【技術の時代】硫酸製造
「円」が作った化学工業

《新貨幣の称呼は、円を以て起票とし、その多寡を論ぜず、すべて円の原称に数字を加えてこれを計算すべし》

 明治4年、新貨条例が布告され、日本の通貨単位が「円」となりました。
 政府は大阪に造幣局を作り、新しい貨幣の鋳造を始めます。実は、これが、日本の化学工業のスタートでした。

大阪の造幣局
大阪の造幣局

 どういうことかというと、当時は金本位制だったため、初期の通貨には実際に金が含有されていました(たとえば1円貨は純金0.4匁つまり1.5gを含有)。
 つまり貨幣を造るには、金属の製錬技術が必要なわけです。で、金属精錬には何が必要かというと、実は硫酸なんですね。
 硫酸は、その使用量が国力を示すと云われるほど、近代技術に必要な物質です。実際、火薬、肥料、石鹸、防腐剤から電池まで、あらゆる工業製品を作るのに必要不可欠です。

 貨幣製造では、硫酸を地金の分析、サビ落とし、洗浄などに使いますが、当時の日本では硫酸を大量生産できず、ドイツから輸入していました。そこで、日本初の硫酸工場が造られるわけです。
 ちなみに、

《あるとき硫酸を造ろうというので、様々大骨折りで不完全ながら色の黒い硫酸が出来たから、これを精製して透明にしなければならぬというので、その日はまず茶椀に入れて棚の上に上げて置いたところが、鶴田仙俺が自分でこれを忘れて、何かの機(はずみ)にその茶椀を棚から落して硫酸を頭から冠(かぶ)り、身体にさまでの怪我はなかったが、丁度旧暦四月の頃で、一枚の袷(あわせ)をズタ/\にしたことがある》

 と『福翁自伝』にあるほどで、硫酸の製造自体は簡単でした。

 当時、硫酸は硫黄を燃やして作った二酸化硫黄をガラス内で酸化させて作っていましたが、これでは大量生産はできません。
 そこで、巨大な鉛の部屋を作ることで大量生産が可能となりました。これが新技術の鉛室法。イギリスで18世紀中頃に確立した技術で、当時は斬新でしたが、もちろん、現在の日本では全く使われていません。

 造幣局で作られた硫酸は市販もされましたが、日本ではまだ消費量が延びず、中国へ輸出したりもしました。
 その後、人工肥料など新しい硫酸の使用法が見つかり、ようやく硫酸製造も営業的に成り立つことになるのでした。


●造幣局内部を初公開!●
大阪の造幣局 大阪の造幣局
金を延ばし(左)、円形に切り抜く(右)

大阪の造幣局
模様を刻印
制作:2002年1月28日


広告
© 探検コム メール