漢」は後に作られた当て字です。
日本刀の鍛錬