紙巻きタバコの始まり



 日本で最初に「紙巻きたばこ」が作られたのは明治5年(1872年)のことで、現在の国立劇場近くに住んでいた元彦根藩士の土田安五郎が実現しました。当初は輸入帽子の薄い包装紙を使うなど試行錯誤を重ねますが、紙巻きに成功したことで、1003銭くらいの安値で販売できるようになりました。

 明治6年、オーストリアで開催中のウィーン万国博覧会に2人の日本人が出向き、それぞれ巻き煙草の製造器械を購入し、帰国しました。
 その2人の名前は竹内毅と石川巌といいます。

 竹内は明治8年、この器械を使って、葉巻煙草と紙巻き煙草を試作。天覧の栄誉に浴しますが、明治13年には廃業。
 石川は、同じく明治7年に開業していますが、こちらも明治13年に廃業しています。まだ、質の低かった国産の紙巻き煙草は人気がなかったのです(『明治事物起原』による)。

 明治14年、土田安五郎は「第2回内国勧業博覧会」に煙草を出品し、有功賞牌を受賞しています。このときの賞状が「たばこと塩の博物館」に残されています。

tobacco13
土田安五郎の有功章


 紙巻きたばこは文明開化のシンボルとなって次第に流行。そして、日清戦争の頃から、一気に普及していきました。
 特に「岩谷商会」と「村井兄弟商会」の2社が激しい宣伝合戦で有名となりました。

tobacco14
天狗煙草と村井兄弟商会の宣伝


 ちなみに、土田安五郎の孫は、長じてスミスクライン・ベックマン・ジャパンの会長となった故・小山八郎氏です。小山氏は、早稲田高等学院の合格が決まった日、父親から煙草を渡されて、「もう中学も卒業したのだから大人だ。さあ、吸いなさい」と言われます。

《生まれてから一度もたばこを(たとえいたずらにもせよ)口にくわえたことのなかった私は、一瞬とまどった。姉や妹、お手伝いさんたちも皆興味深げに見つめている。はたしてどんなしぐさで私が大人のようにたばこを吸って見せるか……
 私の母方の祖父、土田安五郎は日本で初めて紙巻きたばこを発明し産を成した人であり、たばことはいろいろ縁が深い。もちろん両親も兄たちも吸っていた。一瞬思い浮かべたのは、初めての喫煙でむせている不様な自分の姿である。それを思った途端、無意識にたばこを父に戻していた。
「たばこは吸いません……」》(『日本経済新聞』198734日)  

 こうして、小山氏は一生煙草を吸わずに過ごしたのだそうです。