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この本性を見よ! 毒獣アメリカ女

 太平洋戦争の戦局の悪化に悩む日本政府は、1944年10月6日、「決戦輿論指導方策要綱」を策定し、「敵愾心の激成」や「敵の苦境の暴露」を積極的に広報していく方針を決めます。この方針を具現化するため、大政翼賛会の調査部は総力をあげてアメリカ社会の退廃ぶりや非人間性を調べました。そして、それをまとめた秘密文書「一億憤激米英撃摧(げきさい)運動資料」をマスコミに配布するのです。
 このアンチョコをもらったマスコミは、「鬼畜米英」などの言葉で怒濤のようにアメリカ批判を始めます。もっとも過激だったのが『主婦之友』でした。なかでも、昭和20年の新年号に掲載された「毒獣アメリカ女」と「敗けたらどうなる」の2本は特筆すべき内容でした。そこで、ともに全文を公開しておきます。



毒獣アメリカ女


この本性を見よ! 毒獣アメリカ女
安田源四郎

アメリカ女の理想 

『君の理想の女は誰かね。』
 アメリカの女の子達に私はよくこう聞いた。
『スター!』
 子供らはたちどころに、10人が10人きっとこう答えた。歌劇や映画の一流女優になりたいというのである。7つ8つの子供らのこの返事は、そのままアメリカ女の答えであった。アメリカ女は、女優の栄華と贅沢と男狂いの極致の生活を、憧れの的としているのである。

 一度スターになると、金持の老人や若旦那が、うじょうじょとつきまとってきて、あらゆる御機嫌取りをやり、毎日毎夜、歓楽の極みを尽させるのである。女優は孔雀の如く着飾り、宝玉をきらめかせ、何でもしたいと思ってできぬこととてはない。そのスターが主役で100万弗(ドル)くらいの映画でも1本出来上がろうものなら、さあ大変である。取巻きの男どもが集まって来て、山海の珍味を取り揃えて完成祝いの宴会を開く。

 たらふく食い終わると、食器を片づけたテーブルの上にそのスターが駆け上る。忽(たちま)ち奏でられる狂的な音楽に合せて、女優は手を振り足を挙げる。女優を目がけて弗(ドル)の札束をポンポン投げつける。女優は帽子をもってそいつを受け取る。

 そのうちに男どもが、えっさえっさと大きな洗濯盥(たらい)をかついでくる。女は盥の中でキャッキャッとはしゃぎ廻るのだ。日本でもてはやされたシルヴィア・シドニー、あの女が主役でやった『デッド・エンド』という映画が完成したときなど、電光燦然たる中で、真裸になったシドニーに続いて男も裸になってこの祝杯をやったという。

 淫乱とも退廃とも実に言葉がない。もうそれは牡と牝との動物が、性欲をむき出しにして喜び騒ぐ狂乱である。

 グレタガルボだデイトリッヒだと、一頃(ひところ)日本でも騒がれた女優どもの結婚生活は、三角関係などは当り前すぎて話にもならぬ。五角、六角、七角関係など珍しくもない。その生活がアメリカ女の理想である。性欲と食欲と物資欲との、あくことを知らぬ享楽が理想なのである。女性の純潔の貴さ、精神の高さなどは、考えることさえ知らぬ動物そのものの生活が、アメリカ女の憧れの的なのである。

醜悪の歴史

 こういうアメリカ女が、今日までに作ってきた婦人史は、全く物質欲と性欲の満足を求めて狂い廻った醜悪の歴史である。
 
 開拓時代にアメリカ大陸に渡り着いたアメリカ人のうち、男子にくらべると女の数が少かった。従って男は女の機嫌を取って、常に近づこう近づこうと機会を狙う。亭主は自分の女房を取られまいとして大切にするから、自然女がつけ上がってくる。そのうえ、土地分配が行われるようになると、妻帯者には独身者の2倍の土地が与えられ、独身の女にも、独身の男子と全く同じ広さの土地が分配された。

 こうして男子と同等の地位を、女は開拓時代にはっきりと獲得してしまったのである。

 インデアンと、無限の荒野とに向って必死の開拓をつづける男どもには、文化、教養などいうことに心を使っている暇がなかった。そこで女達が自分の育てられた欧州の文化、教養を守り育てることに乗り出してきた。つまりアメリカ開拓の外面的な建設は男の手によってなされたが、内面的な建設は女によって守られ、成長してきたのである。今日のアメリカの生活文化や社交などの一切は、女によってその土台が築かれ、牛耳られてきたのであった。

 アメリカの女は、こういう歴史的な背景をもって、特殊に恵まれた社会的地位を維持してきたのである。

 時代を経るにつれて、選挙権を獲得し、男子と同じ大学への入学資格を取った女達は、いよいよもって独立自存の念を強め、社会的に経済的に、男子と平等の立場を与えよと主張し始めたのである。物質文明が進歩発達するにつれて、電気洗濯器、電気掃除器などの家庭用品が次々に生れ、女が家事のために使う労力や時間が節約されるようになると、女はその時間を利用して、さまざまの職場に進出して男を追い出し始めた。
 そして第1次欧州大戦は革命的に女の位置を高め、経済的に活躍する範囲をますます広くしたのである。

 こうして働く女性の半数は、生活上の必要というよりも、生活を享楽するために自分の小遣稼ぎをしたのであって、1920年から30年代に、アメリカ資産の6割は女が支配していたという。外で働くことは、アメリカ女の道楽になった。

 職業戦線に立っていろいろな経験を重ねる女どもは、その本来の国民性に拍車をかけてますます打算的、物質的、享楽的になっていった。経済的に独立ができる女どもは、親や親類の勘当が一向に恐ろしくなくなってきた。結婚生活に倦(あ)いた女は、塵紙を捨てるように亭主を捨て、性行為において自由自在に振舞うようになったのである。

 こういう状態のところへ出てきたのがマガレット・サンガーの産児制限鼓吹(こすい)である。それまで不品行に附随していた妊娠ということを取り去ったから耐(たま)らない。

 エドナ・セイント・ビンセント・ミィレーによると、

  きやっと一声叫んだら、まあーー
  永遠が下(くだ)ってきて、私の上に宿った

 という、実に動物的淫楽の解放であった。

 そうこうするうちに、リンゼー判事が出てきて『友愛結婚』を唱え、不品行に法的保護を与えよと叫び出したから、女どもの性的奔放は全く止まるところを知らぬ状態になったのである。これに油を注いだのが、自動車の発達であった。青年男女は自動車を運転して思い思いの方向へ走り、獣的行為に耽った。 

 こうして解放されたアメリカ女の獣的生活は、アメリカに世紀の不況が襲来しようと何が起ろうと一切風馬牛(ふうばぎゅう=無関係)で発展しつづけ、今日に及んだのである。

亭主の価値

 その間に、女どもが金科玉条としてきている婦道は何であったろうか。それは顔を磨き立て化粧を凝らし、姿を整えて、他の女よりできるだけ美しくし、男の眼を惹くことなのである。

 ロサンゼルスの私宅で、家内の知人を招いてお茶の会を開いたことがあった。孔雀のように美美しく着飾って10人余りの女が集まって来たが、その中に60歳近い男がいた。その男が『私の妻は、この間新しい恋人と手を取ってヨーロッパへ旅行に行ってしまった。6ヶ月経てば帰ると言って出て行ったが、その間毎月400円づつ送金せねばならぬので苦労する。』と言うのである。その妻というのは、25歳になる男の子を連れ子してこの男のところへ4度目の結婚をしてきた女であった。

 私と家内はびっくりして、その女を非難し男に同情した。すると一座の女達が、否その男までが不思議そうな顔をして私達を見た。私は女どもを追い散らして塩でも撒いて清めたい衝動に駆られた。

 アメリカ女にとって良人(おっと)というものは、性欲と食欲と物資欲を充分に満してくれるためだけの存在なのである。それらを満足させてくれてこそ、良人としての価値を持っているのである。

 これを満足させてくれることのできぬ男とは、直ちに離婚してしまう。全くよりよい餌を追っかけてさまよう獣(けだもの)である。離婚裁判で『良人は私を幸福にすることができないのです』と言えば、裁判官は一遍で離婚を認めてしまう。だから亭主は、女房の欲望を満足させるために全力を注いで働き、常に女房に対する御機嫌取りに一生懸命である。

 しかもアメリカ女は、離婚するにも只では引かぬ。離婚が成立したその瞬間から一生涯、男から毎月扶助料を取り立てる権利を持っている。もし男が他の女と再婚しようと思えば、男は自分の財産の半分をもとの妻に与える義務がある。
 こういう次第だから、アメリカ女には離婚成金というのがある。私の知っている女に、18回も離婚して成金になり、アパートに住んで悠々余生を送っているのがあった。

 離婚しても女は容貌と容姿を売り物にして、すぐ新しい男とくっついてしまう。従ってアメリカ女は、容貌と容姿を生命と同じに大切にする。

 電車の乗り降りなどに一寸でも怪我をしようものなら、女は直ちに市を相手取って訴訟を起し、莫大な損害賠償金を請求する。裁判官はその女をしげしげと眺めて、美しければ忽(たちま)ち市に命じて何万弗(ドル)という賠償金を出させる。醜かった日には、賠償金は話にならぬほど少いのである。

 全くアメリカで、醜く生まれついた女ほど哀れな者はない。アメリカにはオールド・ミスという者が沢山あるが、容貌の優れない女は貰い手がないというのが主な原因である。気立てのよさなどということは彼らは考えてみることさえ知らないのである。

 その代り美しくさえあれば、どんな玉の輿が舞い込まぬものでもない。男の子が産まれると両親が落胆するのは、世界中でアメリカだけである。

 顔と姿に磨きをかけることが、アメリカ女の婦道である。大東亜戦争前、日本からの生糸輸入停止で絹靴下の供給が覚束なくなったとき、全米の百貨店、小売店の店先には眼の色を変えた女が殺到し、おりおり掴み合いさえ始まって戦場のような騒ぎを惹き起こした。利かぬ気の女は、亭主に会社を休ませて靴下買いに動員した。亭主は終日歩き廻ったが、気狂いのようになった女に断然圧倒されて一足も買い得ず、へとへとになって家に帰れば、待ち受けた女房にさんざん搾られたうえ、次の日もまた会社を休むという騒ぎがいたるところに現出した。

畜生道に踊る女

 アメリカの学校教育には、修身というものがない。アメリカ人という奴は、喜怒哀楽の情を抑制する修養ということを全く知らない人種である。ただただ享楽主義、自然主義の動物である。彼らに修養の必要を説くと、ある女はこう言った。『人間は楽しむように笑うように怒るように作られている。作られてある通りに楽しみ笑い怒るのが何故悪いのか。悪いというならば、それは神の責任である。人間の責任ではない。』と。これがアメリカ人全体の考え方である。

 私がアメリカの学校にいた頃のことである。友人の辺見という男が、ある米人の家にスクールボーイと称する下僕になって住み込み、苦学を続けていた。その家の主人が半年ほどの予定で欧州に旅行し、30歳そこそこの妻が一人留守居をし始めた。女は辺見を誘惑し、遂に肉体の関係をつけてしまったのである。

 半年ほど経って亭主から、いよいよ近く帰国するという通知が来た。するとその女は露見を恐れて辺見を追い出し、その代りに私と一緒に下宿していた池田を住み込ませたのである。池田がその家に働くようになってから数日後のこと、『奥さんが夕食を御馳走してやるから来いということだ。』と池田が辺見を迎えに来た。

 2人は連れ立ってその家へ行ったが、翌朝になっても帰って来ない。翌々日も帰らぬ。
 3日目の朝、私は不思議に思ってビクトリヤ街にあるその家へ行ってみた。家の前まで来たとき私の眼に留(とま)ったのは、人間1人が楽々と入れるほどの大きな塵芥入れのブリキ缶である。その缶には、石炭殻が蓋のしきれぬほど一ぱいに詰っていた。

 中をのぞき込んだ私はギョッとした。コークスの中からニョキニョキと突っ張っているのは人間の白骨だったのである。ふと、人の視線を感じたのでその方の窓を振り返ったとたんに、あの女の姿が飛鳥のように私の視界をかすめ、カーテンがゆらゆらと激しく揺れていた。私は全身に水を浴びたようにゾーッとして、ビクトリヤ街を走り出たのである。

 女がどんな手を用いたかそれは知る由もない。しかし辺見と池田は、亭主に知れてはこと面倒と考えた女によって、ストーブで焼き殺されてしまったのである。勿論(もちろん)2人は、2度と私の下宿へ帰っては来なかった。私は日本人会などを説いて廻ったが、当時アメリカに平身低頭していた日本の立場として、残念ながらどうすることもできなかったのである。

『日本人など自分の靴下でも織っているのが分相応だ。』と考えているアメリカ女である。辺見や池田を焼き殺すことぐらい、平然としてやってのけたのだろうと思う。怒れば、自分の亭主をさえ殺すアメリカ女である。大抵の女は、貝細工などした小型ピストルに実弾を込めて、箪笥のひきだしにしまっている。亭主が夜遊びでもして女の機嫌を損じるような時刻に帰って来ると、油断がならぬ。女房は階段の上で待ち構えていて、亭主が入口に現れるやズドンと一発、頭を狙い射って即死させるのである。

 新聞に出てくるこうした事件の殆ど全部が、女は階段の上に待ち構えていた。

 惨虐性などという言葉ではとうてい言い尽せるものではない。黒人などの私刑(リンチ)に、また拳闘、自動車競争、レスリングなどで大怪我人が出ると、女が真先立ってキイキイ喜びはしゃぐことは、よく知られているところである。見ているだけでは満足できず、女もレスリングをやる。相手の女の眼の中へ指を突っ込んでひっかき廻す、耳に指を突っ込んで血をしたたらせる、髪を引き抜く、腕にかみつく。全く野獣の本性を現すのである。

 独立祭の日、ニューヨークでのことであった。仮装行列を見ようとして、大通りの両側を幾重にも人垣が囲んで身動きもできない。1人の妙齢のアメリカ女の後に、フィリピンの青年がぎゅう詰めに押されて立っていたが、人波に押されるままに前の女の身体を思わずちょっと押したのである。

 するとその女がぐるりと身体を捩(ね)じ向けて、ものをも言わずにフィリピン青年の眼の中に指を突き差した。血がダラダラと流れると、今度は鼻の孔を突き上げた。鼻血が青年の口の中に入る前に、拳で力一ぱい顔中をなぐりつづけ、髪の毛をひきむしった。身動きできぬ人込みの中で青年はどうすることもできないのだ。それを見ると女はさも心地よげにせせら笑って通りの方へ向きなおり、平然として行列を待ちつづけておった。

毒獣を撃て

 アメリカ女の全身全霊は、残忍、淫乱、狂暴で充ち満ちておる。全くの動物である。この動物は性欲と金と物との満足水準を引上げるためには、生命をかけて真剣になるのである。この動物が、『われらの欲望を満足させるための大邪魔者』と信じて疑わぬ日本を、永久に地球上から抹殺すべしと立ち向ってきているのである。

 開戦前、日本に対する極度の悪宣伝をして挑戦気分を煽ったのは女どもである。日本品のボイコットを宣伝し、路上に日本品を積み重ねて焼いたりしたのも女であった。今や2000万の女が、軍隊に軍需工場に国防に廃品回収に食糧品の配給に、その他直接間接に戦争に参与し、すべて男子よりも熱心に働いておる。最近4000人の女が、生命と同じく大切にしてきたなりもふりも構わず、オレゴン州の材木伐り出しに出かけて行った。

 19歳の映画女優マーリン・ヘーアは、士気昂揚のためにと、1万人の兵士に接吻を与えるという悲願を立て、集まっている兵隊の列の間を縫って、1日に733人に接吻を与えたので大評判となった。そして愛国者らしく感想を述べた。『残念至極なことは、私がお国のために奉仕する唇をたった2つだけしか持ち合せていないことです。もっと持っていたら、もっと御奉公ができるでしょうに。』

 この女は、残りの9267回の接吻を果すべき機会を張り切って待っていると、『ライフ』誌は伝えている。

 淫乱、酷薄、悪虐、非道、あらゆる形容を超えた毒獣アメリカ女! その畜生道の繁栄のために、日本人を殺せとわめき、全世界をわがものにすべしと男の尻を押しまくっておるのだ。

 われらは、この毒獣の暴虐断じて許さず。この動物の息の根を止めざれば、人類は永遠に畜生道に堕つ。3000年の伝統に輝く日本婦道、もとより永劫に滅亡である。

 道義のために、正義のために、世界婦人のために、人類のために、この動物どもを絶滅することこそ、天が日本に与え給うた大使命でなくして何であろうか。 

 安田氏は明治42年渡米、コロンビア・カレッジ卒業後、鉱山事業に従事し、のち安田証券株式会社を経営、昭和8年帰朝されるまで25年間、あらゆる米人社会に立ち交って、米国及びその国民性を具(つぶ)さに体験研究された方であります。

(『主婦之友』昭和20年新年号)


制作:2012年12月3日

<付記>
 安田源四郎は没年不明ですが、国会図書館は著作権法第67条第1項により、文化庁長官の裁定を受けて著書を公開しており、本サイトもそれに倣いました。本サイトでは補償金の供託はしませんが、もし著作権継承者の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

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