原子力鉄道
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「原子力機関車」を開発せよ
幻の設計書類を独占入手
X-12(『LIFE』1954年6月21日号/グーグルブックス)
鉄道の線路幅には一般に広軌と狭軌の2種類あります。
日本では明治時代に1067mmの狭軌が採用され、線路幅が狭いことで、後々まで輸送量に大きな制限がかかることになりました。1964年、新幹線で初めて1435mmの広軌が採用されています。
世界では広軌が普通ですが、国土の広いロシアでは1520mmという線路幅も採用されています。
そのロシアがソ連の時代、4500mmという超広軌道の鉄道が計画されました。線路幅4m50cmという巨大ぶりに驚かされますが、この鉄道は原子力で動くのです。
線路幅が従来の3倍になれば、その上を走る列車の容積は3の3乗で27倍になります(実際の輸送力は10倍と想定)。
客車は2階建てで、客室の両側に広い通路。1階はすべて客室で、2階は客室、サロン、食堂、シャワー室、映画館、そして、プールさえあるのです。その巨大さと豪華さは、「陸の客船」とも言えるほどです。
ソ連の原子力機関車
列車のスピードは時速200kmを超え、モスクワからレニングラードまで3〜4時間で走る計画でした。
ウランによる原子力機関車はこれだけのパワーを持つと想定されたのです。
この計画を発表したのはソ連の鉄道技師モーラレヴィッチで、1955年のことです。
モーラレヴィッチによれば、原子力機関車の3つの利点がありました(『科学画報』1957年2月号による)。
(1)1kgのウランは石炭3000トン分のパワーがあり、石炭の補給も送電線などの附属施設も一切不要
(2)1台の機関車でどこまでも牽引できるため、ヒマラヤから北極まで世界中に鉄道網を構築できる
(3)原子力機関車は、いざとなったら移動式発電所に切り替えることが可能
1950年代、世界中で原子力機関車の開発が動き出しました。
世界初の計画は1954年のアメリカで、ユタ大学のボースト教授が設計した「X-12」です。
X-12
X-12は動力部分と放熱器搭載車の2つからなり、全長およそ49m、幅3m、高さ4.9m、7000馬力。
液体燃料「硫酸ウラニル」を厚さ30cmの六角形の容器に入れ、そこから1万本の用水管を通る水で熱を吸収、発生した蒸気でタービンを回す仕組みです。
X-12の原子炉
ウランの値段が1グラム10ドルであれば、ディーゼル機関車より安く運用できるとされましたが、1955年の第1回原子力平和利用国際会議(ジュネーブ会議)では、ウランの参考価格は1グラム25ドルとされており、経済性に疑問が残りました。技術的にも、蒸気ボイラー式に必要な給水作業を鉄道でおこなうことには無理があり、これは実現しませんでした。
X-12(『Popular Science』1954年4月号/グーグルブックス)
その翌年の1955年、サザン鉄道の技師ブルース・ガンネルがタービン式原子力機関車の計画を発表しました。
こちらは固体燃料を使用するため給水が不要で、ガス(空気)タービンで動力を発生するものです。軍用に限定した3000馬力の小型版ですが、排ガス処理の問題が解決できなかったようです。
その後、西ドイツ連邦鉄道でもX-12に対抗した6000馬力の原子力機関車が発表されましたが、こちらも実現していません。
なお、フランスの鉄道当局は、原子力機関車には長所があると認めながらも、発電機の小型化、放射性物質の遮蔽技術が進まない限り、実現できないとの判断を下していました。
西ドイツの原子力機関車
(横堀進「原子力機関車について」/『日本機械学会誌』1956年6月号所収)
一方、日本でも原子力機関車の開発が進められました。
敗戦国の日本は、戦後すべての核研究が禁止されていましたが、1954年に平和利用に限って解禁。
これを受け、国鉄の鉄道技術研究所は原子力機関車「AH100」の開発計画を立案します。
日本の原子力機関車AH100
(クリックで拡大)
AH100は全長29.8m、幅2.85m、レールからの高さ3.8m。自重144t、3000馬力。平均時速は50km、最高時速は95km。
世界初のリチウム・ベリリウム原子炉で、固体の濃縮ウランを7.38kg使用するものです。炉の自重は1.9トンですが、遮蔽体が109トンも必要でした。
当時、これ以上のデータは公表されませんでしたが、本サイトが入手した内部資料『原子力機関車の設計』にはディーゼル機関車との比較が掲載されています。
●燃料積載量(推定)
6350kg(ディーゼル)7.38kg(原子力)
●1kmあたりの燃料消費量
7.89kg(ディーゼル)0.00000857kg(原子力)
●1kmあたりの燃料価格
11.35円(ディーゼル)720万円(原子力、1グラム25ドルで計算)
●1kmあたりの正味燃料費
92円(ディーゼル)62円(原子力)
ウランの値段が不明なため、経済性の比較は困難ですが、結論としては、ディーゼルより有利の可能性が高いとされました。
『原子力機関車の設計』
最終的に、原子力機関車は実現可能とされましたが、事故時のリスクなど課題が多すぎるとして開発は停止しました。こうして、原子力発電システムを機関車に搭載するのではなく、発電所で発電した電気を架線から引っ張る、現在の仕組みに向かうことになりました。
1960年ごろ、アメリカ鉄道協会は、各誌に「原子力鉄道は走るか」という広告を出しています。
そこには近未来の鉄道のイラストが描かれていますが、しかし、アメリカでさえ原子力鉄道を実現させることはできなかったのです。
アメリカ鉄道協会の広告(『Ebony』1960年10月/グーグルブックス)
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原子力船「サバンナ号」の誕生
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原子力船むつと大間原発
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原子力空母「ロナルド・レーガン」に乗ってみた
制作:2019年3月4日
<おまけ>
原子力は船や潜水艦で実用化されましたが、原子力航空機の研究も進んでいました。関連画像を公開しておきます。
ソ連の原子力輸送機(『科学朝日』1952年7月号)
アメリカの原子力爆撃機「フクロネズミ」(『科学朝日』1952年7月号)
B36爆撃機による原子力航空機の実験(1955年?)