「大間原発」観光
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下北半島・原子力街道を行く
2014年開業を目指して建造中の大間原発
それは1974年8月26日未明のことでした。
青森県むつ市にある大湊港は、台風で大しけでしたが、夜陰に乗じて、全長130mの朱色の船がひそかに出港したのです。
前日まで、港には200隻以上の漁船が集まり、大規模な抗議活動を繰り広げていました。しかし、この台風で港に漁船はなく、巨大船は無事に出航することができました。
この船こそ、日本初の原子力船「むつ」でした。
原子力船「むつ」の模型
アメリカやソ連が先行していた
原子力船
の開発を進めるため、1963年、日本原子力船開発事業団が発足。1967年、青森県が「むつ」の受け入れを発表します。
「むつ」は1969年に進水し、翌年、大湊港に接岸しました。しかし、1972年に核燃料を積み込んだあと、地元漁民の反対で2年近く港に足止めされたのです。
地元の反対は、陸奥湾のホタテ養殖が放射能に汚染されるのを恐れてのことでした。
出港から6日後の9月1日、太平洋上にあった「むつ」は出力2%の段階で放射線漏れを起こします。事故の原因は、原子炉の遮蔽設計にミスがあったためでした。
当時の報道によれば、漏れた放射線の量は、約500時間被曝しても胸部X線1回分ほどのきわめて微弱なものでした。
しかし、母港の大湊では反発が強まり、「むつ」は帰港もできず、50日間も海上をさまよいました。
むつの原子炉制御室
その後、「むつ」は修理のため佐世保港に入港しますが、母港問題で揉めに揉め、1985年、政府は実験航海後の廃船を決定します。
1988年、下北半島の津軽海峡沿いに新たに関根浜港が造られ、ここが母港になりました。実験航海は1991年から1年間行われ、1995年、「むつ」は廃船作業によって原子炉を失い、海洋地球研究船「みらい」に姿を変えました。
その関根浜港には「むつ科学技術館」があり、制御室や原子炉がそのまま展示されています。
むつ原子炉
むつ原子炉の内部構造
では、「むつ」が積んでいた使用済み核燃料はどうなったのか。
使用済み核燃料は34体あり、長らく日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)むつ事業所で保管されてきました。そして2001年、再処理するため、茨城県の
東海村
へ輸送されました。
実は、むつ科学技術館の近くには、リサイクル燃料備蓄センターが建造されています。ここはまさに使用済み核燃料の保存庫(中間貯蔵施設)で、2013年10月に完成しました。
リサイクル燃料備蓄センター
使用済み核燃料は、金属製容器「キャスク」に入れて空気冷却されます。キャスクは高さ約5.4m、直径約2.5mの巨大な容器ですが、リサイクル燃料備蓄センターが操業を始めれば、キャスク288本分が保管できるようになります。
これは核燃料約3000トンに相当し、最終的にはもう1棟建設することで、5000トンまで対応できるようになります。青森県県
六ケ所村にある再処理工場
で保存しきれない分が、ほとんどここにやってくるのは間違いありません。
六ヶ所村再処理工場
青森県の下北半島は、日本でも有数に核施設が集まった場所です。六ヶ所村には再処理工場があり、東通村には東通原発があります。
そして、大間町には「大間原発」が建造中です。
建造中の大間原発
大間と言えば、一本釣りの大間マグロが有名です。
しかし、そのマグロの不漁が長く続き、漁師たちが苦しんでいた1984年、原発の誘致が決定します。マグロの不漁は、一説には
青函トンネル
の工事が原因だったとも言われますが、少なくとも当時の地元民の多くは原発建設に賛成でした。
大間崎
マグロ漁が復活した今となっては、大間マグロのブランドに傷が付くことを恐れ、原発に反対する人も少なからずいるようですが、大きな動きにはなっていません。
現状では、敷地のすぐそばで「縄文生活」を続ける「あさこ」さんが、ほぼ唯一の目立った反対派です。
「縄文の里」あさこはうす
大間原発を運営するのはJ-POWER(電源開発)です。
J-POWERは、大間原発と東通原発の間に巨大な送電線「大間幹線」も建造しています。この大間幹線は、「むつ幹線」や「相馬双葉幹線」経由で、東京までつながります。
J-POWERは、すでに大間と函館の間に「北本直流幹線」も設置済みです。津軽海峡の海底を、4本の海底ケーブルで結んでいるのです。
北海道は冬に電力消費が多くなりますが、逆に本州は夏に電力消費が多くなる傾向にあり、電力消費のピークが大きくずれています。そのため、夏の北海道の余剰電力を、津軽海峡経由で、東京まで送ることができるのです。
むつ幹線
こうした電力会社間の高電圧の送電線網を「連系線」と呼んでいますが、ハッキリ言えば、北海道の原発も東北の原発も、いずれも東京に向けて電気を送っているのです。北本直流幹線の電力供給量は60万kWですが、すでに逼迫しており、いずれ90万kWに増強する予定です。繰り返しますが、すべては東京に向けた電力です。
さて、そんなJ-POWERをソフトバンクが買収するという計画がありました。
いったいどういうことか。
ソフトバンクは、東日本大震災を受け、2011年6月に定款を変更し、会社の目的に自然エネルギー事業を追加しています。
2011年9月には、アジア各地を送電網でつなぐ「アジアスーパーグリッド」構想を提唱し、以後、モンゴルの風力発電やメガソーラー建設計画を矢継ぎ早に発表しています。
J-POWERは、国内に水力発電所を58カ所、火力発電所を7カ所、地熱発電所を1カ所持っており、自然エネルギー事業を支えるにはうってつけです。
自然エネルギーじゃないけど……電源開発の松島火力発電所(長崎県)
2013年2月12日、ソフトバンクは三井物産と組んで、ロシアの電力企業インテルRAOと送電網建設計画に合意しました。
計画は壮大で、ロシアの水力発電所からサハリン南端まで送電線を敷設し、サハリンから北海道の北端まで海底ケーブルで結ぶというものです。総費用は1兆円以上ですが、ここで重要なのは、北海道と本州を結ぶ送電線は、J-POWERしか持っていない点です。
ソフトバンクは、J-POWERを買収することで、ロシアから東京まで電力を持ってくる大プロジェクトを実現させるつもりだったのです。
そして、孫正義は、J-POWER(電源開発)買収後、唯一の原発である大間原発の建造を中止するつもりでした。
《12年夏、民主党政権がめざす脱原発に共鳴した孫が、電源開発を買収し、建設中の大間原発(青森県)を止める——。そんな案が浮上する。「大間をやめると、4千億円超の損失が発生します」。幹部の進言に孫はこともなげにいう。「そんなのは損失を計上すればいい」》(朝日新聞、2013年10月30日)
大風呂敷と呼ばれる孫正義ですが、4000億円の損失をものともしない姿勢は、やっぱりすごいとしか言いようがありません。
大間原発完成予想図(電源開発のサイトより)
結局、ソフトバンクはアメリカの携帯電話会社スプリント・ネクステルの買収を優先したことで、現在も電源開発の買収は進んでいません。そもそも、株主が株の売却に応じるかどうかもわかりません。
電力をめぐる戦いは、今も水面下で進行中です。東京から遠く離れた下北半島で、その一端が垣間見えるのでした。
制作:2013年11月3日
<おまけ>
1974年に「むつ」が放射線漏れ事故を起こし、1979年にアメリカ・スリーマイル島原発で炉心溶融事故が起きると、国内でも原発反対運動が活発になりました。
1981年には、四国の窪川原発をめぐって、町長のリコールが起き、原発計画は消滅しました。
1986年にソ連のチェルノブイリ原発が爆発した後には、和歌山県の日置川原発、新潟県の巻原発計画も消えました。さらに石川県珠洲、三重県芦浜でも建設計画が中止になり、結果的に原発が1カ所に集中立地していくようになるのです。
こうした反対運動に対し、国は「電源三法」を施行して、自治体に金をばらまくことにしました。
電源三法とは「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」を指しますが、いったい原発1基で地元にはいくら入るのか。
資源エネルギー庁のモデルケースによると、3年の準備の末、7年かけて出力135万kWの原発を建造し、40年間運転した場合、運転から10年(20年目)で合計893億円、50年間で総額約1400億円が地元に交付されます。まさに打ち出の小槌なわけです。
もちろん、そのカネは、東京など大都市が払った税金です。原発ゼロ発言が無責任だというのは、この構造を無視してるからなんですね。
原発の交付金(資源エネルギー庁のサイトより)