百貨店の誕生
あるいは三越という文化

三越春のポスター
明治42年(1909)年、三越春のポスター


 江戸時代の生き残りの古老、菊池貴一郎が記した『絵本江戸風俗往来』には、江戸の年中行事や風物詩、習慣などが絵入りで紹介されています。
 そのなかに、「藪入」という項目があって、次のように書かれています。

《正月16日・7月16日は丁稚(でっち)奉公の藪入日なり。工・商とも13、4歳より工を覚え商を習わんと、良工・良商を選び、奉公に出づ。これを丁稚小僧という。年期はおよそ10ヵ年なり。……大伝馬町大丸店・上野広小路松坂屋の如き大店の丁稚は皆遠国出生の者のみなれば、皆一同に付添人に従いて芝居見物をするなり。この藪入の前夜は、夜中眠れぬ程の楽しみなりという》

 江戸時代、丁稚には年2回の休みしかありませんでした。それが藪入りで、この日だけは家に帰ったり、終日、遊び明かすことができました。多くの丁稚は芝の増上寺や上野、浅草で遊びましたが、大丸と松坂屋の丁稚はみんな地方から来ているため、一同、芝居を見に行ったと。

 ではどうして、この2つの店は地方出身者ばかりだったのか?
 その答えは推測ですが、大丸が地元京都で、松坂屋が地元名古屋で丁稚を集めたからではないか、と思うわけです。

 2007年2月、大丸と松坂屋が経営統合すると発表しました。今後、業界の再編が加速するはずなので、今回は百貨店の誕生です!



 まず、大丸ですが、これは享保2年(1717)、下村彦右衛門正啓が京都伏見に作った呉服店「大文字屋」が始まり。その後、大阪、名古屋に出店、1743年に江戸大伝馬町3丁目に出店しました。

 しかし、明治維新後の1910年、東京と名古屋を閉鎖し、京都に戻ってしまいます。その後、大阪を本店とし、第2次世界大戦後の1954年、再び東京に進出するのでした。
 ちなみに大丸は、1922年、デパート業界で初めて週休制度(月曜)を採用したことで有名です。

大丸 大丸大阪本店
これが大伝馬町の大丸(1870年頃?)と大阪本店(1938年)

 一方の松坂屋
 こちらは織田信長の家臣だった伊藤蘭丸祐道(すけみち)が、慶長16年(1611)、名古屋に創業した「えびす屋いとう呉服店」に始まります。1768年、上野松坂屋を買収し、東京に進出。以後、大阪や銀座に出店を続けました。

 ちなみにこの上野店が1929年、日本で初めてエレベーターガールを登場させました。また銀座店は、日本で初めて土足入場を実現したデパートです。

上野松坂屋(1932年) 銀座松坂屋(1921年)
上野松坂屋(1932年)と銀座松坂屋(1921年)

 あと、いくつかのデパートの歴史を箇条書きにしときます。

●高島屋
 天保2年(1831)、飯田新七が京都烏丸で古着木綿商「たかしまや」開店。1887年、業界初のマネキン採用。1932年、大阪で百貨店初の冷暖房設置。

●そごう
 天保元年(1830)、十合伊兵衛、大阪に古着屋「大和屋」開業。十合はそごうと読みます。

●松屋
 明治2年(1869)、古屋徳兵衛が横浜石川町に「鶴屋呉服店」を創業。1899年、東京神田の松屋呉服店を買収し、東京進出。

●伊勢丹
 明治19年(1886)、小菅丹治(こすげたんじ)が東京の神田旅籠町に創業した「伊勢屋丹治呉服店」が始まり。1933年に神田から新宿へ移転しました。

伊勢丹新宿店(1932年)
これが伊勢丹新宿店(1932年)

 このように、百貨店の多くは元・呉服商でした。『明治東京逸聞史』は、明治38年(1905)の項目で、呉服店が百貨店へだんだんに変っていったと解説しています。 
 その後、西武、東武、東急、阪神、近鉄といった鉄道系デパートがターミナル駅を中心に作られていきました。その大元が、小林一三が創業した阪急百貨店です。

大阪駅前の阪急百貨店(1938年)
大阪駅前の阪急百貨店(1938年)


 さて、百貨店の歴史を考えると、やはり三越がもっとも重要なんですな。
 
 三越は延宝元年(1673)、伊勢松坂の商人三井高利が江戸日本橋本町1丁目にオープンした越後屋呉服店が始まり。越後屋では「店前(たなさき)売り、現銀掛値なし」という百貨店史上初の陳列、定価販売が行われていました。

越後屋
左が越後屋、奥は三井組(後の三井銀行


 1872年、経営は三井家から分離され、1893年、越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。1896年、再び経営権は三井家のものになり、1904年(明治37年)、三越は日本で初めて株式会社の百貨店となりました。これが日本のデパートの誕生です。

三井呉服店
三井呉服店(1904年)

三越
三越(1908年)

三越
三越店内の様子(イラストレーテッド・ロンドンニュース1904年5月)

三越
三越店内の様子(1894年頃)


 三越は、まさに時代の先端を走ったサービスを次々に繰り出しています。
 あんまり多いんで大変ですが、以下列挙すると……

1900 女子社員の採用
1905 日本初の自動車(配達用)を導入、大イルミネーション、化粧品、帽子の販売

三越の日本初の自動車
日本初の自動車

1907 洋傘、靴の発売、食堂設置(コーヒー提供)、写真室設置、富士山に大広告
1909 少年音楽隊、メッセンジャーボーイ編成

三越メッセンジャーボーイ
メッセンジャーボーイ

1911 ポスターの図案懸賞(1等賞金は1000円)、写真室にカラー写真導入、電話販売開始
1914 日本橋本店新館に日本初のエスカレーター
1916 天気予報信号旗掲揚、テレスコープ設置
1917 中央ホールに巨大扇風機設置
1923 無線電話の実験
1927 日本初のファッションショー開催、美容室設置

昭和2年のファッションショー三越
昭和2年のファッションショー

1929 ネオン設置
1930 パイプオルガン購入(設置は1935年)
1932 地下鉄三越前駅開設
1944 結婚式場開設

 すげーな三越。
 そして、1971年、三越は日本の小売業として初めて売上高が1000億円を突破する快挙を成し遂げたのでした。


制作:2007年3月6日


<おまけ>
 冒頭で触れた藪入りですが、実際のところ、江戸時代の丁稚の休日が年2回だけというわけではありません。むしろイベント的な休みだと理解した方がいいんだと思います。
 明治以後も藪入りのにぎわいは続きますが、徒弟制度が消滅し、日曜休日が定着することで、藪入り自体も消えてしまったのでした。
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