富岡製糸場
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世界遺産・富岡製糸場へ行く
トヨタと日産を結ぶ「点と線」
現在の富岡製糸場
♪箒(ほうき)静かに索緒(くちたて)しゃんせ
繭は柔肌、絹一重(きぬひとえ)
わたしゃ17、花なら蕾(つぼみ)、手荒なさるなまだ未通女(おぼこ)……
明治から大正の始めにかけて、各地の工場で「工場歌」がはやりました。その先駆けが、富岡製糸場で歌われた「富岡節」です。
言うまでもなく富岡製糸場とは、群馬県富岡市にある日本初の官営機械式製糸工場。操業開始は明治5年(1872)秋のことでした。
終業後の「女工の舞」(工場舞踊の元祖)(1930年頃)
作業の合間に行われた体操(1930年頃)
開国以降、長らく
生糸
は日本の誇る輸出品となりました。ところが慶応年間になると質が悪化し、ロンドンで粗悪品が焼却処分されるなど、評判が落ちてしまいました。そこで明治政府がフランス人ブリューナの指導の下、一大模範工場を建設します。それが富岡製糸場。
工場全景(1930年頃)
開業直後(明治6年頃?)の工場
当初は556人の工女でスタート
簡単に製糸の流れを書いておくと、
(1)乾燥させた繭を釜で煮てゴム質を溶かし、箒で繭をこすって、端っこを探す。これを索緒(さくちょ)と言います。上の工場歌はこのことを歌っています。
(2)一匹で1300〜1500mにもなる繭の糸を、撚りながら小枠に巻き取る(繰糸=そうし)。このままでは強度が弱いので、これをさらに大枠に巻き取る。
流れとしてはこれだけですが、手で繰糸を行うことを「座繰(ざぐり)」と言います。後にはこれが機械化されますが、手動の方が味があるので、座繰自体はずいぶん後まで根強く残りました。
座繰機(長野県松本市歴史の里)
機械式(富岡製糸場)
その後、富岡製糸場は明治26年(1893)に三井家に払い下げられ、さらに明治35年には原合名会社に譲渡されました。昭和14年(1939)には片倉製糸紡績会社が所有し、昭和62年(1987)3月まで操業を行っていました。
平成17年(2005)、すべての建物は地元富岡市に寄贈され、2014年、世界遺産に登録されました。
そんなわけで、富岡製糸場を見に行きました!
東の繭倉庫(104m×12m)
繰糸場の大きさはだいたい142m×13m、高さ12m
さて、スタッフに保存されている繰糸機のメーカーを聞くと、「プリンス」という返事です。プリンスとは「プリンス自動車」のことです。いったいどうして、自動車メーカーが操糸機を作ってるんでしょうか?
有名な話ですが、トヨタ自動車の筆頭株主は豊田自動織機という繊維機械メーカー。そこからスピンアウトしたのが自動車製作でした。織機も自動車のエンジンも「回転」するのは同じなわけで、技術的には同じ線上にあるんですね。
では、プリンス自動車も、もとは繊維機械メーカーだったのかといえば、答えはそうじゃありません。中島飛行機という大飛行機メーカーでした。
戦前、中島飛行機は、三菱重工を凌ぐ日本最大の飛行機メーカーでしたが、戦後、GHQにより解体命令が下り、12社に分割されてしまいました。それが現在の富士重工業(SUBARU)や富士機械、富士ロビンといった企業です。
戦後しばらくは飛行機の生産が禁止されたため、中島飛行機の技術者の多くが自動車生産に従事しました。これが戦後日本の自動車産業を発展させたわけですが、プリンス自動車もそのなかの1社でした。
つまり、トヨタの場合は繊維機械から自動車に、プリンスの場合は自動車から繊維機械に向かったわけです。
豊田の自動織機
中島飛行機制作の飛行機P-1
さて、中島飛行機の本社は、群馬県の太田でした。富岡製糸場からそれほど離れてるわけではありません。両社になにか関係があるのでしょうか?
実は、初期の軍用飛行機の主翼は、木製合板の骨組に布張りという簡単なものでした。この布に使用したのが、柞蚕糸(タッサーシルク)。要は、富岡で作った糸が軍用機の翼になっていたということです。
高崎には岩鼻火薬製造もあるし、意外ですが、群馬ってけっこうな技術王国だったのです。
さて、その後、プリンスは日産自動車に吸収されます。日産は中島飛行機のジェットエンジンやロケットエンジン技術を受け継ぎ、一時航空・宇宙産業に進出していました。
一方、トヨタは、2005年、経営不振に陥った富士重工への支援を決定します。富士重工の航空・宇宙技術があれば、いつか航空機事業に参入できる可能性が高まります。
かくて、中島飛行機の高い技術は、日産とトヨタに受け継がれました。
繊維機械、自動車、航空機、ロケットという国策産業を結ぶ、不思議な1本の糸の物語でした。
制作:2006年8月7日
<おまけ>
日産がルノー傘下に入るとき、航空宇宙部門は石川島播磨重工業に譲渡され、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースとなりました。その本社は、群馬県富岡なのでした。