日本語ワープロの歴史
あるいはNECパソコン帝国の誕生
パソコンで動くほぼ日本初のワープロ(1982年、PC8801用)
1973年に刊行された小松左京のSF『日本沈没』に、こんな文章があります。
《コンピューターのランプが壁面いっぱいに点滅し、記憶装置(メモリー)のテープやドラムがまわり……》
当時、コンピューターの記憶装置は「磁気テープ」でした。1971年、IBMは、革命的な記憶装置「フロッピーディスク」を販売開始しますが、まだまだ普及には時間がかかります。
世界初の日本語ワードプロセッサーは、1978年に東芝が発表した「JW−10」です(発売は1979年2月)。ハードディスクとフロッピーとプリンタがセットされ、重さ220kg、価格は630万円。当時、外車のキャデラックより高いと揶揄されました。このとき東芝は、小松左京の大阪事務所に1台提供しますが、SFの大家である小松左京でさえ、ワープロで小説を書くことはなかったと言われています。
東芝科学館に展示された世界初の日本語ワープロ
かつて日本には、大正時代に発売された「和文タイプ」や、新聞社が使っていた「漢字テレタイプ鍵盤」がありました。しかし、大量の漢字盤から1文字ずつ拾う方式で、熟練者にしか使えません。
一方、当時のコンピューターでは、英数字かカタカナしか使えません。
つまり、日本語ワープロは、漢字を映すディスプレイ、漢字を記憶させるメモリー、漢字の印字が可能なプリンタなど、ハードの進化によって初めて完成するのです。
それに加え、漢字のフォントや漢字辞書も作らねばなりません。東芝のワープロ開発の様子は次のように記録されています。
《漢字フォントは専門のデザイナーに頼むことにしたが、ビジネスに必要な漢字は大小含めると、およそ1万字種にも上った。しかしデザイナーは1つ1つフォントのデザインを起こしていくわけで、1週間に作れるフォントはせいぜい100字種ほど。辞書は単純に国語辞書から抽出して作ればよいと思ったが、辞書にあるのは一般名詞ばかりで、ワープロに必要な固有名詞はほとんど入っていない。(中略)辞書に載っていない人名や地名は、知り合いの保険会社に頼み込み、内証で契約者のデータから姓と名をそれぞれ上位3000件ずつ教えてもらった》(『パソコン革命の旗手たち』より)
和文入力用の巨大文字盤
いったい、漢字ワープロはどうやって誕生したのか。
東芝が日本語ワープロの開発に着手したのは1971年。
現在でも使われる「かな漢字変換」は、このときすでに発明されています。
具体的には
●同音異義語(「参加」と「傘下」など)を区別するため、下に「する」をつけて動詞にできるか(サ変名詞)分類
●意図しない同音異義語が出てこないよう、一度使った漢字を優先的に出す「短期学習機能」
●ユーザーがよく使う語を頻度順に表示する「長期学習機能」などなど
この開発によって、手書き(1分間70字)を上回る「1分間80字入力」が実現します。
1979年9月にシャープが、1980年5月には富士通、NEC、日立が相次いで日本語ワープロを発表。
1982年、富士通が初めて100万円を切った「MY-OASYS」を85万円で発売、1985年には東芝が初めて10万円を切る「ルポ」を発売し、一般家庭にも普及していきます。
ワープロ専用機は1989年に出荷台数が最大になりますが、その後、急速に市場が縮小し、2000年に東芝が撤退、2002年にシャープが撤退し、消滅しました。
市場が消えた理由は、もちろんパソコンのワープロソフトに食われたからです。では、パソコンのワープロはどのように開発されていったのか。
パソコンが誕生する前、いわゆる「マイコン」は、基板に数値表示ができるLEDと16進数キーボードが付いたものが普通でした。日本では1976年に発売されたNECの「TK-80」などがその例です。
NECの「TK-80」(国立科学博物館)
1977年1月。アメリカ・シカゴで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)で常識をくつがえすような機器が登場しました。
コモドールのPET-2001。小型の白黒ディスプレイとデータ保存用テープレコーダー、キーボードが箱にはめられたオールインワン型で、事実上、世界初の「パーソナル」なコンピューターです。マイクロソフトのBASICという基本ソフトが入っており、電源オンですぐに使えました。
ちなみに、メモリーは4KBで、これは英数字4096文字分です。
同時期にアップルのAppleII、ラジオシャックのTRS-80などが発売され、パソコンの登場となります。
その後、フロッピーディスクの使用が当たり前になってくると、それに適したOSであるデジタルリサーチのCP/Mが登場します。CP/Mの時代、大ヒットしたのが、1978年に発売された「WordStar」というワープロ。もちろん英数字しか使えませんが、ワープロという概念を初めて広く世に知らしめました。
月刊『アスキー』1981年4月号によると、日本語処理のできる日本初のコンピューターは、1977年、大阪のシステマティックス社が出した「えびす7Ⅱ」という850万円のオフコン(オフィスコンピュータ)だとされています。
しかし、これはまったく知られておらず、ほとんど実用にならなかったものと思われます。
1978年9月、日立製作所が日本初のパソコン「ベーシックマスター」を発売。
そして、1979年5月、マイクロコンピュータショウで発表され、大きな注目を集めたのが、NECの「PC-8001」です。PC-8001は160×100ドットのモニターにカラー8色を同時表示することができました。定価16万8000円で、25万台という、当時としては驚異的な売り上げを記録します。
NECパソコン帝国の原点となった「PC-8001」
ある程度使える漢字システムは、このPC-8001で動く日本ビジネスシステムズ社の漢字システムが最初です。この方式は1980年のマイコンショウで発表されました(京セラが製造して、タンディ・ラジオシャックが販売したTRS-80でも可動)。 ローマ字入力を実現しましたが、漢字1文字を入力するのに30秒ほどかかる代物でした。
前出の『アスキー』1981年4月号は、特集記事として漢字処理システムのレポートを掲載しています。このとき入手できた漢字システムは、ほかにアップルⅡで動いたパックス・エレクトロニカ・ジャパン社製のものしかなく、この段階ではパソコンで動く漢字システムは2つだけだったとわかります。
1981年、富士通が「FM−8」を発売。グラフィックスは640×200ドットで、別売りの漢字ROMを組み込むことで、漢字の表示に対応しました。
FM-8のカタログ(1982年)より。麻雀や花札などのゲームはカセットで提供
同年後半、NECは「PC8801」で、同じく漢字の表示を実現。こちらはモノクロ画面で640×400の表示が可能でした。漢字1文字が16×16ドットなので、640×400のモニターでは40字×25行表示できます。これで、ようやく実用的なワープロの登場となるのです。
1982年春、PC8801用ワープロソフト『簡易日本語ワードプロセッサPCS-008』が登場します。価格は3万8000円。これが、パソコンで動くほぼ日本初の実用的なワープロです。
(FM-8のワープロとどっちが早いかは確認取れませんでしたが、おそらくNECが先)。
簡易ワープロと、漢字使用に必要なN88-漢字BASIC
ソフトのカタログには漢字辞書の語数が書いてないので、まず間違いなく単漢字変換(冒頭の写真のように「ぎ」と入れると「疑」「義」などの候補が出る)だったと思われます。
ちなみに、このパソコン上でワープロ以外でも漢字を使いたい場合は、漢字ROMに加え、漢字BASICという別のソフトが必要でした。
これに漢字プリンタ、モニター、当時は高価なフロッピードライブなどを加えていくと、かなり高価格になってしまいました。
最初期の漢字プリンタPC-8822の印刷見本
なお、カラーでも40字×25行の漢字表示を実現するには、いわゆる16ビットパソコンの登場を待つ必要がありました。16ビットパソコンは、IBMが1981年に発売した「IBM PC」が始まり。日本初の16ビットパソコンは、1982年1月から販売開始した三菱電機の「MULTI 16」です。
そして、この年10月に発売されたNECの16ビットパソコン「PC-9801」が爆発的に売れ、最盛期は日本のパソコンの9割を「PC-9800」シリーズが占めることになります。
98シリーズのワープロソフトは、管理工学研究所の「松」が有名でしたが、後にジャストシステムの「一太郎」が圧勝します。一太郎は、日本で初めてマウスをサポートしたNEC「PC-100」に標準装備されていたワープロJS-Wordの進化系です。
なぜ一太郎が松に勝ったかというと、かな漢字変換ソフト(ATOK)をワープロの外でも使えたから。その後、「松」も日本語入力システムを「松茸」として独立させますが、時すでに遅しでした。
そして、もうひとつ大きな理由があります。「松」の全盛期、このソフトの取り扱いを拒否されたソフト流通会社が、「一太郎」を発掘し、全面的に売り出したのです。この会社こそが、孫正義の日本ソフトバンク(現・ソフトバンク)です。
「一太郎」の原型であるJS-WORD
制作:2016年5月23日
<おまけ>
日本語ワープロの実現には、「どうやってかなを入力するか」という問題がありました。JISキーボードが規格化されたのは1972年2月1日ですが、慣れないと打ちにくいものです。
そこで、人間工学に基づいて、富士通が「親指シフト」を発表したのが1979年。これはワープロ専用機「OASYS」の爆発的人気によって普及しますが、実はNECも独自キーボードを開発していました。
左から漢字キーボード、手書き漢字認識ターミナル、音声入力、タブレット(いずれも1983年)