「甲冑」はじめの一歩
鎧の着方を完全図解

伴大納言絵詞の甲冑
鎧を着た武者(平安末期『伴大納言絵詞』)


 甲冑(かっちゅう)とは「よろい」(甲・鎧)と「かぶと」(冑・兜)を合わせた言葉です。
 日本に数多く残された古戦記物では、武将たちの戦にあたり、その甲冑の様子がしばしば具体的に書かれています。
 たとえば『平家物語』では、斎藤実盛の姿をこう書いています。

《赤地の錦の直垂(ひたたれ)に萌黄(もえぎ)威(おどし)の鎧(よろい)着て、鍬形(くわがた)うッたる甲(かぶと)の緒をしめ……》
 
 直垂は、和服のような前で合わせる衣装。縅(おどし)は、小さい板をカラフルな糸でまとめたもの。鍬形は、兜についた2本の角。つまり、赤い着物の上に黄緑の鎧を着て、角のついた兜をかぶっていたということです。

相馬野間追の総大将
相馬野馬追(福島県)の総大将。兜の粒々は「星」といいます


 一方、『源平盛衰記』では、平家が掲げた扇の的を射た那須与一は《紺村濃(こんむらご)の直垂に緋威の鎧、鷹角(=鹿角)反った冑》とあります。
 紺村濃は、薄い紺色のところどころ濃い紺色に染めたもの。その上に真っ赤な鎧を着て、鹿の角が2本飛び出た兜をかぶっていたということです。

鹿の角のついた兜
鹿の角のついた兜(関ケ原ウォーランド)


 こうした記述を読むと、武士はかなりファッショナブルだったことがわかります。
 しかし、この華やかさは武将だけのもので、兵士には無関係。一兵士は、華やかさより動きやすい甲冑に身を包んでいました。

 日本の甲冑の歴史は、ざっくり3段階あるといわれます。いちばん最初が、古墳の埴輪に見られる「挂甲(けいこう)」「短甲」といわれるもの。これらは、ほぼ現存しておらず、埴輪を見て納得するしかありません。

挂甲と短甲
挂甲(左)と短甲


 続いて平安から室町中期の「大鎧」「胴丸」。
 最後が室町後期から戦国時代以降の「当世具足」。

 しかしながら、甲冑は基本、敵の攻撃から身を守るためのものなので、本質的にはまったく変化していません。いろいろ細かい違いはあれど、ざっくり知識として押さえておくべきは、「大鎧」と「当世具足」の違いだけです。「大鎧」は馬に乗った武将、「当世具足」は歩き回る兵士用です。

蒙古襲来絵詞の甲冑
左端が兵士用「胴丸」、右端が武将用「大鎧」
(鎌倉後期『蒙古襲来絵詞』)


 そんなわけで、以下、鎧の簡単知識と着用法を公開します。
 まずは兵士用から。

 古墳時代を除くと、最初の鎧は「腹巻」と呼ばれるものです。厳密な定義や区分けはないものの、
(1)兜がない(2)鎧を後ろで留める
 ……あたりが特徴です。もともと鎧の下に着るような簡易版でしたが、徐々に防護性を高めていきました。下の図は腹巻ですが、初期は肩の「大袖」はありませんでした。また、腹巻でも普通に兜があったりします。

腹巻の甲冑
腹巻(『国史大事典挿絵及年表』)


 続いて登場する「胴丸」の特徴は
(1)兜がついた(2)鎧を右で留める
 ……あたりです。ちなみに、「腹巻」と「胴丸」は時代によってどっちがどっちだか混乱しており、明治時代に刊行された『装束甲冑図解』では「胴丸」が無視されていることからも、大した違いはないと思って問題ないです。

胴丸の甲冑
胴丸


 最後に登場する「当世具足」は「胴丸」の進化系です。鉄砲が戦の主流になったことで、
(1)鉄製が増えた(2)上下を固定し着やすく動きやすい(3)大量生産が可能
 ……となりました。

当世具足の甲冑
当世具足


 下半身を護る胴の裾(すそ)部分を「草摺(くさずり)」といいますが、兵士用は動きやすくするため、これが7つとか8つとかに分かれているのが最大の特徴です。
 これが前後左右4つだと、馬に乗る武将用の「大鎧」となります。

大塔宮出陣図の甲冑
馬に乗ると草摺4つのメリットがわかる(『大塔宮出陣図』)


 なぜ「大鎧」の草摺は4つなのか。答えは簡単で、鞍に跨がったとき、大腿部を箱のように覆うことができるからです。
 なお、「大鎧」は右で留めるため、隙間を埋めるために「脇立」(わいだて)という防具を着けました。

脇立だけ男(『装束甲冑図解』)
脇立だけ男(『装束甲冑図解』)


『保元物語』で、白河殿に攻め入る源義朝の格好は《赤地の錦の直垂(ひたたれ)に、脇楯(わいだて)、小具足ばかりにて、太刀(たち)帯(は)きたり》と書かれています。小具足とは「籠手」(こて=手の防具)や「脛当」(すねの防具)のことなので、身軽な格好だとわかるのです。

 これだけだと「大鎧」のすばらしさが伝わらないので、あと覚えておくべきは「栴檀板(せんだんのいた)」と「鳩尾板(きゅうびのいた)」です。

鎧の名称
各部名称


 馬上で戦う場合、矢は左に向かって打ちます(右に向かっては打ちづらい)。すると左肩に隙間ができるので、「鳩尾板」で防護しました。
 一方、刀は右に向かって使います(左に向かって刀を振り下ろせない)。すると右肩に隙間ができるので、「栴檀板」で防護しました。「栴檀板」は、弓を引くときに邪魔にならないよう、伸縮性がありました。

 以上が、甲冑の基礎知識です。

鎧師
鎧師


 では、鎧はどうやって着たのか。以下、明治時代にまとめられた『故実叢書』から「鎧着用次第」の全画像を公開しておきます。

【大鎧の着用手順】

『故実叢書』鎧着用次第
(1)まずは日常着の直垂

『故実叢書』鎧着用次第
(2)<右から>「浴衣」と呼ばれたふんどしをつけ→「小袖」→「大口(袴)」着用

『故実叢書』鎧着用次第
(3)髷(まげ)を解いて、「烏帽子」(えぼし)をかぶり、鉢巻きを締める
  →「弓懸」(ゆがけ)という、弓を引くときに使う革の手袋をつける
   →袖口を絞れるように紐がついた「鎧直垂」(よろいひたたれ)を着る

『故実叢書』鎧着用次第
(4)鎧直垂を前で閉め→「脛巾」(はばき)という布をすねに当て→袴の裾を絞る

『故実叢書』鎧着用次第
(5)髄当(すね当て)→「頬貫」(つらぬき)という毛沓をはく→脇を護る「脇立」を右側に

『故実叢書』鎧着用次第
(6)右手に防具「手蓋」(籠手=こて)をつけ→左袖を絞り→左手に「手蓋」着用。
左だけ上に出すのは、弓に引っかからないようにするため

『故実叢書』鎧着用次第
(7)右袖を絞り、鎧を着る

『故実叢書』鎧着用次第
(8)短刀をつけ→太刀(長刀)をつけ→「箙」(えびら)という矢を入れる箱を。
   丸い輪は「弦巻」という予備の弓の弦を巻いておくもの


『故実叢書』鎧着用次第
(9)弓を持って完成。場合によって、兜(かぶと)をかぶる

 このほか、草摺の下端からひざ頭まで護る「佩楯」(はいだて=ひざ鎧)などがあります。また、すね当ては、馬に当たらないよう、鉄の一部を欠く工夫もしてあります。

佩楯
佩楯

脛当て
すね当て

日本刀の歴史
日本刀はどこまで斬れるのか


制作:2017年10月5日


<おまけ>
 甲冑をモチーフにした切手は2つしかありません。ひとつは日本一豪華な国宝と呼ばれる「赤糸威大鎧」、もうひとつは源義光伝来の鎧「源氏八領」の唯一現存する「小桜韋威鎧」です。「韋」は鹿のなめし革のことです。

甲冑切手
甲冑の切手

 以下、鎧威の配色図も公開しておきます。

鎧威の配色図
鎧威の配色図
鎧縅(『国史大事典挿絵及年表』)
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